朝南政昭・朝日新聞のトンデモ読者投稿(晋遊舎、2007.05)を購入。朝日新聞的な又はこの本にいう「朝日的事実」を前提にした朝日新聞の「声」欄への投稿を時系列にそって2頁に一つずつ並べた(右が投稿記事写真による紹介、左が解説・コメント。一部毎日新聞等も含む)だけの本だ。しかし、いや、だからこそ、というべきか、とっても面白い。朝日新聞に掲載される投稿は朝日的主張に沿ったものでなければならず(アリバイ的に異なる意見を少しだけ載せることがある)、場合によっては朝日が主張したいことを、代わって読者の「声」で語らせる、ということはよく指摘されてきた。まだ50頁余しか読んでいないが、このことの立派な証明本になるだろう。
 とても面白いのだが、読んでいくうちにある意味では<気味が悪く>なり<怒りに充ちてくる>可能性もある。また、朝日・毎日/読売・産経に示されるだろう「国論の分裂」はかなり深いものがあると私は感じており、このことも再確認できる。余計ながら、議論と何らかの決定のためにかなりの(無駄な)エネルギーを割かざるを得ないのは「勿体ないこと」だ。この本に紹介されているような投稿者とまともに議論ができるのか、対話が成立するか、ということを感じてしまうのだ。私は、冷静に、どんな言い分にも耳を傾け、議論する気はあるのだが…。
 さて、暫くぶりに、朝日の社説をウェブ上で見てみた。以下は断片的感想だ。
 4/14・国民投票法案衆院通過。「憲法改正と同様に幅広い合意があってしかるべきだ。…少なくとも野党第1党の賛成を得ることがのぞましかった」。
 一般論としてこんなことは言えない。野党第1党の意見・対応の仕方次第であり、野党第1党の賛成を得る必要があるとは絶対に言えない(「…がのぞましかった」なので、まぁいいか)。
 三党の「協調がこれで崩れてしまった。/その責任はまず、選挙の思惑を持ち込んだ安倍首相にある。「憲法改正を参院選でも訴えたい」と争点化したからだ」。
 朝日はまた「狂って」いる。何についても安倍首相の責任を追及して、彼を「悪玉」にしたいのだろう。朝日新聞がどのように報道しているのか知らないが、民主党の小沢一郎代表の選挙対策的「対決」姿勢こそが三党合意を妨げたと私は理解している(産経・読売は同旨だ)。それに、与党案のみの強行採決ではなく、民主党案についても審議してちゃんと採決(否決)しているではないか。なお、この社説自体も「民主党側も、与党だけの可決という展開によって、参院選での攻撃材料を得た」と、民主党側の「選挙の思惑に言及しているのだが、これと安倍批判はどう整合するのだろう
 「参院は法案を廃案にしたうえで、参院選のあとの静かな環境のなかで、与野党の合意を得られるよう仕切り直すべきである」。
 この点は法案の内容にかかわるが、「メディア規制の問題、公務員の政治的行為の制限、最低投票率の設定など、審議を深めてほしい点がある」という理由だけしか書けず、致命的な又は大きな欠点・問題点を堂々と指摘できないのでは、「廃案」→「仕切り直し」という主張のためには不十分だろう。
 ちなみに、1.対象は憲法改正に限るべきだ。「直接民主主義」がより民主主義的というのは幻想、又は「民主主義」の濫用であってより合理的結論が出る保障は全くない。2.最低投票率の設定は不要と考える。既に指摘があるように、ボイコット運動に利用されるだけだし、投票しない者の数を「反対」票と評価するのに近い効果をもたらす。3.
メディア規制、公務員の政治的行為の制限の問題は詳細には勉強していないが、産経紙上の百地章氏のコメントを信頼するとすれば少なくとも後者については(同氏が懸念していた)当初の案よりも改善されたはずだ。
 3年間の凍結の意味はじつはよく分かっていない。但し、おそらく安倍首相が想定しているほどには改憲の機は熟していない、と私は判断している。3年経過以降に国会発議ができても、国民投票で否決される(「承認」されない)ことを私は最も懼れている。近い将来に発議があっても否決されれば、もはや二度と日本人は憲法改正できない、つまりは自分たちで決する憲法をもつことはできないことになるのではないか、と。だから、じっくりと世論形成する必要があるし、きちんと各院2/3以上の賛成議員を獲得しておくことも必要だ。
 4/13・温中国首相国会演説。「
とりわけ注目されたのは、中国侵略に対する戦後の日本の態度について、次のように述べたことだ。/
「日本政府と指導者は何回も歴史問題について態度を表明し、侵略を公に認め、被害国に対して深い反省とおわびを表明しました。これを、中国政府と人民は積極的に評価しています」/
日本が謝罪したことを、これほど明快に評価したことは、画期的なものとして歓迎したい」。
 何とアホらしい言辞だろう。「歴史問題」につき、日本の客観的な事実ではない「悪行」を発掘・報道し、中国に「ご注進」して不快や抗議の発言を誘発させて報道し、その結果として「日本政府と指導者」(彼らにもむろん責任があるが)の謝罪を引き出してきた当の新聞社が、自分たちの報道(それは「謀略」とすら言いうる)の成果を確認し、中国が「褒めてくれた」と言って小躍りして喜んでいるようなものだ。
 この社説には中国批判はむろんないし、要望も注文もない。だが、「いわれるまでもなく、首相は思慮と分別を見せるべきである」と、安倍首相に対する注文だけはある。さすがに朝日新聞は一貫している。
 4/10・統一地方選前半終了。「参院選に向けて…、野党、とりわけ第1党の民主党のハードルは高い。…ハンディを跳ね返すにはよほどの気迫が必要なのに、今の民主党にそれがあまり感じられないのは残念だ。/
都知事選の独自候補擁立が混迷したのはその一つだし、小沢代表は参院選向けの地方行脚を優先し、地方選への熱意はいまひとつだった。小沢氏がこの国会で、安倍首相との党首討論を持ちかけようとしないのも解せない。気迫を見せる絶好の機会のはずなのだが」。
 自民党敗北・安倍首相退陣を強く願っている朝日新聞にとっては野党第一党の民主党に頑張って貰わなければならないのだが、朝日の期待どおりには民主党が活躍しておらず支持を増大させていないことを「残念」に、歯がゆく思っていることを、こうした文は示している。自民党や安倍内閣への批判の言葉とは種類が違う。「批判的」であっても、<何とかしろ>という激励的な注文なわけだ。
 相変わらず、朝日は朝日だ、と再々々確認した。