「新憲法が『歴史的かなづかひ』で書かれ、建国記念の日に発布されれば、それだけでも新憲法の精神の核心は発揮されている」(産経新聞昨年5/08「正論」)というユニ-クな新憲法論(憲法改正論)を、戦前の条文のままだった刑法典や民法典(の財産法部分=家族法部分以外)が近年に「歴史的かなづかひ」を捨てていわゆる平文化されていることを知らず、従ってそれらの法律改正作業に反対しないままで書いていたはずの新保祐司は、産経新聞昨年3/29の「正論」欄では次のように述べていた。
 「スメタナの連作交響詩『わが祖国』は、とても好きな曲で」、「祖国愛というものに思いを致すとき、この曲はますます深い感動を与える」。
 私はウィ-ン(南駅)からプラハ本駅までの「スメタナ」号と冠した特急電車の中の後半に、スメタナ「わが祖国」を携帯プレイヤ-とイアフォンで聴きながら、外の景色を観ていた経験を持っている。

 新保祐司はなかなか想像力が豊かだ。私はチェコのまっただ中でスメタナの曲を聴きながらも(この曲はチェコ国民にとって重要で、一年に一度の記念式典でも演奏されるという知識は有していたが)、「祖国愛」には思い至らず、チェコと日本の違いをむしろ強く感じていた。
 スメタナ「わが祖国」が嫌いなわけではないし、その中の「モルダウ」(ヴルタバ。ドイツのエルベ河の上流)は河川のさざ波をも感じさせる美しい、いい曲でもある。
 だが、海を持たず、モルダウという大河一本に基本的には貫かれ、日本のそれとは異なりなだらかな山々の麓にボヘミア高原が広がる、という、日本と異なる、かつ日本と比べれば変化・多様性に乏しいチェコの自然環境をむしろよく表している音楽だと感じていた。
 国家の、あるいは国民・民族の代表的な曲も、自然や民族性の差異によって異なるものだ、という印象を強く持ちながら、プラハ本駅に到着するまでに最後の直前までを聴いていた。
 とりたてての主張があるわけでもない、新保祐司とは異なる、スメタナの曲についての感想だ。