立花隆「私の護憲論」を嗤う、を続ける。対象は月刊現代7月号から8月号(講談社)に移る。
 すでに書いた(批判した)ことなので新しい番号は振らないが、立花隆はこの号でも「日本を世界一の成功国家にした「戦後レジームの国体」とは何であるか。それは、昭和憲法そのものである。なかんずく憲法九条がもたらした国家的リソースの配分のゆとりが、戦後国家日本を成功にみちびいた最大要因」と反復している。
 戦後レジームと日本国憲法の同一視という論理的誤謬をも含むこのような信仰又は<迷信>に嵌ってはいけない。
 「憲法九条がもたらした国家的リソースの配分のゆとり」という部分には、二重の欺瞞が隠されている。
 一つは、正規の軍隊を持った(西)ドイツも韓国も戦後に「成功」した国家の一つと言えるからだ。
 二つは、憲法九条にもかかわらず、立花自身ものちに触れている自衛隊(←保安隊←警察予備隊)が存在し、それに一定のリソースを割かざるを得なかったという事実、及び米軍の駐留経費も相当部分を負担してきたという事実だ。これらを全く無視して立花は論を進めている。
 そして、上に引用した部分のことを<自明の理>とまで言い切っている。失礼ながら、上品ではないが、アホか、と言いたくなる。
 日本の<繁栄>・<成功>の原因は、前回に書いたとおりだ。立花隆の文章を借りれば、前回に私が書いたような「自明の理が見えない立花隆は愚かである。この自明の理が見えずに改憲反対を叫ぶ立花隆は最大限に愚かである」。この<立花隆>の部分に、憲法九条(二項)のおかげで平和と繁栄を達成できたという理由で九条(とくに二項)絶対護持を主張しているどなたを入れても構わない。
 さて、嗤いたい点の第八はつぎのことだ。立花隆は、改憲論の中に「環境権」や「知る権利」を加えたらよいとの加憲論があるが「「環境権」も「知る権利」も、いまさら憲法を改正しなくても、すでにとっくに現行憲法の枠内で十分に認められている」と書く。
 私は大いに嗤いたい。
 立花隆なら知人に弁護士(又は裁判官)も多数いるだろう。その法律専門家に尋ねていただきたい、「環境権」も「知る権利」も、現行憲法の枠内で十分に認められている>か、と。ふつうの専門家であれば、否、と答えるに違いないのだ。
 民事上の「環境権」存在の主張・学説はあるかもしれないが、裁判例は民事上の「環境権」などは一度も認めてはいない(公法上も)。「知る権利」も同様で、憲法によってではなく、情報公開法(法律)や情報公開条例によってはじめて情報開示請求権が認められた、と解されているのだ。憲法(たぶん13条)から直接に導かれる権利とは、せいぜい<私事権(プライバシーの権利)>くらいではないか。
 抽象的・理念的に憲法が援用される程度では「権利」性を語るには十分ではない。
 この上の記述によって、立花隆は自分では憲法・法律に詳しいと思っているのかもしれないが、じつは<法律の素人>であることがよく分かる。
 第九に、立花隆は、憲法を改正しなくても、「自衛隊は憲法違反の存在ではない」と明言する。そして、自衛隊法という「組織法」がちゃんとあり、「毎年約五兆円にも及ぶその存在を支える資金も、毎年の国会審議を経た上で、国家財政から出ている」、「自衛隊は堂々たる合法存在である」と言ってくれている。
 上の方で引用した成功の原因としての「国家的リソースの配分のゆとり」とここで言う「毎年約五兆円
」がどういう関係に立つのか気になるところだが、そして「毎年約五兆円」くらいならまだ「ゆとり」はある(あった)とでも説明しておいてほしいところだが、この問題には言及はない。
 それはともかく、立花隆が「法制局」まで持ち出して言っていることは、要するに、政府解釈と同じく、自衛隊は、憲法九条二項でいう「陸海空軍その他の戦力」に該当しない、ということだ。立花隆においては、今日までの政府の言い分と同じく、自衛隊は「軍」又は「戦力」ではない(それ以外の)「実力」組織なのだ。
 私は、自衛隊は「軍」・「戦力」ではないというのは、きちんと憲法改正されて正規に自衛軍が持てるまでの、<戦後レジーム>の<大ウソ>の最たるものだと考えている。
 世界で有数の上位国となる「毎年約五兆円」の国費が支出され、20万人以上の隊員がおり、迎撃ミサイルも保有している「実力」組織は、常識的にみれば、疑いなく「軍」・「戦力」だろう。
 立花隆は改憲=九条二項の削除による「自衛軍」の認知に反対するために、これまではむしろ政府側がついてきた<大ウソ>に乗っかっているとしか思えない。
 1960年に20歳になった立花隆は、学生としておそらく所謂60年安保反対のデモに参加しただろう。その頃、彼は自衛隊は憲法九条に違反する違憲の組織と考えていなかっただろうか(旧日本社会党は、日本共産党もだが、違憲と主張していた)。その立花隆は考え方を改めたように思われる。いつの頃からかは興味の湧くところだ。
 自衛隊を自衛軍として正規に「軍」・「戦力」と認知するためには、姑息な解釈(「大ウソ」つき)によるのではなく、憲法改正>現九条二項の抹消が必要だ。従って、少なくともこの部分についての改憲は、立花隆がいう「「必要性の誤信」にもとづく」「軽々の変更」(p.44)にはあたらない。<つづく>