日本共産党の1961年以降1970年代末までの衆議院議員選挙獲得議席数の変化は次のとおりだ。
 5(63)→5(67)→14(69)→38(72)→17(76)→39(79)。この1979年の39というのがこの政党の現在までの最多議席だ(現在は9で1968年以前の状態に逆戻り)。
 参議院については次のとおり。
 4(62)→4(65)→7(68)→10(71)→20(74)→16(77)。1974年の20が現在までの(3年ごとの)最多獲得議席だ(現在は5+4で1968年以前の状態に逆戻り)。
 得票率等には立ち入らないが、こうして見ると、日本共産党は1960年代後半から「勢力」を大きくし始め、1970年代の半ばから後半にピークを迎えたことが分かる(これまた詳細は省略するが、波があるとはいえ、1980年代以降はおおむね<漸減>の傾向にある。そして、日本共産党にもはや未来はないだろう)。
 こうした増加とピークの時期はおおむね<大学紛争(学園紛争)>と言われた時期とその余韻がまだあった時期に相応している。
 とすると、一般国民(正確には有権者)についてすらそうだったのだから、歴史学、政治学、法学といった社会系の研究者・大学教員の中で日本共産党員やそのシンパが占める割合は、(現在でも一般国民の中でと比べて相当に高いと思うが)現在以上にかなり大きかったものと想定される。
 日本評論社という出版社(今でもある)から、マルクス主義法学講座全8巻というシリーズもの(講座もの)の刊行が始まったのは1976年で、まさに日本共産党の国会での「勢力」がピークに達しようとする直前だった。
 再びこの時期について触れると、日本共産党は1970年頃に<70年代の遅くない時期に民主連合政府を>というスローガンを掲げていた。地方自治体レベルでは戦後早くからの京都府に続いて、1967年に東京都(美濃部亮吉)、71年に大阪府(黒田了一)、75年に神奈川県(長州一二)で社共連合の候補が知事に当選していて、国政レベルでも社共連合政権(共産党のいう「民主連合」政府)ができる可能性が全くないとは言えないとある程度の人びとは感じていた。
 そうした時期に、今では殆ど考えられないが、マルクス主義法学講座なる書物が刊行されたのだ。
 古書で入手した第一巻(1976.06)の「刊行のことば」を読むと、この講座の執筆者の全員が日本共産党の党員か少なくとも強いシンパだろうということが明らかだ。
 こんな文章がある。1.「安保体制のもとで、アメリカ帝国主義と日本の独占資本により二重に抑圧をうけている国民大衆の権利擁護に役立つ法学の建設が私たちの目標である」。
 「アメリカ帝国主義と日本の独占資本」という言い方はこれらを「二つの敵」と位置づけていた日本共産党と全く同じだ(同党は「日本帝国主義」という性格づけをしなかった)。
 2.「この講座の刊行によって、日本の法学界に一つのセクトが生まれることをけっして望まない。…民主主義法学者の統一の重要性をよく知っているからである。しかし、そのことは、…マルクス主義法学の追究を否定したり、この立場からの他の法学諸傾向に対する学問的批判の必要性を否定したりすることにはならないであろう」。
 この文は「マルクス主義法学」を「民主主義法学」の一部と位置づけていること、「セクト」批判を懸念するほどに「マルクス主義法学」を表面に出せる自信があり、またそれが許されるような(上に述べたような)時代状況にあったこと、を示しているように思われる。
 さて、第一巻に限っても、内容を逐一紹介するつもりはない。この講座全体の編集委員5名と第一巻の執筆者全員の氏名を記録にとどめておきたいと思う。
 再述するが、ほぼ全員が日本共産党々員だと思われる。あえて氏名を記述しておくのは、この人たち又はこの人たちの指導を受けた者たちが、当時から現在までの「法学界」に(分野によって同一ではないだろうが)ある程度の影響を与え続けていると考えられるからだ。本自体には所属大学しか記されていないので、適宜、関連情報を私自身が知り得た範囲で付記する。
 編集委員は次の5名だった。所属大学は当時。
 天野和夫立命館大学法学部教授/法哲学、1923-2000)、片岡曻京都大学法学部教授/労働法)、長谷川正安名古屋大学法学部教授/憲法、1923-)、藤田勇東京大学社会科学研究所教授/ソビエト法、1925?-)、渡辺洋三東京大学社会科学研究所教授/民法・法社会学、1921-2006)。
 これらのうち、それぞれ複数の岩波新書を書いている渡辺洋三、長谷川正安については、このブログですでにほぼ断定的に日本共産党員学者として名を出したことがある。
 ところで、情報収集のためにWikipediaも参照したが、渡辺洋三について「専門の民法等のほか、…に関しても、いわゆるリベラル派の立場から積極的に発言を続けてきた」と記されている。「リベラル派」どころか、マルクス主義者であり、かつれっきとした日本共産党員ではないか。また、長谷川正安についてもWikipediaには「マルクス主義(憲法学)」の「マ」の字もない。これらはWikipediaの<無知>なのか、それとも<意図的な隠蔽>なのか
 次に、第一巻の執筆者と執筆テーマは次のとおり。上記の編集委員の場合は、所属等の反復を省略した。
 長谷川正安「第一章・マルクス主義法学序説」・「第四章第一節・民主主義法学とマルクス主義法学」・「第五章第一節・戦後憲法学とマルクス主義」。
 森英樹「第二章・日本マルクス主義法学の前提」・「第三章第一節・平野義太郎における法学と社会科学」・「同第四節・法哲学とマルクス主義」(名古屋大学法学部助教授→教授を経て龍谷大学教授/憲法、1942-)。
 吉川経夫「第三章第二節・刑法学とマルクス主義」(法政大学法学部教授/刑法、1924-2006)。
 影山日出弥「第三章第三節・憲法学とマルクス主義」(名古屋大学法学部助教授/憲法)。 

 稲子恒夫「第三章第五節・ソビエト法研究」(名古屋大学法学部教授/ソビエト法、1927-)
 森正「第三章第六節・法的実践とマルクス主義法学」(名古屋市立女子短大助教授→名古屋市大教授/憲法)
 渡辺洋三「第四章第二節・占領と法学」。
 松井芳郎「第五章第二節・サンフランシスコ体制とマルクス主義法学」(名古屋大学法学部助教授→教授を経て立命館大学教授/国際法、1941-)。
 渡辺久丸「第五章第三節・戦後日本の立法過程」(立命館大学助教授/憲法)。
 中田直人「第五章第四節・戦後日本の裁判闘争」(弁護士)
 沼田稲次郎「第六章・日本の変革と法・法学」(東京都立大学教授→学長/労働法、1914-97)。
 最後の沼田は上掲論文の「追記」にこんなことを書いている。-「…ロッキード事件が起こった…。この事件に対する日本共産党の追及は、同党の迫力を示すものといってよい。/…日本共産党が先の綱領からプロレタリア執権(=独裁)を削除する可能性が語られている…。この問題の…影響はロッキード事件の比ではあるまい」。思わず自らの<党派性>を明瞭にした、ということだろうか。執筆者であること自体ですでに明瞭ではあったのだが。
 第一巻以外も入手できれば、情報記録をしておくことにしたい。
 なお、最後になったが、この講座を刊行したのは、岩波書店ではなく、日本共産党系とも言い難い?日本評論社だった。この出版社はいろいろな傾向の本を出版しているようだが、少なくとも法学系の出版物(雑誌を含む)については、その<傾向>は明らかだ。