一 産経新聞2/19朝刊一面トップは「参政権付与は在日想定」等の見出しで、一定の外国人への地方参政権付与は違憲ではない(付与しなくても違憲でもなく法律レベルで判断できる)旨の「傍論」を明記した平成07.02.28最高裁判決の際の最高裁裁判官の一人だった園部逸夫への取材(インタビュー?)結果を紹介した。そして、園部見解は「外国人参政権推進派にとっては、大きな打撃」になるとの評価を強調しているように読める(署名は小島優)。
 また、かつて上記最高裁判決「傍論」の論旨にあたるいわゆる「部分的許容説」を採っていた憲法学者(中央大学・長尾一紘)が反省しているらしいことも含めて挙げて、翌2/20の産経新聞社説はあらためて<外国人参政権付与>反対を述べた。見出しは「付与の法的根拠が崩れた」。
 こういう報道や主張自体を問題視するつもりは、むろんない。
 但し、厳密には、「付与の法的根拠が崩れた」とまでは言えないだろう。
 なぜなら、平成7年最高裁判決は何ら変更されていないし、その「傍論」部分を否定する新しい最高裁判決は出ていないからだ。
 かりに園部逸夫が「主導的役割を果たしたとされる」(2/19)のが事実だとしても、その園部がのちに何と発言しようと、最高裁判決自体(「傍論」を含む)が取消されるわけではない。問題の最高裁判決の理由(「傍論」を含む)は5名の裁判官が一致した見解として書かれたもので、その内容を修正・限定するいかなる法的権能も、現在は私人にすぎない園部にあるはずがない。
 それにしても、1929年生まれで、私のいう<特殊な世代>(占領期の「特殊な」教育を少年・青年期に注入された、1930-35年生まれの世代。大江健三郎等々を含む)にほとんど近い園部逸夫とはいかなる人物なのか。
 問題の「傍論」部分には「(在日韓国・朝鮮人を)なだめる意味があった。政治的配慮があった」と明言したらしい。
 5人の裁判官の合意の上で書かれたはずの文章部分について、当時の裁判長でもない一人の裁判官だったはずなのに(裁判長であっても許されないが)あとからその趣旨・意図を解説してみせる、というのは、取材記者による誘導があったかもしれないが、かなり異常だ。
 判決理由中で書かれた文章が客観的に社会に残されたすべてであるはずなのに、他の4人に相談することもなく(?)一人で勝手に注釈をつけるのはどうかしているし、その内容も異様だ。
 この点では、テレビ中継は見ていないが、産経新聞3/6によると枝野幸男(行政刷新相)が参院予算委員会で語ったという、「政治的配慮に基づいて判決したのは最高裁判事としてあるまじき行為だ」との批判は当たっている。
 「その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(憲法76条3項)という裁判官の職責に抵触していない、「良心」と<政治的>配慮は区別し難い場合もあるから、という反論・釈明は可能かもしれないし、もともと園部逸夫の発言の趣旨が厳密に正確に報道されたのか、という問題もあるかもしれない。
 しかし、紙面によるかぎりは、園部逸夫という人が、最高裁裁判官だった者としてふさわしくない発言をしているのは確かだ。
 そして、最高裁裁判官になった人ですら、ひいては最高裁判決ですら<政治的>配慮をすることがある、ということを(あらためて?)一般に知らしめた、ということでも興味深い。
 園部逸夫の歴史認識には正確でないところがあるようだが、いずれにせよ、朝鮮人・韓国人に対する<贖罪意識>が基礎にあるように推察される。そして、かかる<贖罪意識>は、上に触れた<特殊な世代>のみならず、そのような世代の意識を継承した、またはそのような世代によって教育を受けた、より若い世代にも―裁判官を含む専門法曹の中にも―広く蔓延している、と見られる。
 この(中国人に対するものも含む)<贖罪意識>と、日本「国」民ではない多様な文化を背景とする人々との「共生」、<多文化共生社会>を目指そうという一種のイデオロギー-後者は「ナショナルなもの」の無視・否定という戦後の大きな<思潮>に含まれる、またはそこから派生している―が、外国人(地方)参政権付与「運動」の心理的・精神的支柱に他ならないだろう。
 二 某神社(神宮)のグッズ販売所(?)のカウンターに、日本会議という団体発行の月刊「日本の息吹」3月号というのが自由にお取り下さいという感じで置かれてあったので、初めて見たこの雑誌(冊子)を持ち帰り、少し読んだ(ひょっとして有料だったのか?)。
 百地章が「提唱者も否定した外国人参政権」という一文を寄せている(p.12-13)。
 提唱者=長尾一紘も改説して「否定」し、当事者として「主導したと思われる」園部逸夫元裁判官もいわゆる「傍論」を「批判」している、という。
 百地章によると、園部逸夫は三年前の某雑誌(日本自治体法務研究9号、2007年)で、「この傍論を重視するのは俗論である」と「批判」したらしい。百地は「園部氏もさすがに傍論が一人歩きしているのはまずいと多少は責任を感じられたのでしょうか」、「となれば…傍論の当事者たる裁判官によっても否定されたことになります」と続けている。
 二つの感想が湧く。まず第一に、叙上のとおり、いったん書かれた判決理由がすべてであって、裁判官を退いてから、あとで何らかの修正・限定をしようとしているとすれば、そのような文章を書いた園部逸夫は異様だ。それに、百地引用部分のかぎりでは、「傍論を重視する」、「俗論」の意味がいずれも明瞭ではない。前者は要するに<程度>問題だと思われるし、後者の「俗論」とはいかなる意味の言葉なのかもはっきりしない。傍論は「法の世界から離れた俗論」だと言うならば、また、園部は「主観的な批評に過ぎず…」とも書いているらしいが、このような「傍論」の理解は奇妙だと考えられるし、そもそもそのような「法の世界から離れた俗論」にすぎないとされる「傍論」を含む判決理由の作成に参画し合意したのは園部自身ではないか、という奇怪なことになる。
 つぎに、百地章は「したがって部分的許容説はもはや崩壊したも同然です」とまとめているが、ここで「崩壊したも同然」とだけ書かれ、「崩壊した」と断定されていないことに、(少なくとも法的には)注目される必要がある。
 百地章も認めるだろうように、平成7年最高裁判決は変更・否定されずにまだ「生きて」いるのだ。
 提唱学者が改説し、当事者裁判官の一人がその意味を減じさせようとするかのごとき発言をした、と書いて、あるいは報道して、その<政治的>意味をなくそう(または減じさせよう)とすることに反対するつもりはない。だが、平成7年最高裁判決が法律による参政権付与を許容する「一定の在日外国人」の範囲は同判決の文言に照らして厳密に検討する必要があるとしても、「法的」(あるいは「判例」としての)意味が完全になくならないかぎりは、それはなおも<政治的>意味を完全には失わないだろう。
 心ある法学者または憲法研究者がなすべきことは、<傍論>にすぎないとか、提唱者や当事者裁判官も否定・批判(疑問視)しているとかと言い募ることではなく、憲法解釈論としていわゆる「傍論」部分を正面から批判し、判例変更を堂々と主張し要求することではないか、と思われる。
 平成7年最高裁判決について、主文に直接につながる部分と「傍論」とは<矛盾>している、と批判する<保守派>の論調もあるようだ(百地章も上の文章の中で「この奇妙で矛盾した傍論」と書いている)。
 だが、憲法上は権利として保障(付与)されていないが法律で付与することは違憲ではない(法律で付与しなくても違憲ではない)という論理は一般論としては成り立つものだ。憲法上の「人権」等として保障されていなくとも、法律レベルで具体的権利が付与されている例はいくらでもある。
 憲法15条のみの問題として把握するのではなく、国政と地方政治(地方行政)は同一ではないことを持ち出して、憲法92条(「地方自治の本旨」)・93条(「住民」)上のいわば白紙部分を法律で補充することを容認する、という憲法解釈を採用することがまったく不可能とは思えない(そして、そのような旨をいわゆる「傍論」は明言したことになる)。
 このことをふまえたうえで、国政と地方政治(地方行政)は同一ではないが、いずれも広義には「国家」の統治作用であり、明瞭に区別することはできない(=地方政治・行政も狭義の「国」政と無関係ではなく、影響を与える)、等々の議論をして、平成7年最高裁判決のいわゆる「傍論」部分を正面から問題視することの方が、よりまっとうでまともな議論の仕方だろう。
 遅ればせながらの、かつ傍流(?)的感想として。