一 月刊日本2008年6月号小林よしのり「『月刊日本』読者様へのご挨拶」を読む。
 沖縄集団自決・大江健三郎に関する内容に異論はない。
 最初の見出し「保守思想家を名乗る気などございません。」は、一五、六流の自称評論家・山崎行太郎から「論争から逃げるような打算的な保守思想家に保守思想家を名乗る資格はない」と書かれたことへの反応のようだ。どう見ても山崎行太郎と<論争>をする意味・必要性はない。半分以上は歪んで倒錯している人物と対論・対話が成り立つ筈がない。
 二 「保守思想」といえば、小林よしのり・パール真論(小学館、2008)は西部邁の「保守思想」を疑っている(p.82あたり以下)。
 西部邁の諸君!2008年1月号論文(私も当時に読んだような気がする)は小林の言い分の方が優っているが中島岳志の<日本の保守派は安易にパール意見書を利用しすぎた>旨の指摘は当たっているところがある、というような印象のものだった。
 小林よしのりは丁寧に西部邁の論述をフォローして、「新説珍説」・「デマはこうやって膨らんでいくものだという実例」(p.76)、「混乱の極みに達する」(p.79)、「思想家の思い上がりもここまできたかと嘆息をもらす」(p.80)等々と厳しく批判し、西部邁の文章の一部の正確な引用と思われる「その講和で『政治的みせしめを甘受することにした』ということで話を御仕舞いにしなければならないのだ」という部分についてとくに、これはA級戦犯は犯罪者だと甘受せよというに等しく、靖国神社分祀論等の「サヨクの術中に落ちるだけ」とし(p.83)、西部邁に対して「保守思想家としての実績という財産すべてをドブに捨てることになりますよ」と忠告し(「もう手遅れか」とも。p.87)、次のようにまとめる。
 「西部邁は、たかが自分におべっかを使ってくれる中島岳志を守りたいという私心を満足させるために……国の恩人〔パール判事〕を誹謗中傷した」。「代わりに言うことが『東京裁判の政治的見せしめを甘受して御仕舞いにしろ』だ。これで保守思想を強化したつもりなのか。/わしは一抜けた。金輪際『保守派』になど分類されたくはない」(p.88)。
 「『保守派』になど分類されたくはない」という部分は、上記の「保守思想家を名乗る気などございません」という言葉のつづきのようだ。
 中島岳志の本を読んでいないし(所持はしている。その頁数の少なさ(薄さ)、1/3~半分がパール判事の文章の引用という内容的な薄さ、研究書とはとても感じられないことが印象に残る)、上記の西部邁論文もうろ覚えだが、小林よしのりの言いたいことはよく分かる。つまり、<東京裁判の甘受>を<保守思想家>が主張してよいのか?。<東京裁判史観の甘受>こそが戦後日本を覆った<左翼・親米>イデオロギーのもとではないのか?
 日本に<保守>論壇又は<保守>派というのがあるとすれば、小林よしのりのような有能な人物に、「保守思想家を名乗る気などございません」・「わしは一抜けた。金輪際『保守派』になど分類されたくはない」などと書かせることは(外野席からながら)非常に拙(まず)い、と思われる。
 なお、西部邁は表現者という隔月刊雑誌(イプシロン出版企画)の「顧問」の一人で(もう一人は佐伯啓思)、毎号「保守思想の辞典」というのを連載している。こういう<保守>中の<保守>の論客らしき人物が、その「保守思想」性を疑問視されているのだから(しかも相当に根拠はあると私は感じる)、なかなかに(外野席からながら)面白い。
 三 元の月刊日本の小林の文章に戻ると、最後の方にこうあるのが印象に残る。
 「わしは『月刊日本』をお金を払って定期購読している。これ以上、山崎〔行太郎〕の愚にもつかない左翼擁護を見たくもないから、編集長がこれを続けるというのなら定期購読を打ち切るつもりだ」(p.54)。
 山崎行太郎がこの雑誌上で対小林よしのり闘争宣言を書いたらしいという程度のことしか知らなかったが、山崎は沖縄集団自決に関して大江健三郎擁護そして反小林でどうやら3回連載したらしい。また、なんと、上記の6月号にも「山崎行太郎の『月刊・文芸時評』第49回」というのが掲載されていて、「『南京問題』も『沖縄集団自決』も、そして他の様々な問題において、どんなに多くの証拠をかき集めたところで、真偽の最終決着はつかない。せいぜい、発言や証言や告白の自己矛盾を指摘することができるだけだ」(p.133)などとアホなことを書いている。
 山崎において南京<大虐殺>はあった、のであり、「沖縄集団自決<命令>」もあった、のではないのか?という疑問がまず生じるが、上のように「真偽の最終決着はつかない」と述べるのも誤っている。まっとうな・合理的判断能力をもつ大多数の人びとによって<真偽>の決着がつけられる問題はあるし、上記の例はそのような問題だろう(ここでの<真偽>の決着とは、訴訟上・裁判上のそれを意味させているつもりはない)。将来において大多数の人びとによって<真偽>の決着がつけられた問題に、歪み倒錯した山崎行太郎は一人で、いやおかしい、と叫び続けていればよいだろう。
 やや回り道をしたが、月刊日本という雑誌はどう見ても<保守派>の、又は<保守的>傾向の雑誌だが(その他の執筆者の名を見ればすぐに分かる)、なぜこの雑誌は山崎行太郎などという<左翼>の一五、六流の自称評論家を使っているのか、不思議でしようがない。「編集・発行人」は、南丘喜八郎、という名前になっている。ときどきは購入しようかと思ったが、山崎行太郎が毎号出てくるのでは(今回は知らなかった)、とても購入する気にならない。
 四 なぜ(半分は倒錯し歪んだ一五、六流の自称)評論家・山崎行太郎を使うのだろうと感じるのは産経新聞も同様で、産経新聞の6/15には山崎の「私の本棚」というコラム的なものが載っている。
 産経新聞は<左翼>に(も)活動の場を提供している。山崎行太郎が「勧進元」の意向次第でどのようにでも動く「思想」性の欠如した融通無碍の人物である可能性もある。
 だが、上のコラム的な文章の中で山崎は、親大江健三郎気分を明記している。また、近年の対大江・岩波自決「命令」名誉毀損損害賠償請求訴訟に関しても原告たちを揶揄し大江を守ろうとしてしいる。さらに、何といっても、この人物は、1年ほど前に、当時の安倍晋三首相について<気違いに刃物>と自分のブログで明言して、反安倍の妄言を吐き続けていたのだ。
 朝日新聞等々のまともな?<左翼>メディアに相手にされなくなって、山崎行太郎は月刊日本や産経新聞に「拾われ」たのだろうか。あるいは、産経新聞(・月刊日本)は山崎行太郎ごときに原稿を依頼しなければならないほど、執筆者不足に陥っているのだろうか。
 五 安倍晋三首相について<気違いに刃物>と言っていた(とくに憲法改正への重要な権限を与えられていたことを指す)人物が堂々と産経新聞紙上に登場してくるとは、やはりこの世の「終わり」、日本の「自壊」は近い、と感じてしまう。
 月刊日本(K&Kベストセラーズ)や産経新聞(社)(の関係者)は<頭を冷やす>のがよいと思う。