憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の提言(岩波、2005.08)という小冊子の中の吉永小百合様の一文については、すでに3/30午前0:00で批判させていただき、また、潮匡人・憲法九条が諸悪の根源(PHP)による同じ一文に対する批判も、3/30の19時台のエントリーで紹介した。
 ネットを散策していると、静岡新聞の2005年1月のコラムに、吉永小百合に言及するこんなのがあった。
 「人物像をたどると、この時代の風俗の変遷がよく分かります。戦後の荒廃から東洋の奇跡といわれる繁栄の道を歩んだ日本と、ほぼ同時代を生きた団塊の世代あたりには、懐かしい顔ぶれのはずです。女優像の中でも特に印象深いのは、さしづめ吉永小百合でしょう。戦後還暦と称される05年に、彼女がやはり還暦を迎える。こじつけでなく、エポックメーキングに思えるに違いない。/彼女が演じる純愛のヒロインに胸ときめかせた階層にとって、社会派作品で質量感の凝縮した美しさ、演技者として重厚さを増してゆく 『昭和の少女』は、同時代感を抱かせる存在ではなかったでしょうか。『サユリスト』たちにとって、一種の信仰の対象となったのでした。少女は円熟の域へと成長しています。いま彼女は、『平和の語り部』として各地を巡り、日本人の言葉を紡いでいます。それが自らに課した使命であるかのようです。
 ここで「平和の語り部」というのは、<反原爆>の詩を朗読する活動を意味することは、吉永小百合評論家を自称したい私には(半分冗談だが)、すぐわかる。
 記憶にのみよるが、小百合様は2002年頃の日経新聞のインタビュー記事に登場し、原爆に関心を持ったきっかけは「夢千代日記」の他に、(時期的にはその前に) 映画「愛と死の記録」に出演したことにある旨を述べていた。いずれも主な登場人物の一人が原爆病(白血病?)で死亡する<物語>だ。
 吉永小百合様は毎日新聞2006.06.26付にも登場している。
 「原爆」を意識したのは21歳のときの映画「愛と死の記録」によると述べたあと、「戦争と平和」については、山本薩夫監督の映画「戦争と人間」(の第2部と第3部、1971年6月と1973年8月)に出たことで「自然に平和学習をさせてもらった」と語っている。
 上の後者は、少なくとも日本共産党シンパだったと思える五味川純平(1916-95)の小説が原作の、日本共産党員だった可能性すらある監督によるもので、同じく日本共産党員だった可能性がある山本学・山本圭も出演していた(滝沢修もだが)。そして、私の記憶では、上映当時は日本共産党・民青同盟またはそれらの系列の団体が割引券を「一般」学生・市民に売っていた、つまりは観るように運動していた。そうした映画の影響があることを、今日においても語っているわけだ。もともと映画会社・日活の労組は強かったという話を読んだことがあるので、すでに彼女が(多数の映画に夢中で出演していた)10歳代の頃から「左翼」的風潮の影響を受けていたのではないか、とも想像する。
 また、憲法9条を「守る」ことについて、「世界中が9条みたいな憲法を持ったら、結局は戦争はなくなるわけですから。」とヌケヌケ?と根拠づけている。このあたりの非現実的な甘さは某朝日新聞にも似て変わり得ないのかもしれないが、3/30に記したように、単身で中国・北朝鮮に乗り込んで、両国の主席・将軍様に「9条みたいな憲法」を作ってくださいと「美しいコトバ」で「説得」してほしいものだ。
 さらに、「過去に何があったかというのを見つめようとしない国民性というか、そのあたりが問題だと思う」と(たぶん自分は「見つめ」ているつもりで)おっしゃる。
 このような言い方は他の「サヨク」本でも読んだように思うが、吉永小百合様はここの「過去」の中に、南京「大虐殺」、「百人斬り競争」、沖縄「集団自決命令」等々まで含めているのかどうか。
 「過去に何があったか」を知ることが重要なのはそのとおりだが、「過去になかった」ことまで<事実>だと認識する必要はないのも当然なことだ。
 吉永小百合様が「過去に何があったかというのを見つめ」るべきと言うときの「過去」とは存外に、70年代頃の映画「戦争と人間」が代表していたような、日本は悪いこと・ヒドいことをしたという、漠然とした(どちらかといえば古い)<風潮的>・<印象的>認識・知識にすぎないのではなかろうか。
 <平和の語り部>としてのサユリ様の活動を一般に批判するつもりはない。ただ、特定の政治的勢力・団体に彼女の名が「利用」されないことを再び望むところだ。