一 樋口陽一について前回書いたこととの関係でいうと、すでに紹介したことはあるが、同じ憲法学者でも樋口よりも若い世代、1945年生まれの阪本昌成(広島大学→九州大学)は相当に勇気があるし、エラい。
 阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー(有信堂、1998)p.22は、次のように明言した。第二版(2004)も同じp.22。
 「マルクス主義とそれに同情的な思想を基礎とする政治体制が崩壊した今日、マルクス主義的憲法学が日本の憲法学界で以前のような隆盛をみせることは二度とないはずだ(と私は希望する)。/マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと、そして、それに同調してきた人びとの知的責任は重い。彼らが救済の甘い夢を人びとに売ってきた責任は、彼らがはっきりととるべきだ、と私は考える」。
 「マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと」や「それに同調してきた人びと」の具体的な氏名を知りたいものだが、多数すぎるためか、区別が困難な場合もあるためか、あるいは存命者が多い場合の学界上の礼儀?なのか、残念ながら、阪本昌成は具体的な固有名詞を挙げてはいない。
 また、阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-フランス革命の神話(成文堂、2000)のp.7は、こうも明記していた。
 「戦後の憲法学は、人権の普遍性とか平和主義を誇張してきました。それらの普遍性は、国民国家や市民社会を否定的にみるマルクス主義と不思議にも調和しました。現在でも公法学界で相当の勢力をもっているマルクス主義憲法学は、主観的には正しく善意でありながら、客観的には誤った教説でした(もっとも、彼らは、死ぬまで「客観的に誤っていた」とは認めようとはしないでしようが)」。
 二 樋口陽一が「マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと」又は「それに同調してきた人びと」の中に含まれることは明らかだ。その樋口は、樋口陽一・「日本国憲法」まっとうに議論するために(みすず書房、2006)の最後の「読書案内」の中で、「ここ一〇年前後の公刊された単独著者の作品」としてつぎの6人の書物を挙げている。
 樋口陽一が気に食わないことを書いている本を列挙する筈はなく、樋口にとっては少なくとも広い意味での<後継者>と考えている者たちの著書だろう。その六名はつぎのとおり(p.176-7)。
 ①蟻川恒正(東京大学→退職)、②石川健治、③毛利透、④阪口正二郎(早稲田→東京大学社会科学研究所→一橋大学)、⑤長谷部恭男(東京大学。ご存知、バウネット・NHK・政治家「圧力」問題で朝日新聞の報道ぶりを客観的には<擁護>した「外部者」委員会委員の一人)、⑥愛敬浩二(名古屋大学。憲法問題の新書を所持しているが、宮崎哲弥による酷評があったので今のところ読む気がしない)。
 樋口陽一がその著書を実質的には<推薦>しているこのような人物たちは-阪本昌成よりもさらに若い世代の者が多そうだ-、日本の国家と社会にとって<危険な>・<害悪を与える>、例えば<リベラル>という名の<容共>主義者である可能性が大きい。警戒心を持っておくべきだろう。