日本国憲法59条の定めは次のとおり。
第59条
 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。
 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。
 産経新聞1/23潮匡人のコラム「断」によると―したがって<間接>情報になるが―慶応大学の小林節は、近日にあった衆議院の再議決(新テロ措置法)について、週刊朝日1/25号上で「明らかに憲法違反」と主張している、という。
 上のような規定の定め(2/3以上による再議決は2項が明示的に肯定している)のどこに違反しているというのか、この人は<憲法学者>なのかと疑いたくなる。
 原則と例外を論じるのもいいが、それは政治論・政策論・国会運営論レベルの問題で、法的(憲法的)問題は全く生じないことは明らかだ。潮匡人の指摘するとおり。
 慶応大学法学部の学生ですら容易に小林節の誤謬を指摘するだろう。
 推測も入るが、小林節は憲法(解釈)論議ではなく、政治論議をしているのだろう。この人は、この両者を区別しておらず、意識的にか、混淆させている。そしてまた、憶測まじりだが、自民党の改憲案の作成に際して、もともとは憲法学界では珍しい<保守>的な<改憲>賛成論者であった自分が大切に扱われなかったことについて、メンツが立たない、とでも立腹しているのではないか。そして、今後は、朝日新聞系で大切にしてもらえる、朝日新聞系の「御用」学者として生きていくつもりなのだろうか。
 追記する。小林節は現在の衆議院を構成している前回総選挙を「一時的な国民的興奮」によるもので「そもそも正統性を欠いている」とも主張しているらしい。
 この憲法学者はバカか?
 <正統性を欠く>→選挙無効という「法的」議論をしているのか? そうではなくたんなる政治論・政治評論なら、小林節が出る幕でもあるまい。
 また、本当にまともに主張しているつもりならば、「正統性を欠いている」か否かを判別できる、具体的な憲法論的基準を示してもらいたい。そのための説得的な憲法論をどこかで詳細に展開してもらいたい。
 ついでにいえば、-私もまた前回の総選挙が<まともな>ものだったとは感じていないが-「正統性を欠いている」というなら、昨年7月の参議院選挙はいったいどうなのだ。
 昨年7月の参議院選挙の結果は(前回衆議院選挙と違って)「正統性を欠いて」いない、と主張するのならば、その根拠もまた詳細に述べてほしいものだ。自分が学者(様)のつもりならば、そのくらいの用意と覚悟をもっているだろう(いや、この人にはそんなものはないだろう、つまり<学者>でなくなっている…と続けたいが、この程度でやめておく)。
 このような小林節の論を掲載する週刊朝日も奇矯なのだが、朝日新聞・週刊朝日等が基本的に<血迷っている>媒体であることはすでに明瞭なことなので、あらためて論じるまでもない。