秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

2006年10月

-0055/某韓国人から金日成は3人いると1980年代に聞いてから。

 北朝鮮という国の異常さを知ったのはたぶん1992年に崔銀姫=申相玉・闇からの谺―北朝鮮の内幕―(上・下、文春文庫、1989)を読んでだ。北朝鮮の映画を「向上」させるために韓国の映画監督・女優夫妻を金正日の指令で「拉致」したというのだから、その「人間」・「個人」無視の精神には唖然とした。
 続いて、1994年頃に姜哲煥=安赫・北朝鮮脱出(上・下、文藝春秋、単行本)によって北朝鮮の印象は決定的になった。デマの可能性はあったが、これだけの全てを捏造することはできず、少なくとも大半は真実だろうと感じ、こんな国がすぐ近くに存在していることについて信じ難い思いをしたものだ。これらを出版した文藝春秋の勇気?は称えたい。
 他にも若干の本は読んでいて、平均的日本人よりは北朝鮮の実態を知っていただろう。従って、日本人拉致問題に詳しくはなかったものの、2002年9月17日に金正日自身が拉致の事実を認めたとき、驚天動地の思いではなかった。この国なら何でもする、と感じていたからだ(むしろ認めたことの方に驚いた)。
 北朝鮮の歴史の知識もすでに持っていて、種々の金日成・金正日伝説は「ウソ」らしいと知っていた。
 市井の一日本人が若干の文献から「ふつうの感覚」でそう思っていたのに、より多くの情報に接する可能性があるはずの日本社会党等々の政治家たちが北朝鮮に「騙され」、日本共産党もまた「疑惑の程度に応じた」交渉を、などと能天気なことを言っていたのはこれまた信じ難い。社会主義幻想と朝鮮総連との接触の成した業だったろうか。今でも北朝鮮にはできるだけ甘く、米国や日本政府にはできるだけ批判的又は揶揄的に、という姿勢がかいま見える人々がいるしメディアがあるのは困ったものだ。
 そうしたメディアの代表は朝日新聞だが、朝日を批判する本又は論文・記事を一部抜粋して引用していくだけでもこの日記は続けていけそうだ。
 読売論説委編・読売VS朝日・社説対決北朝鮮問題(中公新書ラクレ、2002)の中で作家・柘植久慶は言う。
 「一方の朝日新聞の社説となると、悲惨なくらい過去の主張や見通しの外れているのがよく判る。これは…空想的社会主義と共産主義諸国に対してのダブルスタンダードが、ベルリンの壁の崩壊とソ連―社会主義の終幕によって、一気に価値を喪失したから…」、「地盤沈下の著しい左翼政党―共産党や社民党と同じように、朝日もまた地盤沈下の同じ轍を踏む危険性が大きい」(同書「解説にあたって」)。

-0054/中国・南京大虐殺記念館、本多勝一に授賞。河野洋平へは?

 やや旧いが、週刊新潮10/12号p.47によると、中国「南京大虐殺記念館」が9/24に元朝日の本多勝一他1名に「特別貢献賞」を授与した、という。
 所謂東京裁判で触れられていたが70年代に「南京大虐殺」を呼び醒まして教科書に記載されるまでに至らしめたのは本多勝一だった。受賞を彼は喜んでいるだろう。だが、中国共産党の支配と「南京大虐殺記念館」は永続するだろうか。真っ当な歴史認識をもつ新政権と社会が支那に生まれれば、記念館の外観・30万受難者を刻む大きなメダル・楯を伴う今回の受賞は紛れもなく「売国」=「反日本人」の証となるのでないか。
 動きに関する多少の情報は読んだかに思うが、読売新聞の本日5/16社説によれば、米下院の一委員会が「従軍慰安婦」にかかる日本非難決議案を議決したという。外務省はいったい何をしていたのか。読売のタイトルどおり「日本政府はきちんと反論せよ」。
 この事態は、1993年05月に宮沢内閣官房長官・河野洋平(現衆院議長)がきちんとした証拠もなく「慰安婦強制連行」を実質的に肯定する談話を発したことに遡るだろう。
 江沢民の時代だったので一部で「江の傭兵」とまで言われたらしい河野は、今からでも誤りを日本国民に詫び全世界に発表すべきだ。それとも朝日新聞のように、広い意味での「強制性」はあったと誤魔化して平然と議長席に座っているのか。
 朝日新聞・日本共産党等々もそうだが、戦後日本が行き着いた現状については自民党の責任も大きい。
 1994年に自社さ連立政権が成立したことには、与党復帰という政治的願望があったにせよ、マルクス主義者・社会主義者を忌避しない河野洋平が自民党総裁だったことも与っているはずだ。こんな人を抱え込みかつ要職に就かせるのだから、かつての自民党も骨・芯がない。社会主義と戦う強い意思を持たない者が自民党内にいくらでもいたのだ。
 福岡県筑前町教育長が昨日、教師による自殺生徒への「いじめ」を明確に肯定していたのが記憶に残ったが、今日校長は「いじめ」は認めつつ自殺との間の因果関係を否定する(少なくとも肯定しない)姿勢に変更?した。
 因果関係を肯定すれば町には明らかに遺族に対する損害賠償責任が発生する。訴訟で不利となる発言を慎むようにとの法律的「助言」が誰か又はどこかの機関からあったのではないか。

-0053/北朝鮮危機-李英和・強硬には超強硬!が適切。

 鷲田の本をほぼ読了。「岩波の総合雑誌『世界』や『思想』は、すでに死に体である。朝日新聞社が次々に試みる総合誌、オピニオン誌も、ばたばたと消える」(p.186)。これが事実ならいいのだが。
 「世界」や「論座」の(「諸君」や「正論」もだが)販売実数はどうすれば分かるのだろう。朝日が出すらしい何とか「新書」も売れ行き低迷で「消え」てほしいものだ。むろん、朝日的なテーマ設定、執筆者人選が行われるに決まっているから。
 数日前に気づいていたが、朝日新聞10/12社説「ニュー安倍・君子豹変ですか」はヒドい。若宮啓文なのかどうか、こういう文を書く人の人格・品性を疑う。立ち入りたくもないが、「首相になると一転、ソフト路線で支持率を上げ、参院選を乗り切る。地金を出すのは政権が安定してから……。そんな邪推をする人」こそ社説子で、かつ「邪推」でなく、思い切り叩き罵倒するために「期待」しているのでないか。
 そういえば読売編集の社説対決・読売対朝日が中公新書ラクレで3冊出ている。朝日が自らの社説に自信があるなら、朝日の「新書」で読売又は産経の社説と比較分析して公にしたらどうか。
 朝日新聞10/13社説は「日本が先行して厳しい措置をとったことで中韓など関係国との足並みが乱れては逆効果になる。単なる国内向けのパフォーマンスと勘ぐられないためにも、関係国間の結束を第一に考え…」と安倍内閣の決定にケチをつける、「あっち」向いたことをのたまう。中韓日の足並みが揃うわけがない。バカではないか。
 読売新聞10/15社説は「日本の安全を損ねる憲法解釈」と題して、1.集団自衛権行使不可の(従前の)政府解釈や2.武器使用基準の再検討を提言している。内閣は最高裁判決の解釈には実質的又は事実上拘束されるが、1.の基礎の解釈を示した内閣法制局はたかが内閣の補佐機関で、内閣を永続的に拘束するはずがない。憲法改正は間に合いそうにないが、現行法制に事態対処のためには不備があるとすれば、当然に改正又は新法制定すべきだ。朝日よりも読売の方が適切・冷静なのは言うまでもない(読売を全面支持はしないが)。
 午後のTV番組で田嶋陽子は北朝鮮に「アメリカと話し合う」機会を与えるとの意見を示した。
 ヒトラーに対するチェンバレン(英国)の宥和政策の失敗、北朝鮮へのクリントン政権の穏和的姿勢の失敗を見ても、絶対化・一般化は無理としても、「強硬」姿勢には「超強硬」姿勢で対応・制裁すべきだろう。

-0052/「学界」外の者の発言でも正しいものはある-井沢元彦・安本美典ら。

 ○ 大学で「哲学」を講じている人の殆どは西欧の誰かの「哲学」の研究者(学者)で、「哲学学」者であっても「哲学者」ではなく自らの「哲学」を語ってはいないという印象があったが、少なくとも鷲田小彌太という人は違うようだ。
 鷲田小彌太・学者の値打ちをさらに80頁読み進む。
 西田(幾太郎)哲学は複数の異なる外国哲学の何でもありの受容(「借用」・「受け売り」)だ旨の指摘(p.23)にド胆を抜かれたが、その他、色々と考えさせられて刺激的だ。
 彼によれば、彼は25歳半ばからマルクス研究を始め40歳台でマルクス主義を「克服した」らしく、丸山真男政治学は「マルクス主義政治学の亜種」で、彼の弟子たちが学会から消えるに従い丸山の「名声」は弱まる(p.108)、等々。
 大学教授は「知識人」ではなく特定分野の「専門家」にすぎない、と思ったことがあった。
 ここでは「知識人」は社会のほとんどの諸問題に広い「教養と知識」を背景にしてマスメディアに発言する能力のある人とのイメージだった。
 これに関連して鷲田の上の本p.180は「大学教授の大半は、知識人とさえいえない」、「競争原理」が全く働かず、その「知識や技術」の「水準は問われない」からだ、と言う。つまりは私のいう「専門家」かどうかも「大半」は疑わしいというわけで、厳しい。
 アカデミズムとジャーナリズムの関係等の話も面白い(但し、立花隆の肯定的評価は承服できない。鷲田も立花・滅びゆく国家を読めば評価を変えるはず)。
 「かつてアカデミズムの権威が有効な時代があった。大新聞の論説が世論形成に与った時代があった。しかし、パソコンを媒介にしたこの社会では、個人発であるか、大学発であるか、大新聞発であるかで、情報価値に根本的差違はない」との指摘は全くそのとおり。
 知識・情報を大学・マスコミが独占しているはずがない。
 ○ しかし、妙なアカデミズムは残っているように見える。
 鷲田の本から離れるが、例えば、井沢元彦の研究・諸指摘(学界の「方法」的欠点も含む)を日本史学界はたぶん完全無視だろう。
 また、安本美典の古代史論、邪馬台国論は説得的な部分があると思うが、安本が日本史(古代史)プロパーではない(もともとは言語学、次いで心理学も)ことを理由に古代史学界はこれまた完全無視でないか。
 出自が何であれ、誰が述べようとも、正しいものは正しい。誰の問題提起でも適切ならば、適切なはずなのだ。鷲田によって「学界」の傲慢さも思い起こした。

-0051/吉永小百合様へのラブ・レター。ついでに朝日の「言葉」とは?

 「団塊」世代のマドンナ・吉永小百合様が岩波ブックレット・憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言(2005.08)の中で、こう書いている。
 「人間は『言葉』という素晴らしい道具を持っています。その道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく――報復ではなく、半歩でも一歩でも歩み寄ることが『言葉』を持つ私たちの使命だと思います」(p.18)。
 「言葉」という「道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく」ことができれば、それに越したことはない。「粘り強く話し合」っても何ら誠意をもって対応せず、言葉と矛盾する行動を平気で行う人や国家が存在するからこそ問題なのであり、経済的・軍事的「圧力」も必要になるのだ。
 美しい心の小百合様には、国民を餓死させ、開発凍結と言っておいて平気で核実験実施をする国家の存在を想像すらできないのだろう。
 彼女はまた、「命を大切にすることは、憲法9条を大切にすること。国際紛争を解決する手段として、武力行使は永久にしないと定めた憲法は、人間の命を尊ぶ、素晴らしいものです」と憲法九条を讃える。
 しかし、残念ながら小百合様には基礎的素養がなさそうだ。「国際紛争を解決する手段」としての武力行使の禁止は「侵略」戦争の放棄の意味であり9条1項が規定している。そしてこれは日本国憲法に限らず今日の世界においては当然のことなのだ。憲法改正に際しての焦点は、「戦力」不保持、「交戦権」否認の9条2項をどうするかにある。「戦力」不保持・「交戦権」否認の憲法があるがゆえにこそ外国からの攻撃によって日本国民の生命が奪われることを有効に防止できないとすれば、「憲法9条を大切にすること」は日本国民の「命を大切に」しないこと、を意味することになる。
 このように、小百合様の文章は美しいが、戦争反対という情緒(これ自体を悪いとか誤っているとかは言わない)が書かせたものにすぎない。
 朝日新聞社が<私たちは「言葉」の力を信じます>とかのコピーで宣伝しているが、小百合様の上の文章にヒントを得たのではなかろうか。
 それはともかく、朝日は、事実を否定し又は存在しない事実を作り出す(「捏造」)ために「言葉」を用いた、あるいは「言葉」の力によって虚報をさも真実のごとく装ったことがある。当然ながら「言葉」の力は良い方向にも逆の方向にも働きうる。それが明確でないコピーは「言葉」の力でウソを真実に変えますと言っているようで気持ちが悪い。


-0050/北朝鮮の核実験実施と鷲田小彌太・学者の値打ち(ちくま新書)。

 10月9日、北朝鮮が核実験成功と発表。安倍首相が東京に着いて航空機内から出るときの姿はさすがに相当疲れているように見えた。彼は「空気の宰相」ではなく小泉前首相と違って「論理」と「骨」があると思っており、今日の勝谷誠彦日記には賛成だ。
 この時期に「あっちむいてホイ」の「あっち」を向いた動きがあるとは、「平和ボケ」はなかなか治らないと感じる。
 鳥越俊太郎を含む人々は日本の核武装論はもちろん日本が正規軍をもつための憲法改正にも反対し続けるのだろう。もともと中国は核保有国で日本を核攻撃する能力・技術をすでに持っている。当然にこのことも意識して、対米関係に留意しつつ、これまで関心がなかった国民も含めて自国の「安全保障」のあり方を考えてみるべきだ。
 安倍内閣が河野談話・村山談話を踏襲するとしたことに、彼のかつての持論維持を期待した人たちからの批判もありうる。
 昨日の朝日新聞のたぶん3面に(記憶のみだが)本来の支持者「反発も」という見出しがあった。これは、<安倍さんはかつて述べていた持論を封印して中韓に擦り寄ってますよ、さぁ彼の「歴史認識」に期待していた支持者の皆さん、「反発」しましょう>という煽動だと理解すべきものだ。安倍がかつての持論をそのまま展開すれば中韓が反発し、それ見ろと朝日が激しく安倍批判をするのは目に見えている。朝日はいずれにせよ批判的・揶揄的スタンスを変えない。
 朝日新聞10/07社説の見出しは「安倍政権、ちょっぴり安心した」だったが、ひょっとして本音は「残念」ではなかったか。安倍を「先の大戦を『自存自衛の戦い』と位置づける。日本政府の『謝罪外交』を批判し、歴史教科書の『自虐史観』に修正を求める」「議員グループなどで中心的な役割を果たしてきた」と認識している朝日にとって、振り上げた拳を降ろせない状況になったからだ。
 昨日は古書店にも寄って鷲田小彌太・学者の値打ち(ちくま新書、2004)等10冊余り購入した。この本の類書はたぶんほとんどなく、一気に100頁過ぎまで読んでしまった。

-0049/故郷も親も完全に憎むことはできない、自分の一部だ。

 西尾幹二が何かの本で(多すぎてそのときに何かにメモしないと憶えられないが、いちいちメモしていると読めない)西洋史学者(研究者)の八割はまだマルキストだ旨を書いていた。
 世間相場と大きく違うが、日本史中心の「『9条の会』に賛同する関西歴史研究者の会」についても西洋史と同様のことがたぶん言える。
 その呼びかけ人は、以下のとおり。
 赤澤史朗(立命館大)、猪飼隆明(大阪大)、井上浩一(大阪市大)、上野輝将(神戸女学院大)、梅村喬(大阪大)、大山喬平(立命館大)、奥村弘(神戸大)、長志珠絵(神戸市外国語大)、小西瑞恵(大阪樟蔭女子大)、小林啓治(大阪府立大)、小山靖憲(元和歌山大、2005年没)、末川清(愛知学院大・元立命館大)、鈴木良(元立命館大)、曽根ひろみ(神戸大)、高久嶺之介(同志社大)、武田佐知子(大阪外国語大)、塚田孝(大阪市大)、広川禎秀(大阪市大)、薮田貫(関西大)、山尾幸久(元立命館大)、横田冬彦(京都橘大)、渡辺信一郎だ。
 京都大を除く主だった大学は全て含んでいる。これらの人々の仲間や「弟子」はきっと多いだろう。
 烏賀陽弘道・「朝日」ともあろうものが。(徳間書店、2005.10)のまえがきの中にいい文があった―「故郷も、親も、完全に愛することも、完全に憎むこともできない。それは、切り捨てることのできない「自分の一部」になってしまうのだ」。
 思い出す10/06付朝日新聞社説の一部はこうだ。
 ―「時代の制約から離れて、民主主義や人権という今の価値を踏まえるからこそ、歴史上の恐怖や抑圧の悲劇から教訓を学べるのである。ナチズムやスターリニズムの非人間性を語るのと同じ視線で、日本の植民地支配や侵略のおぞましい側面を見つめることもできる」。

-0048/サ講和条約11条の<裁判>・<判決>に意味はあるか。

 安倍首相の「歴史認識」問題よりも北朝鮮核実験問題の方が重要と思いつつも、いくつかの本で読んだ講和条約・戦犯問題が国会で現に議論されていたのはなかなか興味深かった。
 講和条約11条の解釈については、「裁判」は「諸判決」のことと反論する保守派もいるが(小林よしのりも)、この欄の08/11で述べたように、そんな「訳語」のことを問題にしない安倍の解釈が適切と思う。
 簡単に買える小さな六法(例えば有斐閣ポケット六法)にも掲載されている講和条約(日本国との平和条約、1952.04.28発効)11条第一文は次のとおり。
 「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」。
 全27条や11条の第二文以下との関係・位置づけから見ても、これから日本国が東京「裁判」等の事実認定・理由づけ等を細かなことも含めてすべてに同意し、将来も国自体の「歴史認識」として有し続けるなどという解釈が出てくるはずがない。
 「承諾し」という語は、第一文後段の前提として、個々の諸判決の結論(とくに拘禁刑判決)に国としては異議を唱えない(異論を述べない、従う)との意味で用いられているのだ。
 再言になるが、誰が「戦争犯罪人」かの結論はもちろん事実認定・理由づけについてもそのまま将来にわたって自らの「歴史認識」とすべき旨を東京裁判終了後に述べていたのが、朝日新聞だった。

-0047/田中真紀子の大醜態。小泉前首相による解任は大正解。

 前回のついでに書いておけば、現存「社会主義」国以外で「共産党」と称する政党が存在するのは日本の他、フランス、ポルトガルのみだ。かつ、実質的になおプロレタリアート独裁を標榜し組織論として民主集中制を残しているのは、某情報ソースによれば、日本共産党のみだという。まことに日本はユニークな国なのだ。
 国会論戦をニュースや録画も含めて見ていると、北朝鮮の核実験実施声明に言及したのは自民党・中川昭一のみで、民主党は何ら触れていないのでないか。この認識が正しければ、民主党は主として歴史認識を用いた「安倍いじめ」に関心があり、日本(国民を当然に含む)と東アジアの平和と安全に目を向けていないという致命的な失態を演じている。
 北朝鮮に関して拉致問題にのみ触れ核問題に具体的に言及しなかった田中真紀子の質問・発言は大醜態だった。安倍はなぜ一人ででも平壌に残って膝詰め談判の交渉を続けなかったのかとの質問には唖然とした。
 この人を菅直人の次に配した民主党のセンスを疑う。岡田克也の講和条約・「戦争犯罪人」に関する質問のあたりでは安倍の方が知識・思考が深いと感じた。岡田克也は一面的な知識・見解しか知らないために、安倍の答えに対して質問とほぼ同じことを反復するのみで有効に反撃できていない。もっとも、国会論戦の詳細と適切な評価が昨夜のテレビニュースや今日の新聞で紹介されているかは疑問だが。
 田中真紀子は自らが2003年10月に「拉致家族の子供は北朝鮮で生まれたから本来なら北朝鮮に返すべきじゃないですか」、「(拉致被害者の)家族の国籍は国際法上は北朝鮮籍。外務省も知っているはずで、日本帰国は難しいとはっきり言うべき」と発言し、家族会等から「田中氏はすぐに発言を取り消し、謝罪して政治家として完全に引退すべき」と抗議されたことを忘れてはいないだろう。安倍に対して何故もっと頑張らなかったのか旨をよく言えたものだ。
 それにこの人の発言には身内の講演会等であってはじめて許容されるような無意味な比喩的話が多すぎるし、「媚中」的言辞も気になる(民主党に接近しているのも解る)。
 小泉純一郎がこの人を外相にしていたとは今思えば信じ難い。明確な「論功行賞」的かつ失敗の人事だったが、大失態の発現の前に首を切っておいてよかった。

-0046/日本共産党綱領の変遷・少年少女文学全集を思い出す。

 北朝鮮が3日に核実験実施声明を出した。その核弾頭が日本に向けられる日がくる可能性があるが、「九条の会」の人々はきっと切迫感・現実感が薄いに違いない。
 日本共産党は北朝鮮批判の声明を出した。だが、1962年のソ連の核実験のあと「ソ連の核はきれいな核」と主張して日本の原水禁運動を分裂させた(共産党系は日本原水協と略される)のは同党だった。同党は北朝鮮だけは中国・ベトナム・キューバという「社会主義」国と区別しているようだ。当然といえば当然だが。
 その日本共産党の綱領は1961年綱領以降にも何度か改正され、2004年1月のものが最新のようだ。だが、内容に本質的変化があったわけではない。
 以下、4号まで揃った雑誌・幻想と批評2号の金子甫「日本共産党の新綱領」(2004.06)に主として依拠する。
 1961年には「科学的社会主義であるマルクス・レーニン主義」だったのが76年にたんに「科学的社会主義」に改められた。
 三二年テーゼの「プロレタリアートと農民の独裁」は1961年「労働者、農民を中心とする人民の民主連合独裁」、94年「労働者、農民、勤労市民を中心とする人民の民主連合」の「権力」に変わった。
 また1961年・94年の「民族民主統一戦線政府」は2004年に「統一戦線の政府・民主連合政府」と改められたが、同党は戦前に「不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかった」としているので、これも三二年テーゼの「プロレタリアートと農民の独裁」の趣旨だろう。
 従って、1961年の「労働者階級の権力、すなわちプロレタリアート独裁の確立」が「…執権」に変えられ、この語も用いなくなった後、1994年の「労働者階級の権力」としてのみ残り、さらに2004年にこの語も削除された。しかし、三二年テーゼの「プロレタリアートと農民の独裁」という考え方が否定されたことには全くならない。
 さらに「二つの敵」に関して、2004年に「アメリカ帝国主義の対日支配」は「アメリカに対する異常なまでの従属状態」に、日本「独占資本の人民支配」は「大企業による政府に対する強い影響力」に改められた。
 こうした変更を見ていると、大人用の文学作品を子ども用に易しく書き直した少年少女世界文学全集の類を思い出してしまう(「レ・ミゼラブル」は「あゝ無情」だった)。
 マルクス・レーニン主義→科学的社会主義独占資本→「大企業」などが典型的で、かつ(少年少女世界文学全集類と同様に)本質的には何も変わっていない(はずな)のだ。

-0045/菅直人は辛光洙の北朝鮮帰国という「歴史」をどう思うか。

 菅直人が安倍晋三に国会で質問していた。安倍晋三個人、一国会議員としての安倍、安倍内閣総理大臣のそれぞれによって質問への回答は異なりうる。とりわけ歴史に関する首相としての見解表明は、政治的な、かつ近年では外交的な重要な意味を持ちうるからだ。
 録画した菅直人と安倍首相の質疑を見ていてそんな感想をまず持った。
 安倍個人は河野談話や村山談話に否定的のはずで、私も前者は誤りかつ完全な失策、後者は不正確と考えるが、しかし首相としてこれらを批判・否定できないのもよくわかる。国家行政の継続性からすると、否定すればその意味・理由が問題となり場合によっては新たな別の談話が求められるからだ。たしかに、安倍は逃げていた印象はあるが、逃げていること自体はやむをえないだろう。
 民主党を代表してこそ菅直人もじくりじくりと「安倍いじめ」的・本音誘発的質問をしていたのだろうが、「満州国をどう思いますか?」との質問へと至ってはさすがに異様な感をもった。岸信介が同国にどうかかわっていたのかの詳細は知らないが、国会の質疑で何故そんなテーマが出てくるのか。
 国会で、通州事件をどう思うか、廬溝橋事件のきっかけは何か、南京で何人死んだか等々の「論戦」を民主党はするつもりなのか、馬鹿馬鹿しい。
 そんな質問をした菅直人は民主党、少なくとも民主党執行部の「満州国をどう思うか」の回答を用意しているのだろうか。そもそも、民主党はその有力議員に限っても先の大戦にかかわる「歴史認識」を一致させているのか。社会党左派の生き残り(横路孝雄ら)と小沢一郎と菅直人と西村慎吾において共通の「歴史認識」があるとはとても思えない。
 民主党の中では菅直人は最悪の印象はない。しかし、かつて北朝鮮による日本人拉致の主犯格だった辛光洙(シン・グァンス)が85年に韓国で拘束されたあと89年に「解放」を求める韓国大統領あて署名をして日本で取り調べる機会を奪い北朝鮮に帰国させた(かの国で英雄視させた)国会議員の一人は菅直人だった、という歴史的禍根を私は忘れてはいない。
 「土井たか子さんに頼まれて軽い気持ちで…」とか本人が言っていたのを聞いたことがあるが、釈明にも何にもなっていない。
 署名した者は他に村山富市、田英夫、淵上貞雄、江田五月、千葉景子等々の当時の社会党や社民連の議員たち。拉致問題の解明が遅れている原因であることに間違いない。この署名につき、1997年10月に安倍晋三は官房副長官時代に「土井氏、菅氏はマヌケ」と正しく批判したのだった。


ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。