産経2/22は「正論大賞」贈呈式について報道し、大賞受賞者・佐伯啓思につき、「保守思想に立脚して『戦後民主主義』の欺瞞を突き、米国中心のグローパリズムに警鐘を鳴らすなど、日本の精神の精神的自立を説いた…」と紹介している。
 反対しない(し、その資格もたぶんない)が、上のように簡潔にまとめたのは可成りの能力のある執筆者に違いない。
 同日の別の面の記事では、佐々淳行の受賞者「3人とも日本人の精神、心を取り戻そうと呼びかけたのが共通している」との発言を紹介している。
 これまた反対しない(し、その資格もたぶんない)が、しかし、佐伯に関する紹介でも触れられていた「日本人の精神、心」とはいったい何か、ということが近年気になるところだ。<日本(人)の歴史・伝統>とは何か、と言ってもよい。
 戦後60余年。「日本人の精神、心」は、かつてとは<少なくとも>部分的にはかなり変化してしまったのではないか。<保守し、継承すべき>「日本人の精神」とは、具体的にはいったい何だろう。情緒的・感覚的ならばともかく、「保守主義」者たちにおいても、正確な一致があるとは思えないのだが…。