読売新聞は、切り抜きはしていないし月日も失念しているが、最近、某著書の執筆者として上野千鶴子を写真入りで登場させて記事を書き、「男女共同参画」行政に関する評価を曖昧にしたまま、某国立?女性会館の廃止が「男女共同参画」社会の推進にとって好ましくないかのごときニュアンスをもった記事も掲載していた。
 今日12/09の朝刊、産経は一面でテレビ朝日の証言者「偽装」を取り上げていたが、読売はなんと最終面(テレビ等欄)に近い、社会面の(右上又は上部ではなく)真ん中辺りに紛れ込ませており、記事内容も産経に比べて少ない。
 今回の件のようなテレビ界での「やらせ」について、読売は一貫してかかる取扱いをしてきたのだろうか。
 ことは新聞を含むマス・メディアの「体質」に関係する重大な問題であり、ひっょっとすれば「朝日」の体質に関係するかもしれない問題だ。読売新聞の<腰の引けた>姿勢には失望と疑問を感じる。
 広い意味での同業者の、良くない事柄に関する情報だから抑えたのだろうか。あるいは、最近接近しているらしい朝日新聞社の関連会社・テレビ「朝日」だから少しは遠慮したのだろうか。かりにNHKが同様の報道の仕方をしたとして、読売はやはり社会面の途中にあまり目立たないように記事にしたのだろうか。
 疑問は尽きない。
 渡辺恒雄が個人として何をしようとも勝手だとはいえるが、同人物がまだ「読売」新聞の肩書きを付け続け、かつ老齢のこの一人の考え方の影響を紙面(政治面)も受けているようでは、読売に対する信頼は徐々に減少していくだろう。
 同紙は「日本」の来し方・行く末を問題にする企画記事を連載してきたようだが、同紙自体が「日本」の来し方・行く末に密接に関係せざるをえないこと(したこと)を改めて真摯に想起すべきだと思われる。