一 この1カ月の間に浮かんできた言葉は、<左翼ファシズム>(又は<左翼全体主義>)だった。
 おそらく前航空自衛隊幕僚長・田母神俊雄論文をきっかけとする「事件」がきっかけだったのだろう。
 <戦後民主主義>という体制的・支配的「空気」は<左翼ファシズム(全体主義)>と化して、本当の「個人」を否定し本当の「自由」を剥奪し、日本の歴史・文化とともに日本「国家」を解体しようとしているようだ。
 憂う。懸念する。危惧する。
 二 月刊WiLL1月号(2008.11末発売、ワック)の中西輝政「田母神論文の歴史的意義」(p.60~p.89、計30頁!)等々、関係新聞記事も含めていちおうはきちんと読んではいる。
 具体的・個別的なことは今回は(も)書かない。
 中西輝政の上の論文で印象深い一つは、次のことだ。
 中西によると、英国のチャーチルは日本の敗戦間近に<日本は百年立てなくなる>、<国がボロボロになるような敗戦をしたら、その国では百年間、人の心は戻らない>という旨を言ったらしい。国民は敗戦をもたらした自分の国家を「呪い、厭い続け」、そのような国民を(「自分を呪い続ける」国民を)抱える国家は「いずれ立ちゆかなくなる」、と中西は続けている。
 中西輝政には(も?)一種の諦念と覚悟があるようだ。
 敗戦後まだ60年余しか経過しておらず、「百年」経過するにはあと37年が必要だ。それまで、日本は立ち直れないのではないか。いったん落ちるところまで落ちてはじめて復活できるのではないか。
 中西も私も37年後に(おそらく間違いなく)生きてはいない。中西は書く。
 「『苦難の百年』の中で、立ち上がろうと『戦い続ける系譜』の中に自分がいれば、それで十分なのではないか」。
 「生きている間に生まれ変わった日本を見たいという気持ち」を個人的にはもつが、「事はそう簡単ではない」。我々は「大きな流れの中」の「ただ一点に立っているだけ」だが、「それでよい」。「戦い続けること、それ自体が誇りであるからだ」(以上、p.89)。
 一年ほど前に中西輝政は総選挙→日本共産党が全区立候補しないことにもよる民主党勝利・民主党中心政権誕生を予想しつつ<政界再編>に望みをかけていたように見えたが、現在はどう考えているのだろうか。
 目下の政治情勢では、自主的な憲法を日本人が持つことができる具体的な展望は出てこない。
 むろん自民党にも責任があることだが、ヒドい「政治」状況だ。そして、安倍晋三内閣退陣の大きな遠因になった2007参院選の前に見られたように、朝日新聞が「右派」と称した者たち(政治家・グループ等々)に対する<執拗な>、存在意義を賭しての攻撃・非難は今後も継続するだろうし、その準備もしているだろう。
 日本は<侵略>されなくとも、すでに親中派・親北派等の朝日新聞・岩波書店等のマスコミ・出版社や政治家・評論家等々によってとっくに<間接侵略>され、崩壊しつつあるのではないか。
 憂い、危惧する。明るい気分になれない。
 三 たまたま気づいたのだが、撃論ムック・「慰安婦・南京」の真実(オークラ出版、2007.07)の巻頭で西村幸祐は、「反日ファシズム」という語を用いている。
 「ファシズム」・「軍国主義」の再来・復活を警戒してきた者たち(この性向のあらゆる政党・組織・個人を含む)は、自分たちこそが特定の「空気」に洗脳され染まっていることに気づかず、その「空気」から見て異端の人々を執拗に排除し抹殺しようとするファシストになっているように思える。