4/11の22時台のエントリーでも言及したように、現在(そしてこれまでも)米国を中心とする世界世論に向けての中国(中華人民共和国)からの「情報戦争」を仕掛けられているのだ、と思う。
 文藝春秋5月号で産経の古森義久は、慰安婦問題での日本糾弾は、「日本が国家として弱ければ弱ければよい、あるいはアメリカとの同盟のきずなが弱くなればなるほどよい、と考える勢力の戦略意図」が浮かび上がってこざるをえず、「日本を道義的、外交的、政治的に弱い立場に抑えつけておくことが国益に合致する国」とは中国しかない旨を述べている。
 上のことはもはや常識的なことだろうが、古森論稿は若干の重要なことを指摘している。
 安倍首相が国会で狭義の強制性否定・決議あっても謝罪不要を述べたあと米国のメディアで安倍批判が集中したらしいが(嚆矢は朝日新聞の好きなニューヨークタイムズだったと思う)、批判にはいくつかの特徴がある、と言う。1.慰安婦決議案・公聴会については報道しなかったのに安倍発言があるやかつての慰安婦問題批判ではなく安倍批判を主眼として報道・見解表明したこと、2.慰安婦問題にかかるこれまでの日本政府の対応については何ら見解を述べていないこと、3.日本軍の「強制」につき具体的根拠を示そうとしないこと、だ。
 どなたのブログだったか忘れたが、たけしのTVタックルのたぶん最新回の映像がyoutubeとやらで流れるのを見たが、岡崎久彦が、「売春」関連問題には米国の宗教事情もあってなかなか許すということにはなり難い旨を喋っていた(保存しておらず、正確には憶えていない)。
 昨日言及のVoice5月号(PHP)の対談で、伊藤貴が米国務省のアジア政策担当者は伝統的に民主党員が多い、中国人には「相手を取り込む」巧さがあり米国は中国のプロパガンダ工作に対して甘い旨述べると、中西輝政は、米国の学者やメディアに「親中国」という舵とりの感覚が出てきたのはクリントン政権の二期目くらいからだとし、米国人に一番不可解なのは東アジアなので「専門家」の声が大きくなると反応している。続けて、伊藤は「アメリカの対中認識は「たぶらかされている」」、某大学教授は国務省アジア担当官僚は「北朝鮮の核保有を認め、日本にだけはもたせなければいいという方向に向かっている」と言った、とする。
 歯がゆいことだが、古森が指摘するような米国のメディアの状況には背景があるようで、期待しても無理かもしれない。
 慰安婦決議問題につき、日本はどうすべきか。私は河野談話を訂正し「従軍」慰安婦「強制」連行の事実なしの正論で断固貫くべし、そうでないと将来にまた禍根を残すと考えていて書きもしたが、上で言及の番組の中での岡崎久彦は、当面じっと忍従・臥薪嘗胆?との見解のようだった。
 古森もこう書く。-「やがては河野談話の大幅修正も必要となるだろう」、但し、決議案対策としての河野談話否定・批判は「戦術として賢明ではない」、当面は所謂慰安婦問題は「日本政府のこれまでの対応や対策により、解決のための最大限の努力は謝罪も含めて、すでになされている」という「対応をとるべきである」。
 アメリカのメディアの状況を含めて総合的判断としては、これでやむをえないのだろうか。
 安倍首相も、当初の強気の姿勢を改め、安倍談話を「継承する」とのみ発言することにしているようだ。
 こうした姿勢変更には閣僚等よりも、彼のブレインたちと巷間噂されている者の中では、岡崎久彦の「助言」が大きいのではないかと推測するが、どうだろう。
 ともあれ、安倍首相が上のような姿勢で、古森も上のようなことを書いているとあっては、河野非難は先の楽しみにして、当面は「臥薪嘗胆」路線で行くしかないのたろうか。私自身はまだスッキリしていないが。
 なお、産経新聞4/12は、古森義久記事として、米国の議会調査局は慰安婦決議案に関する議員向け調査報告書の中で、日本軍・政府は全体として「軍による女性の強制徴用」という政策をとっていなかった、と認める見解を示した、と伝えている(何故かイザには掲載がないようだ)。これが、少しは方向が変わる契機になればいいのだが。(古森はワシントンで、日本の外務省・大使館の役人たちよりも遙かに日本に役立つことをしているようだ)。