樋口陽一らの憲法学者が最高の価値であるかに説く「個人主義」又は「個人の(尊厳の)尊重」について疑問があることは、私自身が忘れてしまっていたが、振り返ると何度も述べている。
 この欄の今年(2008年)1/12のエントリーのタイトルは「まだ丸山真男のように『自立した個人の確立』を強調する必要があるのか」で、こんなことを書いていた。以下、一部引用。
 佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)p.197-8によると、「日本社会=集団主義的=無責任的=後進的」、「近代的市民社会=個人主義的=民主的=先進的」という「図式」を生んだ、「『市民社会』をモデルを基準」にした「構図」自体が「あらかじめ、日本社会を批判するように構成され」たもので、かかる「思考方法こそ」が戦後日本(人)の「観念」を規定し、「いわゆる進歩的知識人という知的特権」を生み出す「構造」となった。
 佐伯啓思・現代民主主義の病理(NHKブックス、1997)p.74-75によると、丸山真男らにおいて、「日本の後進性」を克服した「近代化」とは「責任ある自立した主体としての個人の確立、これらの個人によって担われたデモクラシーの確立」という意味だった。
 憲法学者の樋口陽一佐藤幸治も、丸山真男ら<進歩的>文化人・知識人の上記のような<思考枠組み>に、疑いをおそらく何ら抱くことなく、とどまっている。
 文字どおりの意味としての<個人の尊重>・<個人の尊厳>に反対しているのではない。だが、<自立した個人の確立>がまだ不十分としてその必要性をまだ(相も変わらず)説くのは、もはや時代遅れであり、むしろ反対方向を向いた(「アッチ向いてホイ」の「アッチ」を向いた)主張・議論ではなかろうか。少なくとも、この点だけを強調する、又はこの点を最も強調するのは、はたして時代適合的かつ日本(人)に適合的だろうか。
 有数の大学の教授・憲法学者となった彼らは、自分は<自立した個人>として<確立>しているとの自信があり、そういう立場から<高踏的に>一般国民・大衆に向かって、<自立した個人>になれ、と批判をこめつつ叱咤しているのだろう。
 かりにそうだとすれば、丸山真男と同様に、こうした、<西欧市民社会>の<進んだ>思想なるものを自分は身に付けていると思っているのかもしれない学者が、的はずれの、かつ傲慢な主張・指摘をしている可能性があるのではないか。
 憲法学者が戦後説いてきた<個人主義>の強調こそが、それから簡単に派生する<平等主義>・<全国民対等主義>と、あるいは個人的「自由」の強調と併せて、今日の<ふやけた>、<国家・公共欠落の・ミーイズムあるいはマイ・ホーム型思想>を生み出し、<奇妙な>(といえる面が顕著化しているように私には思える)日本社会を生み出した、少なくとも有力な一因だったのではなかろうか。
 以上。すでに1月に書いていたこと。
 同じようなことは繰り返し書いているもので、上に出てくる佐藤幸治にかかわることも含めて、<個人主義>の問題に1年半前の昨年(2007年)1月頃には、別の所で、こんなことを記していた。再構成して紹介すると、つぎのとおり。
 八木秀次・「女性天皇容認論」を排す(清流出版、2004)は皇位継承問題だけの本かと思っていたら、1999-2004年の間の彼の時評論稿を集めたものだった(07.1/06)。この本のp.167-171は、1府12省庁制の基礎になった橋本内閣下の行政改革会議の1997.12.03最終答申に見られる次のような文章を批判している。
 行政改革は「日本の国民になお色濃く残る統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別し、自律的個人を基礎とし、国民が統治の主体として自ら責任を負う国柄へ転換すること」 に結びつく必要がある。「日本の国民がもつ伝統的特性の良き面を想起し、日本国憲法のよって立つ精神によって、それを洗練し、『この国のかたち』を再構築」することが目標だ。戦後の日本は「天皇が統治する国家」から「国民が自らに責任を負う国家」へと転換し、「戦時体制や「家」制度等従来の社会的・経済的拘束から解放され」たが、今や「様々な国家規制や因習で覆われ、…実は新たな国家総動員体制を作りあげたのではなかったか」。
 類似の認識は2003.03.20の中教審答申にもあるらしいが、八木によると行革会議の上の部分の執筆者は、「いわゆる左翼と評される人物ではない」、「近代主義者」の京都大学法学部の憲法学者・佐藤幸治らしい(07.1/12)。
 上のように、1997.12の行革会議最終報告は「自律的個人」を基礎に「統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別」して「国民が統治の主体として自ら責任を負う」国のかたちへ変える必要を説いた。「様々な国家規制や因習で覆われ」た、「新たな国家総動員体制」のもとで、「自律的個人」が創出されていない、という認識を含意していると思われる。また、上の報告書は「個人の尊重」をこう説明している。-「一人ひとりの人間が独立自尊の自由な自立的存在として最大限尊重」されるべきとの趣旨で、国民主権とは「自律的存在たる個人の集合体」たる「われわれ国民」が統治主体として「個人の尊厳と幸福に重きを置く社会を築」くこと等に「自ら責任を負う理を明らか」にしたものだ(八木p.168-9)。
 「自律的個人」の未創出という認識は、日本では<近代的自我>が育っていない、と表現されてもきた。加賀乙彦・悪魔のささやき(2006、集英社新書)は「『個』のない戦後民主主義の危険性」との見出しの下で戦争中も現在も日本人には「流されやすいという危うさ」があり(p.78)、「自分の頭で考えるのが苦手な国民」だ(p.82)等と言う。これは日本人の「自律的個人」性の弱さの指摘でもあろう。
 だが、加賀のように、「人権」も「個人の自由」も闘いとったのではない「ガラスの民主主義のなかで」は「個は育ちません」(加賀p.79-86)と言ってしまうと、日本人は永遠に「自律的個人」、自分の頭で考え自分の意見を言える「個人」にはなれない。日本人の長い歴史の変更は不可能だからだ。
 丸山真男等の「戦後知識人」の多くも日本社会の脆弱性を「個人主義」の弱さに求め、「個人の確立」あるいは「自律的個人」の創出の必要性を説いていたように思う。そのかぎりで行革会議最終報告の文章は必ずしも奇異なものではない。
 しかし、思うのだが、日本人は本当に「自律的個人」性が弱く、かつそれは克服すべき欠点なのだろうか。<特徴>ではあっても、「克服」の対象又は「欠点」として語る必要はないのではないか。行革会議最終報告は、「自律的個人」をどのように創出するかの方法又は仕組みには全く触れていないと思われる。弱さ・欠点の指摘のみでは永遠の敗北宣言をするに等しくないか(07.1/11)。
 八木秀次は、行革会議報告の既引用部分等を、今日でも「様々な国家規制や因習で覆われ」た「新たな国家総動員体制」のもとで「自律的個人」が創出されていない、かかる「個人」を解放すべく「『国のかたち』を変革する」必要がある旨と理解する。そして、これは「有り体に言えば、市民革命待望論」だ、今からでも「市民革命を起こして市民社会に移行せよ、という主張」だと批判し、佐藤幸治氏のような「いわゆる左翼」ではない人物でさえ「結局はマルクスの発展段階説の虜となり、無自覚なマルクス主義者」になってしまうことに注意が必要だとする。
 たしかに、伝統・因習から解放された「個人の自立」や民主主義・国民主権の実質化の主張は、日本共産党の考え方、ひいては戦前の、コミンテルンの日本に関する「32年テーゼ」と通底するところがある。日本は半封建的で欧米よりも遅れており、フランス等のような「市民革命(ブルジョア民主主義革命)」がまだ達成されていないことを前提として、民主主義の成熟化・徹底化(そのための個人の自立・解放)を主張し、「社会主義革命」に急速に転化するだろう「民主主義革命」を当面は目指す、というのは、日本共産党の現在の主張でもある(フランスの18世紀末の状態にも日本は達していないとするのが正確な日本共産党の歴史観の筈だ)。
 佐藤幸治等の審議会関係者が「革命」を意識して自覚的に「自律的個人を基礎に」と記したとは思えない。そして、おそらくは日本共産党というよりもマルクス主義の影響を受けた社会・人文諸科学の「風潮」を前提として政府関係審議会類の文書が出来ていることを、八木は批判したいのだろう(ちなみに、行革会議答申後に内閣府にフェミニスト期待の「男女共同参画局」が設置された)。八木秀次は、所謂「体制」側も所謂「左翼」又はマルクス主義の主張・帰結と同様のものを採用している、との警告をしていることになる(07.1/13)。
 まだ続くが、長くなったので省略。
 この欄でも上の今年1/12の他に、佐伯啓思の他の書物等に言及する中で<個人主義>(「自立的個人」)問題には何度も触れてきた。だが、飽きることなく、樋口陽一らの単純な<西欧的>図式・教条への批判は今後も続ける。