産経新聞2月11日付社説は「建国記念の日」をとり挙げており、よい意味で異彩を放っている。
 朝日・毎日はもちろん日経・読売新聞もこの日の社説のテーマにしていない。社説どころか、朝日や毎日のこの日の朝刊には、「建国記念の日」に関する記事そのものが全くなかったのではないか。こんなことが朝日等において他の祝日(記念日)についてはあるのだろうか。
 かかる新聞の大勢の現状こそがむしろ異様と言うべきなのだろう。
 「神話が生きる国誇りたい」を大見出しとする産経新聞社説は「日本のように連綿と歴史が続き、神話的な物語に基づいて国の誕生を祝うという例は、むしろ例外なのである」とする。そういえばそうだと意表を突かれた感じで納得する。
 建国記念日の復活等は「多くの国民」が「日本の国づくりの歴史を通して、日本や日本人の生き方を考えようとしたからだ」という指摘にも納得する。「多くの国民」と言えるかどうかを(朝日新聞的立場のように)大いに疑問視する向きもあろうが、主権者・「国民の皆さま」を<代表>する国会が法律で決定したのだから、「多くの国民」と表現するのは決して僭称ではない。
 そして、建国以来の歴史に「国民はもっと誇りを持ってよいのではないか。その誇りがひいては、日本の国を愛し、日本の伝統文化や国語を大切にする心を養うことにもつながるだろう」との最後の一文にもほとんど違和感はない。
 <ナショナルなもの>を忌避し嫌悪しあるいは無視しようとする<(容共)左翼>の広範な存在によって、あるいはすでに長くなった<戦後の平和と民主主義(・国際協調主義)>風潮の継続の中で、日本の(長い)歴史への「誇り」を正面から語ることは困難になってきたという面があることを完全には否定できないだろう。
 そうした中では、産経新聞のあたり前のような主張がむしろ新鮮に感じられる。どこかが奇妙で倒錯した時代になってきている、と言うべきだろう。
 産経新聞社説も言うように、「神話というのは、そっくり史実ではあり得ない」、「しかし、記紀につづられた神話は、民族の生活や信仰、世界観が凝縮されたもので、単なる作り話ではない」、「神話は民族の貴重な遺産なのである」。
 私にとってはしごく当たり前の指摘だが、たとえば朝日新聞の論説委員等は、このように<日本神話>や日本の歴史を捉えないのだろう。明治以降はおろか古代についても、日本独特の<誇り>ある歴史ではなく、むしろ中国や朝鮮半島からの影響や<恩恵>を強調したい気分であるに違いない、と推測する。
 「神話というのは、そっくり史実ではあり得ない」のだが、産経新聞社説は日本国家の長い歴史に触れる中で、「建国当初の国家がそのまま現在につながり、神武天皇以来125代の長きにわたって皇統も継承されてきた」と書いている。
 この文章のうち「神武天皇以来125代の長きにわたって皇統も継承されてきた」という部分は、少し気になる。
 現在の日本史学界の支配的な理解だと、皇統が長く続いていることは認めるとしても、「神武天皇以来125代の長きにわた」る継承という部分は否定されるのではないか。
 マルクス主義史学がなお支配的な現在の日本史学界に従わないとしても、つまり私のような者でも、本当に「125代」なのか、そもそも「神武天皇」は実在したのか、という疑問は持っている。
 神武天皇(神日本磐余彦命)とのちに呼ばれた「天皇」が2600余年前に<建国したということになっている>という叙述ならばよい。だが、「2600余年前」はともかくとしても、「125代」前の初代の「神武天皇」は実在した、と断定するのは私でもいささか躊躇するところがある。
 安本美典説によると、古代(ここではどの天皇から以前かの議論には立ち入らない)の天皇の生没年・在位年数は信じられないが、天皇(にあたる、スメラノミコト?)の<代の数>自体の記憶は日本書記の編纂時あたりまで残り続けただろう、という。
 そうだとすると、「神武天皇」とそれ以降の十代程度の天皇もまた、彼らにあたる人物は実在した、ということになるだろう。
 そのような可能性を私も否定するつもりはない。イザナギ・イザナミに至る複雑な系譜(系図)が、天照大御神も含めて、全くの<捏造>とは思えない。
 だが、たとえば、大友皇子(天智天皇の子)はかつては(いわゆる天武天皇系の時代=ほぼ「奈良時代」には)天皇位継承の事実は否定され、明治になってから、弘文天皇と追号され、皇位を継承したと「認め」られたのではなかっただろうか(明治以前のことだったかもしれないが、そうだとしてもここでの本筋には関係がない)。
 「125代」というのはこの弘文天皇も一代として算入しているはずだ。そうだとすると、大友皇子(弘文天皇)の皇位継承が<正式には>認められなかった時代の理解をかりに継続させると、現在の天皇陛下は「125代」めの天皇ではあられないはずなのではないか?
 南北朝時代の皇位継承(数)に関する議論も全く生じえないとは思われない。要するに、学問的にいえば、天皇の代数は必ずしも絶対的に<正しい>ものではないのではないか?
 こんな意味では、産経新聞社説がてらうことなく(?)あっさりと「神武天皇以来125代の長きにわたって皇統も継承されてきた」と(「神話」ではなく)史実の如く書いていることには、やや驚くとともに、<勇気>すら感じる。
 この<勇気>は、必ずしも肯定的な評価を伴うものではない。
 記紀等をふまえると、「神武天皇以来125代の長きにわたって皇統も継承されてきた」と<されている>、という程度でよいのではないか。
 ちなみに、神功皇后や応神天皇を祭神とする古い神社はいくつもある(天照大御神はもちろん)。神武天皇を祭神とする神社は、明治になって以降に建てられた橿原神宮以外に、あるのだろうか。神武天皇の実在性は神功皇后や応神天皇(・天照大御神)よりも薄いのではないか、という感覚的な根拠として記しただけだが。
 元に戻して続ける。
 建国記念日に現在でも反対している活動家たちや違和感をもっているかもしれない平均的な(?)日本人は、その日が「2月11日」で、神武天皇が旧暦の元旦(1月1日)に「即位」し「建国」したのは<嘘くさい>と感じているだろう。
 たしかに神武天皇(神日本磐余彦命)が<元旦(1月1日)に「即位」した>というのは記紀に書かれてあるだけで客観的な証拠があるわけではない。産経新聞社説も述べるように「神話というのは、そっくり史実ではあり得ない」のだ。
 したがって、上の疑問には理由がある、と思われる。もっとも、そうでなくとも(2月11日でなくとも)、自民党政府に対する反対者、明治以降の日本国家(=「帝国主義」・「軍国主義」国家)によって作られた記念日などは全面否定したい者たち、つまり「左翼」活動家たちや朝日新聞等の「左翼」的マスコミ人士は、「建国記念の日」の設定そのものに反対する(反対した)だろう、と思われるが。
 一方、保守派の人々も、日本「神話」を完全な史実と誤解してはいけない。記紀においてすら、たしか、「神代」という言葉が使われて、「建国」時代のことが書かれているのだ。
 したがって、<元旦(1月1日)=新暦2月11日に神武天皇が即位し建国した>というのは、<神話>あるいは<伝承>であることを認める(少なくともその可能性を否定しない)程度の柔軟性をもっておくべきだろう。
 <神話>あるいは<伝承>によると、初代天皇がその日に即位し「建国」した<ことになっている>という程度で、何ら差し支えないのではないか?
 産経新聞社説の言うように、日本は、「神話的な物語に基づいて国の誕生を祝うという」世界でも例外的な・稀少な国なのだ。
 「連綿と歴史が続」いている、「神話的な物語に基づいて国の誕生を祝うという」国家であることに<誇り>をもって何が悪い、と思っている。そう、朝日新聞の若宮啓文あたりには言ってやりたい。
 最後に、唐突ながら、某神社(神宮)の境内に建てられている石碑に刻まれた、昭和天皇御製。
 「遠つおやの しろしめしたる大和路の 歴史をしのび けふも旅ゆく」
 「しろしめす」という語の意味はひょっとして問題になるかもしれないが、自らの「遠つおやの しろしめしたる…」という感覚は、やはり常人のものではない、とあらためて感慨を覚えるところがあった。「遠つおや」とは1200年以上前の「おや」なのだ…。このような「御製」が詠われる「天皇」(にあたる地位・職)をもつ国は、日本以外にあるのだろうか。こうした点も、日本の<遅れ>・<異様さ>だと、「左翼」人士あるいは反天皇の<合理主義者・インテリ>のつもりの者たちは、考えているのかもしれないが。