秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2006/10

-0067/伊藤忠商事・丸紅商事販売のマンションだから大丈夫ではない。

 読売新聞10月27日付に、特定商取引法により「サンライズコーポレイション」に対し特定浄水器販売業務の6月間停止命令等が発せられた旨の小さい記事があった。
 各自治体の消費者保護条例による停止命令・改善命令等はきわめて珍しいと思うが、10/03には教材販売の「グローバルアソシエイツジャパン」に4月間業務停止命令が出されているなど、この法律はかなり活用されているようだ。
 この法律や消費者保護条例の適用はないはずだが、不動産(マンションも)取引や契約履行に関して、大手企業の名によるものであっても、いかがわしい又は誠実でないものは多々あるようだ。
 知人の例だが、伊藤忠・同不動産販売+新井組の某マンションでは宣伝・公表された(かつ正式の工事図面にも記載されていた)一住戸のベランダ幅90cmが60cmしかなく、1年以内に上階から下階住戸への水漏れが発生し、約3年後には隣住戸との間の隔壁コンクリートの一部が崩壊し(夜中にガサッとの音が聞こえたらしい)、隣住戸を直接に覗ける状態が数カ所で発生した、という。
 別の知人によれば、丸紅・同不動産販売+広成建設の某マンションでは洗面所の奥行が25cm短く(正式の工事図面にも違反していた)、宣伝・公表された専有面積よりも狭くなっていた(専有面積に含まれないPSスペースが広くなっていた)。クレームをつけると500,000円払うから我慢してくれ旨を言われ、性格も内訳も不明な金の受領を拒み、正式の工事図面に即しかつ(登記手続をする直前だったので)登記予定内容になるよう工事変更を求めると、結局は最下階から最上階まで当該箇所の工事をやり直した、という。
 こうした例は、伊藤忠・丸紅関係だけではないだろう。建設・不動産販売業界に不信をもつゆえんだ。
 より一般的に言えば、現物を全く見ず、確認できない時期で、すなわち案内パンフが(閲覧できる設計図面は事務所に一つ)あるだけの時期で売買契約をしてしまう、という(たぶん少なくとも大都市圏に通常の)「青田売り」というらしき取引慣行にも問題がある。
 眺望・騒音等を実際に体験でき工事の確かさも確認できる、すなわちほぼ建設が完了した段階で販売を開始すべきでないか。パンフや設計図による想像と入居後の実感が同じとは全く限らない。大手某マンション販売会社は原則として後者の方式を採っているらしいが、良心的だ。
 契約内容を正確に履行していない上の例は論外だが、「自由な市場」にも公正さと規律が必要、と超一般論を述べておく。

-0066/安倍晋三内閣2006年誕生の意義。

 一 「安倍晋三首相の誕生は『歴史の必然』であった」と帯にある辻貴之・「保守」の復権(扶桑社、2006.10/二版)は日本人の国民性・政治・教育・社会の4章に分けての「保守」派の考え方又は「保守」というものの見方を教科書風に書いたような読み易そうな本で、既読の4章の最後の節(見出し)は「朝日新聞の悪」だ。
 その中で言及・引用されている中西輝政の予想(p.222~3)に微かな怯えを感じた。この欄の10/22に「もっぱら戦後教育のみを受けた者たちが指導的中心層となってどの程度適切・的確に国家・社会を運営していけるか、心配なくもない」と書いたのだが、中西は日本は冷戦後も安心できず「左翼」は日本社会の枢要部分に目立つことなく入り込んでいるので、「昭和10年代後半から団塊世代も含めて、35、6年以前生まれまでの世代が頂点に来たときこそ、この国が一番厄介な形で左傾化し、日本は深刻な崩れの時代に入ってゆくだろう」と書いていたようだ(初出は2002年9月)。
 <昭和10年代後半から…35年以前生まれまで>とは1945年~1960年生れで「もっぱら戦後教育のみを受けた者たち」であり、「頂点に来たとき」を55~65歳とすれば2000年~2025年だ。まさに現在、「一番厄介な形で左傾化し、…深刻な崩れの時代」にすでに入っていることになる。
 アジアでは冷戦は終わっていないと書いたことがあるが、日本国内にもまだコミュニズム及び「容共」勢力は存在している。基本的・根本的「対立」は終焉していないのであり、抽象的な言葉だが、中西の言うような(共産党・社民党といった目立つ存在以外の)巧妙な・隠れた「左翼」に注意する必要がある。「何となくの」反体制も朝日新聞の読者を中心にかなりいるだろう。
 上のように中西は書く一方で、2000年の時点で憲法改正を強く望み期待する発言もしていた。
 同・いま本当の危機が始まった(文春文庫、2004)によれば、「戦後の真只中で教育を受け、…すでに十代の半ばから、憲法の改正なくしては、どうもこの国は「まともな国」になり得ないのでは、と感じるようになっていた、…青年期に、この憲法九条という「大いなるウソ」に気づいた瞬間、私の人生は大きな意味で方向づけられた…。根本に大きな「ウソ」がある国が、いかなる理想やきれいごとを並べようとも、…結局「最後の破綻」を大きくしているだけではないのか」(p.196~7)。
 私とまるで違った、ほぼ同世代の中西の感受性に感心し、自らの知的怠惰を恥じるばかりだ。
 二 私の感慨は別として、中西は「ベルリンの壁が崩壊した瞬間、はっきり『九条改正は今や不可避になった』と感じた」と書き、当時は「2010年」頃までの「達成すべき目標とも考えていた」が、その後の中国の情勢・動向を見ると急ぐべき旨を強調している。それこそが「日本のサバイバルに不可欠な戦略の営みであり、国としての『生きようとする意志』の発露なのである」、と(p.230-2)。
 こうした中西からすると改憲を政策目標として明確に掲げる安倍内閣の発足は大々歓迎だったに違いない(反面では、この人が安倍のブレインの一人とされることがあるのも分かる)。
 と、こういう具合なので、中西は2000年以降を悲観的にのみ見てはいないと考えられる。但し、厳しい「左翼」との「闘い」が不可避なことは当然に予想しているだろう。
 私もまた、安倍内閣が何年続くか、憲法改正に少なくとも道筋をつけられるかどうかが将来の日本の姿を大きく変えるに違いない、と「感じて」いる一人だ。
 憲法改正を政策課題と明言する首相は安倍の祖父・岸信介以来だ。前回冒頭に触れた辻貴之の本は二人の間の空白を「失われた半世紀」と表現し、その間の「損失は、あまりにも大きい」と述べる(p.4)。
 1951年生れの辻ともほぼ同世代の私は、小学生時代から現在まで、この「失われた半世紀」を生きてきたことになる。この半世紀の間、経済成長と物質的生活の豊かさ以外に日本はいったい何を獲得したのか、と想起すると、この指摘は少なくとも全面的には誤っていないだろう。
 なぜ憲法改正が現実的問題にならなかったかについて簡単に書けはしないが、一つに旧社会党等の反対政党が国会議席の1/3以上を占め続けたこと、二つに自民党自身が結党の精神を忘れたかのごとく地元利益代表や派閥争い、ひどくは「金権政治」という経済主義の政治版を演じて、(党の大勢は)国家・国益を放念していたこと、を少なくとも挙げてよいだろう。
 前者に、あるいはひょっとして後者にも影響を与えたのは、コミュニズム・容共勢力(朝日新聞を含む)の似非又は戦術としての「平和」主義だった。筑紫哲也・本田雅和・加藤千洋といった人名を特定しつつ朝日新聞等を明示的に「毅然と」批判する安倍内閣の登場によって、時代は少しは転回しつつあるようでもある。
 この日記09/26で安倍は「小泉純一郎と同じではない」旨を記したが、歴史認識・時代認識の精度・深さでは、小泉
は安倍にとても敵わないように思う。安倍のもとで時代・社会はどう変わるか。

-0065/安倍晋三現首相は2005年01月14日にこう語った。

 中西輝政の日本の「敵」(03.10)、日本の「死」(05.02)につづく「日本の選択を問う第三作」の日本の「覚悟」(05.10、文藝春秋)を入手し、第11章と第14章を読んだ。現在に近いだけに臨場感がある。
 14章は「『朝日』の欺瞞を国民は見抜いている」との題での05.01.14に行われた安倍晋三との対談で諸君!05年3月号が初出のもの(原題は「慰安婦も靖國も『朝日問題』だ」)。
 現首相の当時の発言を要約して又は一部引用して記録にとどめておく。
 1.「A級戦犯分祀」論批判-「A級戦犯」で有罪判決を受けた人は25名、死刑でなく禁固刑でのちに釈放された重光葵元外相も含む。「中国側の言い分に従って、東京裁判の正当性を認め、A級戦犯の責任を改めて鮮明にするのであれば、重光さんからも勲一等を剥奪しなければ筋が通りません」。重光の他にのちに法相となった賀屋興宣もいるが、こうした旨を安倍は今年9月にも民主党・岡田克也に答えて述べていた。岡田は有効な反論をできなかったが、この対談でのかなり詳しい安倍発言の内容をおそらく知らないままだったのだろう。
 2.対NHK「政治圧力」問題a-2001年にNHKが報道した「元朝日新聞記者・松井やよりなる人物が企画した…イベント」である「女性国際戦犯法廷」は昭和天皇を「性犯罪と性奴隷強制」の責任で「有罪」とした異常な「疑似法廷」で、「検事席に座っていたのは、なんと北朝鮮の代表二人。いずれも対世論工作活動を行っているとされ」、日本再入国を試みたときは政府はビザ発給を拒否したような人物たちで、うち一人は「黄虎男」という。01/13のテレビ朝日・報道ステでこの旨指摘すると、朝日編集委員・加藤千洋氏は不審そうに彼は金正日の「首席通訳」なのに「工作員なんですか?」と質問し、かつ自分は彼と「面識があります」とも言った。加藤氏は「工作」の意味が分からず、かつ「工作」の対象になっていたのでないか。昨日この日記に登場させたばかりの朝日・加藤千洋の「お人好し」ぶりを安倍は皮肉っている。
 3.対NHK「政治圧力」問題b-「松井氏らの茶番法廷」につき「主催者の意向通りの番組が放送されるらしいというのは、当時、永田町でも話題」だったが「この件について私がNHKを呼びつけたという事実はまったくありません」、幹部が「予算・事業計画の説明に来訪した折、向こうから自発的に内容説明を始めた」のだが、「良からぬ噂は私の耳にも届いて」いたので「私は「公平、公正」にやってくださいね」という程度の発言」はしたが「与党議員、官房副長官として、圧力と受け取られるような発言をしてはならないという点は強く自覚して対処」した。
 しかし、「朝日は、私の反論、回答要求に、何ら新たな根拠や資料を示すこと」がなかった。秋月が口を挟めば、にもかかわらず朝日は謝罪も訂正もしなかった。外部者から成る委員会が「真実と信じた相当の理由はある」などと言ってくれたのを受けて、取材不足だが真実でないとはいえない、と結論づけて自ら勝手に幕を閉じた。外部者の委員会(「「NHK報道」委員会」)の4委員名、丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長、原寿雄・元共同通信編集主幹、本林徹・前日弁連会長、長谷部恭男・東京大(法)教授、も永く記憶されてよい(肩書だけはみんな立派そうだ)。
 4.「法廷」と朝日の安倍攻撃の背景-2001年頃には拉致問題が注目され始めたので、北朝鮮は被害者ぶることで「日本の世論における形勢を立て直そうとしていた」。そこで、「日本の過去の行状をことさらに暴き立てる民衆法廷のプランが浮上したのでしょう」。
 2005年の1/12に朝日は中川経産相とともに「事前検閲したかのような記事を載せた」が、「4年も前の話を、なぜいまこの時期に?」、 かの「法廷」に「北朝鮮の独裁政権が絡んでいたことを考えると、私がいま経済制裁発動を強く主張していることと無関係とは思われません」。秋月には、日本国内の朝日系人脈やフェミニストの「右派」・「国粋的」安倍攻撃で、北朝鮮は資金援助等の協力者というイメージだったが、安倍自身は北朝鮮こそが最奥にいる「策謀者」と想定しているようだ。とすると、朝日は意識的にか結果的にか北朝鮮に協力したことになる-成功はしなかったが。
 5.朝日への姿勢-中西の「従来から朝日の安倍さんへの個人攻撃はどう見ても常軌を逸しているとしか思えません」との発言をうけて、「こうした報道姿勢がいかに薄っぺらな、欺瞞に満ちたものであるか」を「国民は見抜いている」、「いままで朝日新聞が攻撃した人物の多くは政治的に抹殺されてきた経緯があり、みな朝日に対しては遠慮せざるを得なかった。しかし、私は…朝日に対しても毅然とした態度をとります。自分は、国家、国民のために行動しているんだという確信があれば決してたじろぐことはない」。
 以上、長くなったが。対談の最後に中西氏が「朝日新聞は戦後日本を支えた大宰相に対してのみ、常に厳しい態度で臨んできた」として、吉田茂、鳩山一郎、岸信介と中曽根康弘を例示している(「宮澤喜一さんにはまったく違う態度だった」という)。とすると、安倍晋三にも「大宰相」になる資格が十分にある。

-0064/高山正之・歪曲報道(2006)-マスコミの広告主は? 

 高山正之・歪曲報道(PHP、2006)を一昨日読了。
 朝日等々の「偉業」のいくつかを新たに知ったし、「義憤」めいたものも改めて湧いた。
 逐一紹介するとキリがないが、2005/05/18のテレビ朝日・報道ステーションではかつての北朝鮮帰還事業を「壮大な拉致」とする「当時の関係者」発言に対し、古館伊知郎は日本での「迫害」と「差別」で「たまらず北に帰る気になったのでしょうか」と言い、朝日新聞社派遣?の加藤千洋はしたり顔で「そうです」とだけ答えた、という(p.94-95)。
 馬鹿言っちゃいけない。朝日も<北は地上の楽園>と喧伝したマスコミ煽動者の一つでないか、と書きたくなる。
 それにテレビでは「スルー」とか言うらしいが、例えば中国に都合の悪いことは書かないという、「ボツ」化・「ネグり」という消極的な虚報も朝日はしばしばしているようだ。
 TBSへの怒りも甦る。知らなかったが(又は忘れたのか)、「成田闘争」の頃、中核派のために「警察の検問を受けない報道車両」で武器を運び込もうとした、という(p.47)。
 TBSはオウムの殺人や過激派の暴力の「協力者」だ。発言内容の一部カットとかの「偉業」もよく知られているが、ニュース23の放送元?であることも含めて、今も放送局でいられるのが信じ難い。
 というような感想も抱かせる本だが、各件の内容は詳細ではないし、少なからず各件の(社説等の)年月日が記載されておらず、資料として用いるには難がある。<朝日新聞「偉業」大全>といった詳細な記録集をどこか・誰かが発行しないだろうか(朝日に限らなくてもいいが)。
 衆院補選の翌日23日に菅直人・亀井静香・辻元清美の3人が同じ選挙カーの上に並んで立っている映像を見た。
 のちに思い出してしまったのは、そのグロテスクさのゆえにだろう。元警察官僚で当初は自民党福田(三塚)派だった亀井が、いくら小泉憎しといえども社民党と「共闘」することはないのではないか。
 詳細な知識はないが、政治「思想」は安倍晋三とも似ているかもしれない、弁も立つ有能な政治家(のように見える人)がこのまま「働き場」をなくすのは勿体ない。余計かもしれないが、国民新党代表代行とかに縛られて民主党候補を支持しているようでは将来は暗い。
 今日の読売新聞社説は、教育基本法改正案の審議に関して他の野党(共産党・社民党!)と同一行動をとる民主党を「かつての社会党と何も変わらない」と厳しく批判する。「日本を愛する心」を盛り込んだ改正案をもつ政党がいったい何をしているのか。

-0062/日本のマルクス主義的学者は1989/91年以降どうなったか。

 ドイツの現首相・メルケルは旧東ドイツ地域の出身で理学系の研究者だった。彼女が社会系の学者だったら今の地位はなかっただろう。マルクス主義そのものや、マルクス主義にもとづく経済学・歴史学あるいは国家制度・法制度の研究者・教育者は、東ドイツ(「ドイツ民主共和国」)が西ドイツに併合される前後におそらく全員が職を失ったはずなのだ。
 東ドイツの共産党(社会主義統一党)書記長だったホーネッカーは有罪とされチリへ逃亡(亡命?)した。旧体制構成員そのもの又は積極的協力者として逮捕・拘禁された研究者・教育者もいたに違いない。
 ソ連と東欧での共産主義の敗北は旧体制側の人々(一般庶民もだが)の人生・生活を大きく変えたはずだ。
 しかるに、かの国々の旧体制のイデオロギーであった共産主義の理想を信じ、マルクス主義の立場で研究していた日本国内の数多くの研究者・教育者の生活・地位は、東ドイツの消滅・チェコ等の脱社会主義化によっても何ら影響を受けなかった。むろん、例えば東ドイツの労働者文学の研究者や東ドイツ「社会主義」の歴史研究者が多かれ少なかれ動揺しただろうことは想像に難くない。しかし、彼らは大学等での地位を失うことはなく、表向きは、研究のテーマは巧妙に?変えたとしても、従来どおり大学教授・助教授等でいることができた。
 彼らにとって日本とは何と自由で住みよい国だろう。しかも、経済学・歴史学・社会学や法学の一部等々では、そのような「マルクス主義」的研究者の数は決して少なくなかったと思われるのだ。
 むろん、ソ連や東欧諸国は「真」の「社会主義」国ではなかったとの日本共産党の言明に救いを見出し、なおも共産主義社会をめざすことを綱領に掲げる日本共産党の党員たる研究者も数多く残っているだろう。
 一方には現実の生活と社会的地位が激変したマルクス主義者たちがいるのに対して、影響は心理的・精神的なものにとどまった極東の国のマルクス主義者たちもいる。
 このことを私は、じつに奇妙なことだと感じている。しかし、日本の社会はほとんど問題視していないようだ。日本社会は欧州での激変・共産主義の敗北の現実があってもなお、諸思想に「寛容」で、共産主義・社会主義的考え方にも「自由」を認める。
 繰り返すが、マルクス主義者たち又はその許容者たちにとって日本とは何と自由で住みよい国だろう。しかし、そのことこそが日本の社会が蝕まれていく大きな原因になっているのではないか、とふと真剣に考える。

-0061/民主党は頑張った。しかし、「新鮮さ」はもうなく、将来は暗い。

 10月22日の衆院補選民主党は負けたが、二選挙区ともに投票者に対する得票率は昨年9月の総選挙時よりも上げており(神奈川32.7→40.3%、大阪39.7→41.7%。自民党はいずれもやや下げている)、その点では善戦で「どぶ板選挙」の効果はあったのかもしれない。
 新聞でほとんど触れられていないが、共産党は神奈川で11642票、大阪で19537票減らし、得票率も神奈川8.0→4.9%、大阪9.7→8.0%と明らかに減少させた。
 補選では党の余力を二選挙区に回せるはずなのにこの数字だ。来年7月頃の北朝鮮情勢等がどうなっているか分からないが、この党は参院選挙も経て緩やかに消滅方向に向かうのではないか(と期待している)。
 福田和也という人の本は読んだことはないし、週刊誌のコラムもとくに印象に残ったものはなかった。しかし福田は、文藝春秋11月号p.160~163でいい指摘をしている。
 福田はまず、朝日新聞の9/27記事が安倍内閣の陣容で「小沢民主党に対抗できるだけの迫力」を出せるかと疑問視したのを、民主党又は小沢への「贔屓の引き倒し」だとする。そして、小沢民主党を過大に見せようとすることに「メディアの貧困が救いようなく露呈している」と切り捨てる。
 次いで小沢や民主党の批判に移り、「昔なつかしい…何でも反対の野党ぶりを、演じている」、それは「参院選の勝利、政権奪取」のためなら「短期的には国益を犠牲にしてもかまわない、という小沢的マキャベリズム」、安倍内閣を「論功行賞内閣」というなら、民主党のネクスト内閣は「典型的な派閥均衡型」だ等々。
 そして、私も所持だけはしている小沢の13年前の書物に福田は触れて、「13年が過ぎて、みずからの理念が大方実現してしまい、時代に追い抜かれてしまったことを率直に認めるべだろう」等と締め括る。
 まことに鋭く、かつ同感だ。
 安倍自民党にとっては、民主党が小沢を戴いたまま今のような政府対応をしてくれている間に来年の参院選を迎えることは、他の新鮮な?党首の下で対北朝鮮政策についても「国益」の観点から政府に協力しもする民主党と対決するよりは楽なのではないか。
 民主党は小さな分裂も経て、将来的には大分裂するのでないか。その際、東アジア政策や「大きな政府」維持論等の共通性から、河野洋平、加藤紘一らと民主党の旧自民党勢力は、合同したらどうか。自民党が衆院で480のうち殆ど300議席を占めているのは、やや多すぎると感じなくもない。
 また、民主党内の旧社会党勢力は社民党に移るのがよい。人間関係の問題を全く知らないまま書いているのだが。


-0060/小沢一郎・鳩山由起夫・岡田克也はもともとは自民党旧田中派系。

 「戦後」に「団塊」世代が享受しえたのは間違いなく経済成長に伴う生活水準の向上であり、「自由」保障も「民主主義」も戦前に比べて多少はマシだったかもしれない。
 但し、「自由」はしばしば放恣に流れて<規律・秩序>が損なわれはしなかったかという問題はあるし、「民主主義」はそれが日本的なものにならざるをえないとしても、成熟したとはとても言えない。
 何よりも、経済的豊かさと個人的「自由」は得たとしても、家族・地域・国家という<共同体>の無視・軽視は著しいものがあったような気がするし、かつては多くの日本人のもっていた自然や人知を超えた現象に対する<宗教的>感情も相当に失われてしまった。
 日本は、日本人は、と問うとき、とても「戦後」の全面的肯定など(立花隆のように「戦後」を享受して大満足の人もいるかもしれないが)できず、そのような時代に生き、時代に加担してきたことについては私もまた少なくとも部分的には「自己否定」的感情が生じることを否定できない。
 さて、衆院補選は予想どおり、自民党二勝。私の気分で正確にいえば、民主党は勝たなかった。安倍内閣発足後の民主党の主張等を見ていると、当然の結果ともいえる。
 もともと小沢一郎は鳩山・菅・岡田の後の前原がずっこけてようやく「昔の名前」ながらも知名度があったがゆえに民主党代表となったのであり、一時的・暫定的代表にすぎず、もはや「過去」の政治家ではないか。
 また、民主党は奇妙な政党で、小沢はもともとは自民党田中派の重要人物で少なくとも一時は金丸信の愛弟子だったし、鳩山由起夫も自民党田中派出身、岡田克也は自民党竹下派出身でのちに小沢と行動を共にした人物だ。
 民主党は自民党の「田中派」的なるものを継承している人々を抱え込んでいるのだ。小沢を「安倍さんよりも右」という人もいる。
 小沢が党首討論の際に自らの見解としてでなくとも占領下制定憲法の「無効」性問題に言及したというのも不思議でないし、今回の選挙でかつての自民党のごとき「どぶ板選挙」をやったというのも分かる。
 そのような小沢のもとで旧社会党左派の某、「市民運動」出身の某とかがよく同居しているものだ。前原誠司らが周辺事態法適用問題につき小沢・鳩山・菅で合意したという適用反対論に反対しているらしいが、ひょっとしてこの党は来年の7月までに小さな分裂くらいはするのでないか。
 「政権交代」はあくまで諸政策・主張の勝利(相対的多数国民の支持の獲得)の結果であり、これだけを唱えても支持が増えるわけがない。

-0059/1945年から1950年生れを広義の「団塊」世代と呼ぶとすると。

 終戦の1945年に1925年(大正14年)生れの人は20歳で、大学に進学する極めて少数の人を除いて戦前の教育しか受けていない。三島由紀夫は1925年生。
 1930年(昭和5年)から1935年(昭和10年)生れの人は10歳から15歳で、戦前と戦後の両方の教育を受け教科書「墨ぬり」を経験したと思われる。
 1932年生れに石原慎太郎・江藤淳(・本多勝一?)等、1935年生れに西尾幹二・大江健三郎・筑紫哲也等がいる。
 これに対して1940年(昭和15年)以降生れの人は戦前生れであっても戦後教育しか受けていない(立花隆は1940年生)。1945年から1950年生れの少し広義の「団塊」世代が(占領期ではない)戦後の教育しか受けていないことは言うまでもない。
 計算しやすく1990年までを昭和としておくと、この年に上の「団塊」世代は40~45歳でまだ役所や会社の「指導」層ではなかった。かりに50~65歳を社会の指導的中心層とすると、昭和戦前のそれは明治生れの人々であり、1970年のそれは1905~1920年生れ、すなわち明治38年~大正9年生れの人々だった。昭和時代を指導したのはほとんど明治・大正生れの人たちだったのだ。
 昭和世代のうち「団塊」世代がこの指導的中心層になったのは1995年ないし2000年以降で現在に至っている。この時代はバブル崩壊後、欧州での冷戦終結後の「新しい」時代だったと言え、政治的観点からいえば1994~1996年の首相は日本社会党の村山富市だった(自社さ連立)。
 1995年には阪神淡路大震災・オウムのサリン事件も発生したのだが、この年以降頃に指導的中心層になったはずの広義の「団塊」世代は何をなしえただろう。今後何ができるだろう。首相が1954年生れの安倍に替わって広義の「団塊」はスキップされた感もあるが、菅直人・鳩山由紀夫・桝添要一・塩崎恭久・櫻井よしこ・中西輝政・関川夏央らはこの世代で、まだまだ活躍の余地はあるだろう。
 しかし、もっぱら戦後教育のみを受けた者たちが指導的中心層となってどの程度適切・的確に国家・社会を運営していけるか、心配なくもない。「戦後体制との訣別」を志向するとしても、その「戦後」に(ある人々はどっぷりと)浸って、ある意味では「うまみ」も味わっきたのがこの世代であり、「戦後体制」なるものの一部は、この世代の相当部分の人々の血肉化していると思われるからだ。
 1960年代末~70年代の言葉を用いるとすれば、この世代にとってある程度の「自己否定」を伴わないと、「戦後体制との訣別」は不可能だと思われる。

-0058/中沢新一は憲法の素人-憲法九条1項-と建築規制行政。

 憲法九条を世界遺産に(集英社新書、2006)を入手して中沢進一のあとがき的部分を見た。
 この中沢新一も、吉永小百合と同じく九条条1項を日本文としてしか読んでおらず、誤った理解に基づく間違った叙述をしている。
 異説もなくはないが、同項の「国際紛争を解決する手段として」の戦争とは国際法上の用語法の歴史的沿革から見て「侵略」戦争を意味する、と政府や学界多数説は解釈してきていることは間違いないのだ。
 1項で自衛権が放棄されていないことを前提として、2項による「戦力」不保持・「交戦権」否認のために「自衛戦力」は持てず「自衛戦争」もできない、しかし「自衛のための必要最小限度の実力」の保持まで禁止されてはおらず、現在の自衛隊はその範囲を超えていないため違憲ではない、というのが(最後の部分などは相当に苦しいが)政府の憲法解釈なのだ。
 この程度の基礎的知識もない二人の対談は、どのように新鮮・珍奇な表現・論法が言葉の上だけで用いられているとしても、建設的なものではありえず、当分読むつもりはないが、たんなる情緒・気分の発露にすぎないだろう。このような本がベストセラーになるとは、まともな国民的議論のためにはマイナスだ。
 イーホームズの藤田東吾社長の言動が話題になっている。
 建築規制行政において建築業界と自治体や国(国土交通省)の「癒着」あるいは前者の不正の「隠蔽」があれば当然に問題で(そのような可能性を私は否定しない)、また安全性を欠いたままのマンション住戸(「…大師駅前」)が販売されているとすれば由々しきことは無論で、マスコミは少なくとも同氏によって「告発」されている川崎市・国交省建築指導課等々を取材すべきだ。
 私は彼が積極的に嘘をついているとは感じないが、告発文等が「推測」の部分を含んでいることは否定できないのではないか。また彼の意図と離れて、アパ・グループが「安晋会」会員であることからこの問題を安倍や自民党と強引に?結びつけようとするのは「政治的」すぎるだろう。
 もう少し一般的にいうと、建築規制部署のみならず旧建設省でいうと旧建設経済局にあたる部署の業界との限度を超えた「癒着」も十分に考えられる。
 同様のことは都道府県の建設業法や宅建業法所管部局についてもいえる。
 適正な規制・監督を効果的にしないことにより、業界を「甘やかして」はいないか。
 マスコミ記者等は専門的知識が乏しい。したがって、彼らに任せるのはまことに心もとないが。

-0057/朝日新聞は進路とは逆の方向に光を照し続けてほしい。

 朝日新聞が退潮を防ぐために「ふつうの」新聞になることを願ってはいない。新聞自体を廃刊していただくのがベストだが、そうでなければ、日本が進べき方向とは逆の方向に光を煌々と当ててくれる、逆の意味での「導きの灯火」の役割を見事に果たし続けてほしいものだ。
 ところで、有田芳生につき、この日記の09/06で今は日本共産党とは「一定の距離を保っているようだが」と書き、09/21には「当時は党員だったかと思える」と書いたが、彼自身のサイト内を見ていて正しい推測だったことが分かった。
 彼が編集者の一人となって日本共産党「除籍」の原因になった『日本共産党への手紙』(教育史料出版会、1990) の古書が今日配達されてきたのは不思議な偶然だ。
 人の良さそうな彼はしかし、コミュニズム又は共産党幻想から完全には抜けきってはおらず、「反体制」的心情を残しているかに見える。共産党員でなくなることが例えば自民党支持者に変わることを意味するわけではないのは当然のことだ。また、上の本も正面からの共産主義批判・日本共産党批判ではなく共産党員そのもの又は共産党の強いシンパの15人が日本共産党への注文等を書いたものにすぎないので、当面は読まずに積んでおこう。
 有田は核武装検討発言の中川昭一、麻生外相を「酔っぱらいのように声高に持論を主張」すればいいものではないと批判しているが、「酔っぱらいのように声高に」という副詞には必ずしも客観的でない感情が入っていると思う。
 また、彼のかかる批判は今朝の朝日社説とも同じなのだが、朝日の「なんとも危うく、不見識な発言だ。…聞き捨てならない」との冒頭の文などは<やや>ヒステリック又は感情的な印象がある。
 一方、本日の産経社説は「核武装・もう思考停止はやめよう」と題して朝日・有田と対立する。このあたりにも国論の大きな分裂がわが国にあることを感じるが、今の危機には間に合わないとしても一般論としては産経を支持したい。
 核の抑止力が第三次大戦を防ぎ、かつ軍備拡大競争に負けたことはソ連崩壊の一因となった。核保有国・中国との将来の本格的「闘い」を想定しておく必要もある…。安倍首相が言った如く、国会議員の自由な議論を封じることはできない。ましてや、マスコミ、一般国民は何でも自由に検討し議論できる。特定のテーマについてのタブー作りは、言論の自由を自ら放棄するに等しい。

-0056/「底のない泥沼」と秋山社長も嘆く「朝日新聞の惨状」。

 今日のタイトルは週刊新潮10/26号p.32~35の記事と同じだ。
 朝日新聞紙上の週刊新潮の広告にはそのまま掲載されただろうか。これまで何度も、かかる言葉を朝日の広告面にそのまま載せるか否かで両者は「揉め」てきたのだ。
 それはともかく、同記事によれば、朝日新聞社現社長が某会合で同社の広告収入額の急激な減少を嘆き、具体的に90年に1981億円だったが05年は1413億円と500億円以上減少し今年も前年を上回ることはなさそう、と語ったという。広告収入は景況にもよるのだろうが、読者数の変化等の新聞に対する評価にも影響を受けるだろう。少なくとも、この記事は朝日新聞への評価の高まり・読者数の増加を示してはいない。そしてそれは当然だろうと感じる。
 朝日新聞の「偉業」はだいたい知っているつもりだが、次の件は知らなかった。
 1995年3/29の同紙栃木版で都知事立候補の石原信雄への同県幹部の餞別渡しを批判的に報道したが、写真まで掲載した「御餞別栃木県一同」と表に書かれた祝儀袋は同紙宇都宮支局記者自身が用意したものだった、という(3/31に朝日はお詫び記事掲載)。
 さすがに、いろいろな場所、いろいろなレベルで、なかなかやりますねぇ。
 今日買った高山正之・歪曲報道(PHP研究所、2006.10)の帯には「あなたは、まだ彼らを信じられますか? 朝日新聞、NHK、TBS…。」とあり、見事に一番目に名指しされており、当然に本文中で多くの朝日の「偉業」が言及されている。
 読了は未だだが、すでに何かで読んでいたとはいえ、2005年08/13の朝日が「つくる会」教科書採択の杉並区役所に2つの「市民団体」が押しかけて抗議した旨を報道したが、同日付の産経によると朝日のいう「市民団体」とは「過激派の中核派が支援する」某団体と「共産党と友好関係にある」某団体だった(p.110~1)、というのは面白かった。
 かかる団体を朝日は「市民団体」と書き、靖国参拝団体や「つくる会」支援団体は「右翼団体」と書いて区別する、というのはよく知られたこと。
 上の二つの事例は、国際・外交等に直接は無関係だから、まだ「かわいい」。
 最近の北朝鮮核問題に関する朝日新聞の記事は週刊文春10/26号p.127の櫻井よしこによれば「それでも米が悪い」旨書いたりしつつ「迷走」している。
 10/12の天声人語の「人類益の立場」で対処をなんて、口先だけでの抽象的なことなら何とでも言える、の好例だ。今のままでは朝日の退潮傾向は止まらないだろう。

-0055/某韓国人から金日成は3人いると1980年代に聞いてから。

 北朝鮮という国の異常さを知ったのはたぶん1992年に崔銀姫=申相玉・闇からの谺―北朝鮮の内幕―(上・下、文春文庫、1989)を読んでだ。北朝鮮の映画を「向上」させるために韓国の映画監督・女優夫妻を金正日の指令で「拉致」したというのだから、その「人間」・「個人」無視の精神には唖然とした。
 続いて、1994年頃に姜哲煥=安赫・北朝鮮脱出(上・下、文藝春秋、単行本)によって北朝鮮の印象は決定的になった。デマの可能性はあったが、これだけの全てを捏造することはできず、少なくとも大半は真実だろうと感じ、こんな国がすぐ近くに存在していることについて信じ難い思いをしたものだ。これらを出版した文藝春秋の勇気?は称えたい。
 他にも若干の本は読んでいて、平均的日本人よりは北朝鮮の実態を知っていただろう。従って、日本人拉致問題に詳しくはなかったものの、2002年9月17日に金正日自身が拉致の事実を認めたとき、驚天動地の思いではなかった。この国なら何でもする、と感じていたからだ(むしろ認めたことの方に驚いた)。
 北朝鮮の歴史の知識もすでに持っていて、種々の金日成・金正日伝説は「ウソ」らしいと知っていた。
 市井の一日本人が若干の文献から「ふつうの感覚」でそう思っていたのに、より多くの情報に接する可能性があるはずの日本社会党等々の政治家たちが北朝鮮に「騙され」、日本共産党もまた「疑惑の程度に応じた」交渉を、などと能天気なことを言っていたのはこれまた信じ難い。社会主義幻想と朝鮮総連との接触の成した業だったろうか。今でも北朝鮮にはできるだけ甘く、米国や日本政府にはできるだけ批判的又は揶揄的に、という姿勢がかいま見える人々がいるしメディアがあるのは困ったものだ。
 そうしたメディアの代表は朝日新聞だが、朝日を批判する本又は論文・記事を一部抜粋して引用していくだけでもこの日記は続けていけそうだ。
 読売論説委編・読売VS朝日・社説対決北朝鮮問題(中公新書ラクレ、2002)の中で作家・柘植久慶は言う。
 「一方の朝日新聞の社説となると、悲惨なくらい過去の主張や見通しの外れているのがよく判る。これは…空想的社会主義と共産主義諸国に対してのダブルスタンダードが、ベルリンの壁の崩壊とソ連―社会主義の終幕によって、一気に価値を喪失したから…」、「地盤沈下の著しい左翼政党―共産党や社民党と同じように、朝日もまた地盤沈下の同じ轍を踏む危険性が大きい」(同書「解説にあたって」)。

-0054/中国・南京大虐殺記念館、本多勝一に授賞。河野洋平へは?

 やや旧いが、週刊新潮10/12号p.47によると、中国「南京大虐殺記念館」が9/24に元朝日の本多勝一他1名に「特別貢献賞」を授与した、という。
 所謂東京裁判で触れられていたが70年代に「南京大虐殺」を呼び醒まして教科書に記載されるまでに至らしめたのは本多勝一だった。受賞を彼は喜んでいるだろう。だが、中国共産党の支配と「南京大虐殺記念館」は永続するだろうか。真っ当な歴史認識をもつ新政権と社会が支那に生まれれば、記念館の外観・30万受難者を刻む大きなメダル・楯を伴う今回の受賞は紛れもなく「売国」=「反日本人」の証となるのでないか。
 動きに関する多少の情報は読んだかに思うが、読売新聞の本日5/16社説によれば、米下院の一委員会が「従軍慰安婦」にかかる日本非難決議案を議決したという。外務省はいったい何をしていたのか。読売のタイトルどおり「日本政府はきちんと反論せよ」。
 この事態は、1993年05月に宮沢内閣官房長官・河野洋平(現衆院議長)がきちんとした証拠もなく「慰安婦強制連行」を実質的に肯定する談話を発したことに遡るだろう。
 江沢民の時代だったので一部で「江の傭兵」とまで言われたらしい河野は、今からでも誤りを日本国民に詫び全世界に発表すべきだ。それとも朝日新聞のように、広い意味での「強制性」はあったと誤魔化して平然と議長席に座っているのか。
 朝日新聞・日本共産党等々もそうだが、戦後日本が行き着いた現状については自民党の責任も大きい。
 1994年に自社さ連立政権が成立したことには、与党復帰という政治的願望があったにせよ、マルクス主義者・社会主義者を忌避しない河野洋平が自民党総裁だったことも与っているはずだ。こんな人を抱え込みかつ要職に就かせるのだから、かつての自民党も骨・芯がない。社会主義と戦う強い意思を持たない者が自民党内にいくらでもいたのだ。
 福岡県筑前町教育長が昨日、教師による自殺生徒への「いじめ」を明確に肯定していたのが記憶に残ったが、今日校長は「いじめ」は認めつつ自殺との間の因果関係を否定する(少なくとも肯定しない)姿勢に変更?した。
 因果関係を肯定すれば町には明らかに遺族に対する損害賠償責任が発生する。訴訟で不利となる発言を慎むようにとの法律的「助言」が誰か又はどこかの機関からあったのではないか。

-0053/北朝鮮危機-李英和・強硬には超強硬!が適切。

 鷲田の本をほぼ読了。「岩波の総合雑誌『世界』や『思想』は、すでに死に体である。朝日新聞社が次々に試みる総合誌、オピニオン誌も、ばたばたと消える」(p.186)。これが事実ならいいのだが。
 「世界」や「論座」の(「諸君」や「正論」もだが)販売実数はどうすれば分かるのだろう。朝日が出すらしい何とか「新書」も売れ行き低迷で「消え」てほしいものだ。むろん、朝日的なテーマ設定、執筆者人選が行われるに決まっているから。
 数日前に気づいていたが、朝日新聞10/12社説「ニュー安倍・君子豹変ですか」はヒドい。若宮啓文なのかどうか、こういう文を書く人の人格・品性を疑う。立ち入りたくもないが、「首相になると一転、ソフト路線で支持率を上げ、参院選を乗り切る。地金を出すのは政権が安定してから……。そんな邪推をする人」こそ社説子で、かつ「邪推」でなく、思い切り叩き罵倒するために「期待」しているのでないか。
 そういえば読売編集の社説対決・読売対朝日が中公新書ラクレで3冊出ている。朝日が自らの社説に自信があるなら、朝日の「新書」で読売又は産経の社説と比較分析して公にしたらどうか。
 朝日新聞10/13社説は「日本が先行して厳しい措置をとったことで中韓など関係国との足並みが乱れては逆効果になる。単なる国内向けのパフォーマンスと勘ぐられないためにも、関係国間の結束を第一に考え…」と安倍内閣の決定にケチをつける、「あっち」向いたことをのたまう。中韓日の足並みが揃うわけがない。バカではないか。
 読売新聞10/15社説は「日本の安全を損ねる憲法解釈」と題して、1.集団自衛権行使不可の(従前の)政府解釈や2.武器使用基準の再検討を提言している。内閣は最高裁判決の解釈には実質的又は事実上拘束されるが、1.の基礎の解釈を示した内閣法制局はたかが内閣の補佐機関で、内閣を永続的に拘束するはずがない。憲法改正は間に合いそうにないが、現行法制に事態対処のためには不備があるとすれば、当然に改正又は新法制定すべきだ。朝日よりも読売の方が適切・冷静なのは言うまでもない(読売を全面支持はしないが)。
 午後のTV番組で田嶋陽子は北朝鮮に「アメリカと話し合う」機会を与えるとの意見を示した。
 ヒトラーに対するチェンバレン(英国)の宥和政策の失敗、北朝鮮へのクリントン政権の穏和的姿勢の失敗を見ても、絶対化・一般化は無理としても、「強硬」姿勢には「超強硬」姿勢で対応・制裁すべきだろう。

-0052/「学界」外の者の発言でも正しいものはある-井沢元彦・安本美典ら。

 ○ 大学で「哲学」を講じている人の殆どは西欧の誰かの「哲学」の研究者(学者)で、「哲学学」者であっても「哲学者」ではなく自らの「哲学」を語ってはいないという印象があったが、少なくとも鷲田小彌太という人は違うようだ。
 鷲田小彌太・学者の値打ちをさらに80頁読み進む。
 西田(幾太郎)哲学は複数の異なる外国哲学の何でもありの受容(「借用」・「受け売り」)だ旨の指摘(p.23)にド胆を抜かれたが、その他、色々と考えさせられて刺激的だ。
 彼によれば、彼は25歳半ばからマルクス研究を始め40歳台でマルクス主義を「克服した」らしく、丸山真男政治学は「マルクス主義政治学の亜種」で、彼の弟子たちが学会から消えるに従い丸山の「名声」は弱まる(p.108)、等々。
 大学教授は「知識人」ではなく特定分野の「専門家」にすぎない、と思ったことがあった。
 ここでは「知識人」は社会のほとんどの諸問題に広い「教養と知識」を背景にしてマスメディアに発言する能力のある人とのイメージだった。
 これに関連して鷲田の上の本p.180は「大学教授の大半は、知識人とさえいえない」、「競争原理」が全く働かず、その「知識や技術」の「水準は問われない」からだ、と言う。つまりは私のいう「専門家」かどうかも「大半」は疑わしいというわけで、厳しい。
 アカデミズムとジャーナリズムの関係等の話も面白い(但し、立花隆の肯定的評価は承服できない。鷲田も立花・滅びゆく国家を読めば評価を変えるはず)。
 「かつてアカデミズムの権威が有効な時代があった。大新聞の論説が世論形成に与った時代があった。しかし、パソコンを媒介にしたこの社会では、個人発であるか、大学発であるか、大新聞発であるかで、情報価値に根本的差違はない」との指摘は全くそのとおり。
 知識・情報を大学・マスコミが独占しているはずがない。
 ○ しかし、妙なアカデミズムは残っているように見える。
 鷲田の本から離れるが、例えば、井沢元彦の研究・諸指摘(学界の「方法」的欠点も含む)を日本史学界はたぶん完全無視だろう。
 また、安本美典の古代史論、邪馬台国論は説得的な部分があると思うが、安本が日本史(古代史)プロパーではない(もともとは言語学、次いで心理学も)ことを理由に古代史学界はこれまた完全無視でないか。
 出自が何であれ、誰が述べようとも、正しいものは正しい。誰の問題提起でも適切ならば、適切なはずなのだ。鷲田によって「学界」の傲慢さも思い起こした。

-0051/吉永小百合様へのラブ・レター。ついでに朝日の「言葉」とは?

 「団塊」世代のマドンナ・吉永小百合様が岩波ブックレット・憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言(2005.08)の中で、こう書いている。
 「人間は『言葉』という素晴らしい道具を持っています。その道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく――報復ではなく、半歩でも一歩でも歩み寄ることが『言葉』を持つ私たちの使命だと思います」(p.18)。
 「言葉」という「道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく」ことができれば、それに越したことはない。「粘り強く話し合」っても何ら誠意をもって対応せず、言葉と矛盾する行動を平気で行う人や国家が存在するからこそ問題なのであり、経済的・軍事的「圧力」も必要になるのだ。
 美しい心の小百合様には、国民を餓死させ、開発凍結と言っておいて平気で核実験実施をする国家の存在を想像すらできないのだろう。
 彼女はまた、「命を大切にすることは、憲法9条を大切にすること。国際紛争を解決する手段として、武力行使は永久にしないと定めた憲法は、人間の命を尊ぶ、素晴らしいものです」と憲法九条を讃える。
 しかし、残念ながら小百合様には基礎的素養がなさそうだ。「国際紛争を解決する手段」としての武力行使の禁止は「侵略」戦争の放棄の意味であり9条1項が規定している。そしてこれは日本国憲法に限らず今日の世界においては当然のことなのだ。憲法改正に際しての焦点は、「戦力」不保持、「交戦権」否認の9条2項をどうするかにある。「戦力」不保持・「交戦権」否認の憲法があるがゆえにこそ外国からの攻撃によって日本国民の生命が奪われることを有効に防止できないとすれば、「憲法9条を大切にすること」は日本国民の「命を大切に」しないこと、を意味することになる。
 このように、小百合様の文章は美しいが、戦争反対という情緒(これ自体を悪いとか誤っているとかは言わない)が書かせたものにすぎない。
 朝日新聞社が<私たちは「言葉」の力を信じます>とかのコピーで宣伝しているが、小百合様の上の文章にヒントを得たのではなかろうか。
 それはともかく、朝日は、事実を否定し又は存在しない事実を作り出す(「捏造」)ために「言葉」を用いた、あるいは「言葉」の力によって虚報をさも真実のごとく装ったことがある。当然ながら「言葉」の力は良い方向にも逆の方向にも働きうる。それが明確でないコピーは「言葉」の力でウソを真実に変えますと言っているようで気持ちが悪い。


-0050/北朝鮮の核実験実施と鷲田小彌太・学者の値打ち(ちくま新書)。

 10月9日、北朝鮮が核実験成功と発表。安倍首相が東京に着いて航空機内から出るときの姿はさすがに相当疲れているように見えた。彼は「空気の宰相」ではなく小泉前首相と違って「論理」と「骨」があると思っており、今日の勝谷誠彦日記には賛成だ。
 この時期に「あっちむいてホイ」の「あっち」を向いた動きがあるとは、「平和ボケ」はなかなか治らないと感じる。
 鳥越俊太郎を含む人々は日本の核武装論はもちろん日本が正規軍をもつための憲法改正にも反対し続けるのだろう。もともと中国は核保有国で日本を核攻撃する能力・技術をすでに持っている。当然にこのことも意識して、対米関係に留意しつつ、これまで関心がなかった国民も含めて自国の「安全保障」のあり方を考えてみるべきだ。
 安倍内閣が河野談話・村山談話を踏襲するとしたことに、彼のかつての持論維持を期待した人たちからの批判もありうる。
 昨日の朝日新聞のたぶん3面に(記憶のみだが)本来の支持者「反発も」という見出しがあった。これは、<安倍さんはかつて述べていた持論を封印して中韓に擦り寄ってますよ、さぁ彼の「歴史認識」に期待していた支持者の皆さん、「反発」しましょう>という煽動だと理解すべきものだ。安倍がかつての持論をそのまま展開すれば中韓が反発し、それ見ろと朝日が激しく安倍批判をするのは目に見えている。朝日はいずれにせよ批判的・揶揄的スタンスを変えない。
 朝日新聞10/07社説の見出しは「安倍政権、ちょっぴり安心した」だったが、ひょっとして本音は「残念」ではなかったか。安倍を「先の大戦を『自存自衛の戦い』と位置づける。日本政府の『謝罪外交』を批判し、歴史教科書の『自虐史観』に修正を求める」「議員グループなどで中心的な役割を果たしてきた」と認識している朝日にとって、振り上げた拳を降ろせない状況になったからだ。
 昨日は古書店にも寄って鷲田小彌太・学者の値打ち(ちくま新書、2004)等10冊余り購入した。この本の類書はたぶんほとんどなく、一気に100頁過ぎまで読んでしまった。

-0049/故郷も親も完全に憎むことはできない、自分の一部だ。九条の会賛同関西歴史研究者。

 西尾幹二が何かの本で(多すぎてそのときに何かにメモしないと憶えられないが、いちいちメモしていると読めない)西洋史学者(研究者)の八割はまだマルキストだ旨を書いていた。
 世間相場と大きく違うが、日本史中心の「『9条の会』に賛同する関西歴史研究者の会」についても西洋史と同様のことがたぶん言える。
 その呼びかけ人は、以下のとおり。
 赤澤史朗(立命館大)、猪飼隆明(大阪大)、井上浩一(大阪市大)、上野輝将(神戸女学院大)、梅村喬(大阪大)、大山喬平(立命館大)、奥村弘(神戸大)、長志珠絵(神戸市外国語大)、小西瑞恵(大阪樟蔭女子大)、小林啓治(大阪府立大)、小山靖憲(元和歌山大、2005年没)、末川清(愛知学院大・元立命館大)、鈴木良(元立命館大)、曽根ひろみ(神戸大)、高久嶺之介(同志社大)、武田佐知子(大阪外国語大)、塚田孝(大阪市大)、広川禎秀(大阪市大)、薮田貫(関西大)、山尾幸久(元立命館大)、横田冬彦(京都橘大)、渡辺信一郎だ。
 京都大を除く主だった大学は全て含んでいる。これらの人々の仲間や「弟子」はきっと多いだろう。
 烏賀陽弘道・「朝日」ともあろうものが。(徳間書店、2005.10)のまえがきの中にいい文があった―「故郷も、親も、完全に愛することも、完全に憎むこともできない。それは、切り捨てることのできない「自分の一部」になってしまうのだ」。
 思い出す10/06付朝日新聞社説の一部はこうだ。
 ―「時代の制約から離れて、民主主義や人権という今の価値を踏まえるからこそ、歴史上の恐怖や抑圧の悲劇から教訓を学べるのである。ナチズムやスターリニズムの非人間性を語るのと同じ視線で、日本の植民地支配や侵略のおぞましい側面を見つめることもできる」。

-0048/サ講和条約11条の<裁判>・<判決>に意味はあるか。

 安倍首相の「歴史認識」問題よりも北朝鮮核実験問題の方が重要と思いつつも、いくつかの本で読んだ講和条約・戦犯問題が国会で現に議論されていたのはなかなか興味深かった。
 講和条約11条の解釈については、「裁判」は「諸判決」のことと反論する保守派もいるが(小林よしのりも)、この欄の08/11で述べたように、そんな「訳語」のことを問題にしない安倍の解釈が適切と思う。
 簡単に買える小さな六法(例えば有斐閣ポケット六法)にも掲載されている講和条約(日本国との平和条約、1952.04.28発効)11条第一文は次のとおり。
 「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」。
 全27条や11条の第二文以下との関係・位置づけから見ても、これから日本国が東京「裁判」等の事実認定・理由づけ等を細かなことも含めてすべてに同意し、将来も国自体の「歴史認識」として有し続けるなどという解釈が出てくるはずがない。
 「承諾し」という語は、第一文後段の前提として、個々の諸判決の結論(とくに拘禁刑判決)に国としては異議を唱えない(異論を述べない、従う)との意味で用いられているのだ。
 再言になるが、誰が「戦争犯罪人」かの結論はもちろん事実認定・理由づけについてもそのまま将来にわたって自らの「歴史認識」とすべき旨を東京裁判終了後に述べていたのが、朝日新聞だった。

-0047/田中真紀子の大醜態。小泉前首相による解任は大正解。

 前回のついでに書いておけば、現存「社会主義」国以外で「共産党」と称する政党が存在するのは日本の他、フランス、ポルトガルのみだ。かつ、実質的になおプロレタリアート独裁を標榜し組織論として民主集中制を残しているのは、某情報ソースによれば、日本共産党のみだという。まことに日本はユニークな国なのだ。
 国会論戦をニュースや録画も含めて見ていると、北朝鮮の核実験実施声明に言及したのは自民党・中川昭一のみで、民主党は何ら触れていないのでないか。この認識が正しければ、民主党は主として歴史認識を用いた「安倍いじめ」に関心があり、日本(国民を当然に含む)と東アジアの平和と安全に目を向けていないという致命的な失態を演じている。
 北朝鮮に関して拉致問題にのみ触れ核問題に具体的に言及しなかった田中真紀子の質問・発言は大醜態だった。安倍はなぜ一人ででも平壌に残って膝詰め談判の交渉を続けなかったのかとの質問には唖然とした。
 この人を菅直人の次に配した民主党のセンスを疑う。岡田克也の講和条約・「戦争犯罪人」に関する質問のあたりでは安倍の方が知識・思考が深いと感じた。岡田克也は一面的な知識・見解しか知らないために、安倍の答えに対して質問とほぼ同じことを反復するのみで有効に反撃できていない。もっとも、国会論戦の詳細と適切な評価が昨夜のテレビニュースや今日の新聞で紹介されているかは疑問だが。
 田中真紀子は自らが2003年10月に「拉致家族の子供は北朝鮮で生まれたから本来なら北朝鮮に返すべきじゃないですか」、「(拉致被害者の)家族の国籍は国際法上は北朝鮮籍。外務省も知っているはずで、日本帰国は難しいとはっきり言うべき」と発言し、家族会等から「田中氏はすぐに発言を取り消し、謝罪して政治家として完全に引退すべき」と抗議されたことを忘れてはいないだろう。安倍に対して何故もっと頑張らなかったのか旨をよく言えたものだ。
 それにこの人の発言には身内の講演会等であってはじめて許容されるような無意味な比喩的話が多すぎるし、「媚中」的言辞も気になる(民主党に接近しているのも解る)。
 小泉純一郎がこの人を外相にしていたとは今思えば信じ難い。明確な「論功行賞」的かつ失敗の人事だったが、大失態の発現の前に首を切っておいてよかった。

-0046/日本共産党綱領の変遷・少年少女文学全集を思い出す。

 北朝鮮が3日に核実験実施声明を出した。その核弾頭が日本に向けられる日がくる可能性があるが、「九条の会」の人々はきっと切迫感・現実感が薄いに違いない。
 日本共産党は北朝鮮批判の声明を出した。だが、1962年のソ連の核実験のあと「ソ連の核はきれいな核」と主張して日本の原水禁運動を分裂させた(共産党系は日本原水協と略される)のは同党だった。同党は北朝鮮だけは中国・ベトナム・キューバという「社会主義」国と区別しているようだ。当然といえば当然だが。
 その日本共産党の綱領は1961年綱領以降にも何度か改正され、2004年1月のものが最新のようだ。だが、内容に本質的変化があったわけではない。
 以下、4号まで揃った雑誌・幻想と批評2号の金子甫「日本共産党の新綱領」(2004.06)に主として依拠する。
 1961年には「科学的社会主義であるマルクス・レーニン主義」だったのが76年にたんに「科学的社会主義」に改められた。
 三二年テーゼの「プロレタリアートと農民の独裁」は1961年「労働者、農民を中心とする人民の民主連合独裁」、94年「労働者、農民、勤労市民を中心とする人民の民主連合」の「権力」に変わった。
 また1961年・94年の「民族民主統一戦線政府」は2004年に「統一戦線の政府・民主連合政府」と改められたが、同党は戦前に「不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかった」としているので、これも三二年テーゼの「プロレタリアートと農民の独裁」の趣旨だろう。
 従って、1961年の「労働者階級の権力、すなわちプロレタリアート独裁の確立」が「…執権」に変えられ、この語も用いなくなった後、1994年の「労働者階級の権力」としてのみ残り、さらに2004年にこの語も削除された。しかし、三二年テーゼの「プロレタリアートと農民の独裁」という考え方が否定されたことには全くならない。
 さらに「二つの敵」に関して、2004年に「アメリカ帝国主義の対日支配」は「アメリカに対する異常なまでの従属状態」に、日本「独占資本の人民支配」は「大企業による政府に対する強い影響力」に改められた。
 こうした変更を見ていると、大人用の文学作品を子ども用に易しく書き直した少年少女世界文学全集の類を思い出してしまう(「レ・ミゼラブル」は「あゝ無情」だった)。
 マルクス・レーニン主義→科学的社会主義独占資本→「大企業」などが典型的で、かつ(少年少女世界文学全集類と同様に)本質的には何も変わっていない(はずな)のだ。

-0045/菅直人は辛光洙の北朝鮮帰国という「歴史」をどう思うか。

 菅直人が安倍晋三に国会で質問していた。安倍晋三個人、一国会議員としての安倍、安倍内閣総理大臣のそれぞれによって質問への回答は異なりうる。とりわけ歴史に関する首相としての見解表明は、政治的な、かつ近年では外交的な重要な意味を持ちうるからだ。
 録画した菅直人と安倍首相の質疑を見ていてそんな感想をまず持った。
 安倍個人は河野談話や村山談話に否定的のはずで、私も前者は誤りかつ完全な失策、後者は不正確と考えるが、しかし首相としてこれらを批判・否定できないのもよくわかる。国家行政の継続性からすると、否定すればその意味・理由が問題となり場合によっては新たな別の談話が求められるからだ。たしかに、安倍は逃げていた印象はあるが、逃げていること自体はやむをえないだろう。
 民主党を代表してこそ菅直人もじくりじくりと「安倍いじめ」的・本音誘発的質問をしていたのだろうが、「満州国をどう思いますか?」との質問へと至ってはさすがに異様な感をもった。岸信介が同国にどうかかわっていたのかの詳細は知らないが、国会の質疑で何故そんなテーマが出てくるのか。
 国会で、通州事件をどう思うか、廬溝橋事件のきっかけは何か、南京で何人死んだか等々の「論戦」を民主党はするつもりなのか、馬鹿馬鹿しい。
 そんな質問をした菅直人は民主党、少なくとも民主党執行部の「満州国をどう思うか」の回答を用意しているのだろうか。そもそも、民主党はその有力議員に限っても先の大戦にかかわる「歴史認識」を一致させているのか。社会党左派の生き残り(横路孝雄ら)と小沢一郎と菅直人と西村慎吾において共通の「歴史認識」があるとはとても思えない。
 民主党の中では菅直人は最悪の印象はない。しかし、かつて北朝鮮による日本人拉致の主犯格だった辛光洙(シン・グァンス)が85年に韓国で拘束されたあと89年に「解放」を求める韓国大統領あて署名をして日本で取り調べる機会を奪い北朝鮮に帰国させた(かの国で英雄視させた)国会議員の一人は菅直人だった、という歴史的禍根を私は忘れてはいない。
 「土井たか子さんに頼まれて軽い気持ちで…」とか本人が言っていたのを聞いたことがあるが、釈明にも何にもなっていない。
 署名した者は他に村山富市、田英夫、淵上貞雄、江田五月、千葉景子等々の当時の社会党や社民連の議員たち。拉致問題の解明が遅れている原因であることに間違いない。この署名につき、1997年10月に安倍晋三は官房副長官時代に「土井氏、菅氏はマヌケ」と正しく批判したのだった。


ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2302/加地伸行・妄言録−月刊WiLL2016年6月号(再掲)。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
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  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
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  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
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  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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