一 荒川章二・豊かさへの渇望/日本の歴史16・一九五五年から現在(小学館、2009.03)。最近は珍しくなった日本史通史の全集ものの最後の巻で、現在までを扱う。
 少し読んで、反吐が出そうになる。民主党内の旧社会党派、社民党、共産党、あるいはこれらの政党を支持する政治団体又は労働団体の<政治宣伝ビラ>を集めて並べたような本だ。
 「おわりに」によると、「私たちは歴史の主体として戦後社会をどのようにつくりあげてきたのか」が「本巻の問題設定」だったらしく、その結論は、「戦後日本の民衆的経験は、ある時は行政や企業に真っ向から対抗し、しだいに現実的な提案能力を高め、拒否と批判による政治への影響だけではなく、提案と創造による社会の改革・変革の能力をも蓄積してきた」(p.362-3)、ということらしい。
 この荒川章二という人は、狂っているのではないか。
 二 「おわりに」の文章は次のように続く。「現代の私たち」が「新しい時代」に選択する「選択肢」を考える「素材」として「本巻」では、「家族・労働と、そのなかにひそむ性や民族的出自による差別、諸地域・諸産業を切り分ける極端に不均衡な政策、そして沖縄に代表される戦後国家の巨大な『軍事空間』に注目して」、戦後史像を描いた、と(p.363)。この明記に見られるように、この本は要するに、①「差別」と②「不均衡」な政策、③「軍事」に着目して「戦後史」を書いた、というわけだ。
 これらが歴史叙述の重要な要素たりうることを否定はしないが、これらに(のみ)「注目」したと特記しているのだから、その偏向ぶりのヒドさを予想させる。
 「おわりに」では、さらに次のように述べる。上の①の「家族・労働にひそむ差別」に関して、「近年の新自由主義的市場原理が、…貧困・格差問題を浮かび上がらせたように、…雇用と生活の破壊はさらに進行する可能性さえあるだろう」。
 上の②に関して、「経済成長…過程で傷めつづけてきた国土」の再生が課題で、「分権と自治」が前提になるが、「ひたすらな自治体合併、統合政策の推進は、…市民的活力を削ぐことが危惧される」。
 上の③に関して、「…日米軍事同盟の行方という点に帰着」し、「東アジアにおける日本の位置」の定めという外交課題に直結する…(p.363-5)。
 三 1.日本の戦後史を考える又は叙述する場合でも、米ソ対立あるいは冷戦の成立と終焉(欧州での)という国際環境の変化を無視することはできないはずだ。
 上の荒川章二の本は、欧州での冷戦終結・「社会主義」ソ連の崩壊について、竹下~宮沢内閣の、「その間に、…冷戦崩壊・東西ドイツの統一で世界的な軍縮が急激に進み、九一年末、ソ連邦も解体した」 (p.219)としか書いていないと見られる。
 この本が扱っている米軍・自衛隊「基地反対闘争」も60年「安保反対」運動も、米ソ対立や「社会主義」国・ソ連の存在があればこそ発生し、ある人々にとってはそれが少なくとも精神的・理念的な「支え」にもなったのではないか? にもかかわらず、ソ連解体の叙述が上の程度であるのは何故か? 歴史学者らしい荒川章二は、まともに物事を見聞きし、理解する力があるのだろうか。
 2.北朝鮮への「祖国帰還」運動、北朝鮮当局による1970年代の日本人拉致については、当該時代の叙述の中には欠けている(いっさい触れていない)と見られる。その代わり、次のような<異様な>叙述が、小泉内閣時代の中に出ている。
 2002年10月に拉致被害者「五人の帰国が実現した。彼らは当初一時帰国とされたが、日本にとどめたまま家族の帰国を要求したことから北朝鮮側が硬化し、事態は膠着し、国交回復交渉も暗礁に乗り上げた。この後日本国内では…同情と真相究明の世論…北朝鮮への反発が高まった。同じころ、アメリカ…は北朝鮮を悪の枢軸の一国と名指しし、国際社会に対決を訴えた。北朝鮮は対抗的に核開発を再開し、日本政府は対米関係に配慮して、…日朝関係は一挙に暗転した。…日本政府は拉致問題の解決を働きかけるが、膠着した外交関係に制約され、…その後は事態打開への扉は開けないままである」(p.323-4)。
 上の文章によると、「北朝鮮側が硬化」して「事態」が「膠着」した原因は日本政府(・被害者家族)が「日本にとどめたまま家族の帰国を要求したこと」にあり、米政府と同一姿勢に立ったことにもよるこの「膠着した外交関係」によって、「事態打開」がなされていない、つまりは責任は全て北朝鮮ではなく日本(+「悪の枢軸の一国と名指しし」た米国)にある、とされている。北朝鮮の「核開発」の責任は米国にあるらしい。
 この荒川章二という人の頭は(他にも和田春樹とかがいたが)<ふつうではない>のではないか。
 他にも沖縄問題、教科書問題等々について、見事に「左翼教条」言説が並んでいる。ヒマがあれば別に紹介する。
 四 ブログの記述やそれこそ政党ビラならばここで取り上げようとも思わないが、日本史通史の<全集>ものの一巻というのだから、メモしておかざるをえない。日本の近現代史(学)はまだまだマルクス主義又は「左翼」が支配していると誰かがどこかで書いていたが、見事な例証を知った思いがする。
 荒川章二(1952-)は一橋大学社会学研究科出身で「専攻」は「日本近現代史」だという。青木書店から単著(『軍隊と地域』)を刊行しているので、日本共産党員か日本共産党の強いシンパである可能性が髙い。
 一橋大学にはかつて、藤原彰、中村政則、永原慶二等のマルクス主義歴史学者が巣くっていた(現在も?)。荒川章二は、これら先輩たちの薫陶よろしきを得たに違いない。そして20歳代、30歳代の若手の研究者へと強く継承されていっているのだろうから、恐ろしい。
 小学館も奇妙な書物を刊行したものだ。だが、直接の責任は小学館の編集部にではなく、この全集の編集委員、すなわち、平川南、五味文彦、倉地克直らにあると思われる。こんな本の内容が、1955年~現代の歴史叙述の日本史学界の「通説」的・「代表」的なものと理解されてよいのか。編集委員も少しは恥ずかしく思ってもらいたい。