保阪正康とはどういう主義・主張の人物なのか、よく分からない。
 昭和史関係の本を数多く書き、雑誌や新聞に登場しているの周知のとおりだ。昭和天皇「靖国発言メモ」が明らかになった後の文藝春秋の昨年9月号にも、秦郁彦、半藤一利との三人の座談会に出ている。
 保阪はまた、扶桑社から「日本解体」という文庫(扶桑社文庫、2004)を出し、朝日新聞社から「昭和戦後史の死角」という文庫(朝日文庫、2005)を出している。後者の中には、雑誌「世界」初出論稿も雑誌「諸君!」初出論稿も含まれている。扶桑社から朝日新聞社まで、あるいは岩波書店から文藝春秋まで、幅広い?活躍ぶりだ。
 だからと言って、「信頼」できるのかどうか。私にはそうは思えない。
 上の文藝春秋昨年9月号で、保阪は、講和条約までは戦闘中でそのさ中の東京裁判による処刑者は戦場の戦死者と同じ、と自らが紹介している松平永芳靖国神社宮司の見方を、占領軍の車にはねられて死んでも靖国に祀られるのか、「かなり倒錯した歴史観」だ、と批判している。これは、妙な例示も含めて、「かなり エキセントリックな」言葉遣いによる批判だ。
 だが、秦郁彦も発言しているように、「そういう〔松平靖国神社宮司のような〕考え方もある」。占領自体が広くは「戦争」政策の継続で、東京裁判もその一環だった、という見方が完全な誤りとは思えない。
 保阪は読売新聞8/16でも、松平永芳靖国神社宮司について、A級戦犯合祀の根拠を「特異な歴史認識」と批判している。しかし、上に書きかけたように、東京裁判も「戦闘状態」の中でのものという理解は、講和条約発効まで米国等は日本を「敵国」視していることになるので十分に成り立ちうる。東京裁判の検察側証人は利敵行為をしていたことになるとか、吉田内閣は占領軍の傀儡だったことになるとかの批判は、批判の仕方として適切ではないだろう。
 つまるところ、a物理的な戦闘終了=降伏文書交付まで、b「占領」期、c独立(といっても日米安保条約付きだったが)以降、の三期があるわけで、bを前後のどちらに近いものと見るかの問題なのだ。
 そして、bはcよりはaに近いとの見方は十分に成立しうると思われ、「特異な」とかの批判はややエキセントリックだ。保阪はA級戦犯合祀に反対で、その「理論的」根拠を否定したいのだろうが、 A級戦犯等を国内法的には「犯罪者」扱いしなくなったこととの関係はどう説明するのだろうか。
 さらに繰り返せば、1952年4/28発効のサンフランシスコ講和条約の1条aは「日本国と各連合国との間の戦争状態は、…この条約が…効力を生ずる日に終了する」と定めている。同条約は1952年04月28日までは「戦争状態」と明記しているのだ。とすると、東京裁判等(中国での「戦犯」裁判を含む)はまさに「戦争状態」のさ中でなされた「裁判」に他ならず、刑死者は「戦死者」と言っても誤りではない(少なくともそのような見方は十分に成り立つ)。にもかかわらず、昭和史に関する知識が占領・再独立期も含めて豊富な筈の保阪氏は、何故執拗に靖国神社宮司を批判するのだろうか。
 保阪氏はかつて、自衛隊のイラク派遣に反対した。その見解自体の適否をここでは問題にしないが、その理由として、1.小泉首相(当時)が「昭和史」を知らない・学んでいない、2.日本はまだ軍事行動をする体制等をもたないことを挙げていた(同・昭和戦後史の死角p.306-)のは説得的でないと思われる。
 保阪氏はよほど自らの「昭和史」に関する知識に矜持がおありのようだが、上の1.は<結論はいいが理由付け・背景知識が不十分だとして反対する愚論>とどう違うのかと問われかねないだろう。2.についても、日本が軍事行動をする体制等をもてばよいのか、保阪氏は軍事行動をする体制等の整備のために積極的に発言しているのか、との横ヤリ的疑問を誘発しうる。
 朝日新聞の昨年8/26に保阪は登場して、昨年8月15日の靖国参拝者は増えたようだが物見遊山派も少なくないと参拝者増の意義を薄めたのち?、小泉首相靖国参拝に「反対である」と明言し、その理由として靖国神社には「旧体制の歴史観」、超国家主義思想が温存され露出しているので参拝は「こうした歴史観を追認することになる」と言う。
 初めて同氏の見解を知った感じがした。しかし、この理由づけはいけない。
 すなわち、かりに靖国神社に関する説明が正確だとしても(この点も検証が必要だが)、参拝がなぜ「こうした歴史観を追認することになる」のか、の説明が欠落している。
 また、靖国神社が「旧体制の歴史観」を温存していなければ反対しないのか、温存していないと認めるための要件・条件は何なのかには言及がない。
 あるいは、神社は明治以降に軍国主義のために設立されたものだからすでに反対なのか、国家神道の大元だったから反対なのか、神道の宗教施設で憲法違反だから反対なのか、要するにどのような条件・要素がなくなれば「反対しない」のかよくわからない(この紙面のかぎりだと A級戦犯合祀問題とは無関係の理由づけのようだ)。
 また、この朝日上の一文を、保阪は、「無機質なファシズム体制」が今年〔今から見ると昨年〕8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」との情緒的表現で終えている。だが、「無機質なファシズム体制」という一般的ではない語句の説明はまるでない。朝日の編集者はこの部分を用いて「無機質なファシズム体制を憂う」との見出しにしている。解らない読者は放っておけというつもりか。執筆者・編集者ともに、良くない方向に日本は向かっている(私たちは懸命に警告しているのに)旨をサブリミナル効果的に伝えたいのか、と邪推?すらしてしまう。
 よく分からないが、保阪正康とは、昭和に関する豊富な知識を売り物にしつつ、自衛隊のイラク派遣に反対し、靖国神社への「A級戦犯」合祀に反対し、首相の靖国参拝に反対し、朝日紙上で首相参拝が「無機質なファシズム体制」の端緒にならないように願う、という人物なのだ。
 幅広く?多様な出版社の本・雑誌に登場しており、注文主の意向に沿った原稿を書くのに長けた文筆<芸者>的部分のある人かとも思ったが、それは失礼で、上のようにかなり一貫した<反権力・親朝日>あるいは立花隆と同様に<戦後的価値>を全面肯定している人物のように見える。
 というわけで、今年になってからも彼は、文春新書も含めて多数の本を出しているが、一冊も購入していない(安い古書があれば考えよう)。