民主党政権下の2010年11月3日、産経新聞社説は民主党は「政権与党として、憲法改正への主体的な取り組みを求めたい」等と主張した。これに対して、同11月6日付のこの欄で、「現在の民主党政権のもとで、あるいは現在の議席配分状況からして、『戦後の絶対平和主義』から脱した、自主・自立の国家を成り立たせるための憲法改正(の発議)が不可能なことは、常識的にみてほぼ明らか…」、「産経社説は、寝惚けたことを書く前に、現内閣<打倒>をこそ正面から訴えるべきだ」、と批判した。

 同様の批判を同じ欄で、産経新聞同日の田久保忠衛の「正論」に対しても行っていた。以下のとおり。
 「『憲法改正の狼煙上げる秋がきた』(タイトル)と叫ぶ?のはいいのだが、どのようにして憲法改正を実現するか、という道筋には全く言及していない。『狼煙』を上げて、そのあとどうするのか? 『憲法第9条を片手に平和を説いても日本を守れないことは護憲派にも分かっただろう』くらいのことは、誰にでも(?)書ける。
 問題は、いかにして、望ましい憲法改正を実現できる勢力をまずは国会内に作るかだ。産経新聞社説子もそうだが、そもそも両院の2/3以上の賛成がないと国民への憲法改正「発議」ができないことくらい、知っているだろう。
 いかにして2/3以上の<改憲>勢力を作るか。この問題に触れないで、ただ憲法改正を!とだけ訴えても、空しいだけだ
 国会に2/3以上の<改憲>勢力を作るためには、まずは衆議院の民主党の圧倒的多数の現況を変えること、つまりは総選挙を早急に実施して<改憲>派議員を増やすべきではないのか?
 <保守>派の議論・主張の中には、<正しいことは言いました・書きました、しかし、残念ながら現実化しませんでした>になりそうなものも少なくないような気がする。いつかも書いたように、それでは、日本共産党が各選挙後にいつも言っていることと何ら違いはないのではないか。」 以上。
 政治状況は当時とは違っているが、衆議院はともかく、参議院では憲法改正に必要な2/3の議員が存在せず、いくら憲法改正を(9条2項廃棄を)と「正しく」主張したところで、国会は憲法改正を発議できず、従って憲法改正が実現されないことは当時と基本的には変わりはない。
 また、昨年12月総選挙も今年7月参議院議員選挙も、「憲法改正」は少なくとも主要な争点にはなっていない。したがって、民主党政権下とは異なりいかに自民党等の改憲勢力がかなりの議席数を有しているとしても、議席配分または各党の議席占有率がただちに国民の憲法改正に関する意向を反映しているとは断じ難い。
 衆議院では自民党・日本維新の会の2党で2/3以上をはるかに超える、参議院では維新の会・みんなの会と民主党内「保守派」を加えて、あるいは<野党再編>によって何とか2/3超になりはしないか、と「皮算用」している者もいるかもしれないが、やや早計、早とちりだろう、と思われる。
 というのは、軍の保持を認めて自衛隊を「国防軍」にするか否か、そのための憲法改正に賛成か否かを主要な争点として選挙が行われたとした場合の議席獲得数・率が昨年の総選挙、今般の参議院選挙と同じ結果になった、という保障は何もない。有権者の関心のうち「憲法改正」は、主要な諸課題・争点の最下位近くにあったと報道されたりもしていた筈だ。
 しかし、とはいえ、憲法改正を!という主張だけでは<むなしい>ことは、少なくともそれに賛同している者たちに対する呼びかけとしてはほとんど無意味であることは明らかだ。
 上の点からして、遠藤浩一の、撃論シリ-ズ・大手メディアが報じない参議院選挙の真相(2013.08、オ-クラ出版)の中のつぎの発言は、私のかつての記述内容と同趣旨で、適確だと思われる。

 「多くの人が憲法改正(ないし自主憲法制定)の大事さを説きますが、現実の政治プロセスの中でそれを実現するにはどうすればいいのか、どうすべきかについてはあまり語りません。多数派の形成なくして戦後体制を打ち破ることはできないという冷厳なる事実を直視すること、そして現実の前で身を竦ませるのではなく、それを乗り越える戦略が必要だと思います」(p.26)。
 ここに述べられているとおり、「現実の政治プロセスの中でそれを実現するにはどうすればいいのか」についての「戦略」を語る必要がある。

 <保守>派らしいタテマエや綺麗事を語っているだけではタメだ。私はこの欄で遅くとも2020年までには、と書き、2019年の参議院選挙が重要になるかもしれないと思ったりしたのだが、それでは本来は遅すぎるのだろう。だが、しっかりと基礎を固め、朝日新聞等の影響力を削ぎ、「着々と」憲法改正実現へと向かうには、そのくらいの期間がかかりそうな気もやはりする。むろん何らかの突発的な事態の発生や周辺環境の変化によって、2016年の参議院選挙、その辺りの時期の総選挙を経て、2017年くらいには実現することがあるかもしれない。
 このように憲法改正の展望を語ることができるのは昨年末までに比べるとまだよい。民主党等が国会の多数派を形成している間は、永遠に自主憲法制定は叶わないのではないかとの悲観的・絶望的思いすらあった。「ぎりぎりのところで日本は救われた」(中西輝政「中国は『革命と戦争』の世紀に入る」月刊ボイス8月号p.81)のかもしれない。