目を通したことのある文春新書の中で最低の本は、かつ種々の新書類の中でも最低の部類に入る本は、あえて明記するが、林香里・「冬ソナ」にハマった私たち(2005)だ。
 最低だと考える理由の大きな一つは、このタイトルの本の中で、日韓関係に関する自らの「歴史認識」を―多数の、対立しもする議論があるにもかかわらず―、単純素朴に曝し出していることだ。
 例えば、「日本は20世紀初頭に海外を侵略した歴史にきちんとした清算をしていないため、…近隣諸国に心から称賛されるようにはなっていない。これに対して、ドイツは、…
(p.173)。
 日本(前小泉首相等)は「国内においては韓国をはじめとする近隣諸国との歴史認識に対する無知と無関心を先延ばしにし、対外的には日本のアジアでの孤立を招いてきた」(p.209)。
 本来のテーマと直接の関係はないかかる断定的文章を歴史や外交の専門家ではない著者が平然と書いているのだ。
 いま一つは、明らかにフェミニズムの立場でこの本のテーマを扱っており、かつそのテーマとは直接の関係はないフェミニズムの主張を紛れ込ませていることだ。
 例えば、「子どもを生み育てること…などなど、女性として…当然のこととして寄せられる社会的役割」、そういう「期待をしている社会の思想的源泉」は「やっかいな「国家」という社会的そして政治的機能である」(p.196。「子どもを生」むことも、女性差別、「社会的」に期待された「役割」かね?、林くん!ω)。
 このような二つの類の主張を―上野千鶴子鶴見俊輔の名前だけをなぜか出しつつ―しているため、極めて読みにくい本でもある。
 これで著者が助教授として属するという「東京大学大学院情報学環」の修士論文審査に合格するだろうか。
 いま一つ、一文を引用しよう。「韓国は、韓流というパワーでもって、日本の男性が築き、守るべき国家と、それに従属した主婦という女たちを切り崩しつつある…」(p.198)。
 こんな文章を読んでいると頭がヘンになる。
 この本はタイトル等からすると、日本のとくに女性が
「冬ソナ」にハマった原因・背景を分析することが目的だった筈だ。そして、私が要約するが、「冬ソナ」にハマったのは、良妻賢母型教育を受け「古きよき時代」への郷愁と外国(韓国)に関する教養主義的心性をもつ中高年女性だ、というのが結論だ(たぶん。ちなみにタイトルの「私たち」の中に著者は含まれない)。
 しかし、何故か、主題と直接には無関係の上のような文章が<混入>しているのだ。
 私は林氏の文章執筆者・論文執筆者としての資格・能力を疑う。だが、と最近気づいたのだが、過剰とも思える、根拠づけ・理由づけなしの言いっ放しの贅言は、この人の、読者に対するというよりも、仲間に対する<信仰告白>なのではないだろうか。新書を書く機会があったから、ついでにアレコレとちゃんと書いておいたよ、安心して!という類のものではないだろうか(原田敬一・岩波新書についても同旨のことを書いたが、この林の方がヒドい)。