一 水間政憲・世界の金言・日本人の妄言/中・高生にもわかる東大教授のバカ言論(日新報道、2005)によると、まず、「占領下に大量発生した進歩的文化人の第一号」は、宮田繁雄(画家、1945.10.14朝日新聞紙上で藤田嗣治(のちにフランスに帰化)を批判、p.33・p.39)。
 つぎに、「日本弱体化計画を推進した東大三教授」は、横田喜三郎、大内兵衛、丸山真男(p.41~)。
 法学・経済学・政治学のそれぞれ代表者が一人ずつだ。丸山真男は今日の政治学界にもなお影響力をもっているようだ。いつか、元日本共産党員・名古屋大学名誉教授(法学部、のち立命館大学政策学部教授)の田口富久治の本に言及する。
 第三に、「日本弱体化計画に貢献した言論人」として、以下が挙げられる。
 向坂逸郎、大塚久雄、久野収、竹内好、加藤周一、鶴見俊輔、坂本義和、安江良介(岩波「世界」編集長)、浅田彰
 存命の者もいる、「左翼」の代表者たち。浅田彰は読んだことがない、「ニュー・アカ」とやら。
 第四に、「進歩的文化人」を「代表する小説家」として、以下の二名のみがが挙げられる。その「代表」性は著しいようだ。
 大江健三郎、井上ひさし
 二 水間の上の本は、孫引きしても直接の引用にもなるように、出典等を明確にして、「」つきで叙述・発言を紹介してくれている。以下の、大江健三郎の言葉はよく言及されるが、出典等がついた直接引用なので、役立ちそうだ。
 ・大江健三郎・毎日新聞1958.06.25夕刊「女優と防衛大生」
 「ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の一つの弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」。
 ・大江健三郎・週刊朝日1959.01.04号~02.22号
 「皇太子よ、考えていただきたい。若い日本人はつねに微笑しているわけではない。若い日本人は、すべてのものがあなたを支持しているわけではない。そして天皇制という、いくぶんなりとも抽象化された問題についてみれば、多くの日本人がそれに反対の意見をもっているのである」。
 ・大江健三郎・群像1961.03号「わがテレビ体験」〔…は原文ママ〕
 「結婚式をあげて深夜に戻ってきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチを入れる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまり涙を流していた。それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめのないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった」。
 ・大江健三郎・厳粛な綱渡り(文藝春秋、1965)「二十歳の日本人」〔…は原文ママ〕
 「北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。……それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た」。
 ・大江健三郎・産経新聞1995.04.30「ワシントンでの講演録」〔…は原文ママ〕
 「日本のいまの自衛隊は軍隊であり、憲法に違反しているから、全廃しなければならない。私たち日本人は憲法順守という方向へ向けての新たな国づくりをしま始めなければならず、その過程で自衛隊を完全になくさねばならない……。日本の保守派にはこの憲法が米国から押しつけられたものだから改正する必要があるという意見があるが、米国の民主主義を愛する人たちが作った憲法なのだからあくまで擁護すべきだ」。
 かつて小林よしのりが大江健三郎をこう評したことがあった-「もはや日本人ではないところの何ものかになっている…」。