東京都知事に石原慎太郎氏三選に関連して、毎日新聞(少なくともWeb上)は、一種の「世代論」を展開、少なくともそれに言及しているようだ。
 木村健二署名記事のリード-「8日に投開票された東京都知事選は、昭和1ケタ生まれで「太陽族」との流行語を生み出した石原慎太郎氏(74)に対し、戦後生まれの「団塊の世代」に当たる浅野史郎氏(59)や吉田万三氏(59)が挑む世代間のリーダー争いでもあった。結果は石原氏が大差で3選を果たし、首都の世代交代は進まなかった。今年度から大量定年が始まった団塊の世代だが、政治の世界でトップに立つまでの壁は厚いのか。
 本文-石原氏は「浅野氏を念頭に「全共闘が支持しているような手合いが東京を牛耳ると、取り返しのつかないことになる」と敵意をむき出しにしていた。
 「石原氏の選対本部長を務めたのは、元内閣安全保障室長の佐々淳行さん(76)。…団塊の世代には「自己犠牲の精神がなく『みんなで渡れば怖くない』の共同連帯無責任だ」と手厳しく「いつまでたっても、おれたち昭和1ケタがやらなきゃいけない」と話す。
 「団塊の世代は47~49年生まれを指し、約675万人に上る。国政を眺めると、衆院議員が61人、参院議員が41人で、国会議員全体の14・2%を占める。しかし、首相は小泉純一郎氏(65)から団塊の世代を通り越して安倍晋三氏(52)まで若返った。首都決戦でも敗れ去り、団塊の世代からは首相、都知事という2大リーダーを輩出できていない。
 発言の事実等の報道だから、ほとんどコメントのしようもないが、今回の都知事選が「世代間のリーダー争いでも」あった、というのは、いかに「も」が付いているとしても、この点を重視しすぎだろう。
 佐々淳行氏の言葉は、「全共闘」とは無関係だった者も含めて「団塊」世代には耳が痛いことかもしれない。浅野氏ではない、きちんとした石原氏の後継者が「団塊」世代から出てもよかったのだ。
 それに、じつは私は密かに怖れている。いつぞや、1930-35年生まれ世代は「独特の世代」と書き、その中に、石原氏も佐々氏も含まれるのだが、この世代が全て(又は殆ど)いなくなって「団塊」世代が70歳台前半になっているような時期に、日本はどうなっているだろう、「団塊」世代は、今の1930-35年生まれ世代がしているような政治・言論界等での活躍ぶりを(保守・「左翼」を問わず)発揮することができているのだろうかと。同じことだが、全て(又は殆ど)の国民が戦争を知らず、「戦後(平和・民主主義)教育」を受けた者ばかりになって、はたして日本の国家と社会をうまく運営していけるのか、と。やや情けないことだが。