反マルクス主義・ハイエキアンたることを明言する憲法学者・阪本昌成法の支配(勁草書房、2006.06)の読書メモを再開する。
 (前回は今年の2月にまでさかのぼる。)

 第一章・第2節「現代国家のパラドックス」
 1 統治の必要性と個人の自由
 (1)現代国家の新任務
 近代立憲主義=自由主義(リベラリズム)は、国家の必要性と国家による個人の自由の侵害の危険のパラドクスを解こうとした(統治の必要性と自由保障の同時実現のための思索)。
 現代立憲主義は、現代国家の「景気調整や所得再配分政策」を新任務と国家による個人の自由・所得の管理とのパラドクスを解こうとするが、成功していない。

 「現代立憲主義国家の新任務は人々に強制を加えており、その意味で、新たなパラドックスを発生させている」。

 徴収された税による「公共財」の提供なら受容できようが、政府は不平等に徴税し「私が利用しそうもない項目」に支出している。強制的徴税の論拠たる「公共性」を充たしているか疑問。

 (2)現代国家の負の効果

 その他、開発・自由な土地利用を規制する法律は無数あり、手続は煩雑で、この手続的等の「コスト」は膨大。このコスト計算による計画断念の方が合理的選択になりそうで、規制法律は企業家精神を萎えさせイノベーションの機会を減少させている。

 また、最低賃金法は「潜在的労働者の就職機会を減少させる」法制度だ。この法律は無技能の人々の雇用機会に対する負のインセンティブをもつ。

 国家による市場への直接介入は誰かの自由に強制を加え、市場の秩序と効率性を攪乱する。
 「現代立憲主義の幻覚」から覚醒するためには「近代立憲主義」を「真剣に再検討」する必要がある。
 以上、p.13~p.15。