一 月刊正論7月号(産経)の竹内洋「(続)革新幻想の戦後史」は最終回。その最後の前の段落のタイトルは「幻想としての大衆とテレビクラシー」だ。そして、「エリート」・「知識人」は溶解しこれらの対概念の「大衆」も実体を喪失しているが、「想像された」・「幻想」としての大衆が猛威をふるっている、そのような大衆は「テレビカメラ」そのもので(「現代の大衆や知識人は…大衆幻想に媒介されたメディア大衆であり、メディア知識人」で)、「メタ大衆」を表象し代表する「テレビ文化人」によって「大衆的正当化」=「テレビ的正統性」の強化がなされ、「デレビクラシー」(テレビ支配)社会になる、等々と述べている。「滅びへの道」と題する最後の段落の最後の文章は、「幻想としての大衆にひきずられ劣化する大衆社会」によって日本は滅ぼうとしているのではないか、という旨だ。
 二 かつて大宅壮一はテレビによる<一億総白痴化>を予想したが、それを超えて、(日本のテレビ局は総体として日本の)社会と国家を解体しようとしている。
 戦後の悪弊の最大のものは、コマーシャル料で経営する民間放送会社かもしれない。この民放問題は別の機会にまた触れる。
 NHKも含めたテレビの影響力の大きさは、有権者の政治(・投票)行動への誘導力を見ても明らかで、それはほとんどのテレビ局が大手新聞社と(資本的・経営的にも)密接な関係にある、ということによって拡幅されている。
 NHK・全国的民間放送会社・大手全国紙の<政治>関係番組・記事に関与しているのはいったいどのような(政治的)素養・見識をもった者たちなのか。よくも悪くも、日本のこれまでの戦後・現在・将来はこの点にかかっているとすら感じる。
 むろん新聞社と結びついたテレビ局の違いは多少ともある。大まかにいって、テレビ朝日・朝日新聞やTBS・毎日新聞と、フジ・産経、日テレ・読売とでは傾向が同じでないことは、少しは見比べて(読み比べて)いると、分かってしまう。
 出てくる「テレビ文化人」にも違いかある。例えば、TBS系の日曜夜10時頃の報道系番組には、現在でも、渡辺えり子という女優(・劇作家?)が出ている。
 この渡辺えり子は、まだ鳩山由紀夫内閣の頃、<民主党政権は「国民」が作ったのだから、「国民」は暖かく見守り、育てていくようにしなければならないのではないか>とか(正確には記憶していないが)の旨を単純に(浅はかにも?)堂々と語っていた。

 なぜこんな人物を数人しかいないコメンテイター・「テレビ文化人」の一人にしたのかと訝ったものだが、のちに知ったところでは、渡辺えり子とは、吉永小百合等とともに、岩波ブックレット・憲法を変えて…という世の中にしないための18人の発言(岩波、2005)に出ている18人の一人(吉永小百合の他に、姜尚中・井上ひさし・井筒和幸・香山リカ等々)で、「憲法が最後の砦」、「戦争をしないという憲法を守れなかったら、もう世界共倒れです」ということを、浅はかにも?「反戦活動家じゃなくたって誰でも思う普通のこと」と付記しつつ書いているような人物だった(上掲ブックレットp.55)。日本共産党系の<九条の会>呼びかけ賛同者だろう。
 このような<思想(ないし信条)あるいは憲法観>を持っている人物だからこそ、おそらくはTBSの担当者はコメンテイターに起用したのだろう。
 最近はメインが北野たけしに代わったようで、「渡辺」色は強くは出ていないようにも見えるが(毎回観るヒマはない)、上のような人物を平気であえて起用するという<政治傾向>を持っているのがTBSだ、という印象に間違いはないと思われる(いちいち触れないが、土曜6時からの金平茂紀もじつはかなり露骨な(じっくりとニュアンスを感知しないと分かりにくいが)「左翼」信条の持ち主(政治活動家)だ)。
 あらためて述べるのも新鮮味はないが、このように、GHQ史観に基本的に立つ<日本国憲法体制>の擁護者、戦後<平和と民主主義>イデオロギーの信奉者、そして親中国・親「社会主義」・反国家・「反日」心情者が支配する放送局・新聞社が強い力をもって<体制化>し、多数派を形成していると見られることを、深刻かつ悲痛な思いで、<戦後レジーム>解体派=<保守>は認識しておく必要があろう。
 三 こと歴史認識に関するかぎり、あるいは「戦争」に関連するかぎり、NHKもまた、明瞭に「左翼」だ。田母神俊雄論文事件の際に<左翼ファシズム>の形成・存在を感じたが、NHKも、その一角を担っている。
 6/23の夜9時からのNHKニュースもひどかった。
 かつての沖縄での戦争(地上戦)による被害・戦没者問題と、現在の米軍基地の存在とをつなげて、まるで米軍基地の存在が「平和」=善ではなく「戦争」=悪に接近するものだということを前提とするような報道ぶりだった。それは、かつて1945年に姉を失い、戦後は米軍基地によって苦労させられたという話を、特定の同じ一人の人物に長々と語らせていた(または紹介していた)ことでも明瞭だ。NHKがあえて取材対象として一人だけ選択したその人物は、姉を殺した(米軍との)戦争を憎み、引き続いて、沖縄に駐留し続けている米軍をも嫌悪している。NHKはその人に<共感>を寄せて紹介し、そうした姿勢を前提として報道していたのが明らかだ。
 だが、言うまでもなく、現在の沖縄の米軍基地については多様な見方がある。「戦力」不保持の現憲法のもとでは、米軍基地がなかったら、沖縄はすでに中華人民共和国の一部になっていて(沖縄への侵攻を日本政府はオタオタして何もできなかったために)、現在よりも<悲惨な>状況に置かれていた可能性が高い、などということは、NHKのこの番組制作者の頭の中にはないのだろう。
 米軍基地を使ってアメリカが(アメリカのための)戦争をする、あるいは米軍基地の存在のゆえに<日本が戦争に巻き込まれる>というのは「左翼」の主張であり、デマだ。あるいは少なくともそういう批判的な見解・認識は成り立ちうるものだ。米軍基地の存在は沖縄、ひいては日本全体の「平和」のために寄与している、という見方は、少なくとも成り立ちうるものだ。
 NHKは(じつは菅内閣・日本政府の公式的見解でもある)そのような後者の見方をあえて排除し、それとは異なる考え方の持ち主一人だけを、意見表明者として長々と紹介した。NHKはとても、公正・客観的な報道機関ではない。
 原発問題についても、NHKだけを見ていたのでは、あるいは他のテレビ局を見てもそうだが、基本的・本質的なことはまるで分からない。NHKとの間の強制的な受信契約締結義務の規定(放送法)は削除し、民間放送(とくにその収益の方法)のあり方も含めて、抜本的な再検討をしないと、「テレビクラシー」によって本当に日本「国」は滅亡するに違いない。