Leszek Kolakowski, Modernity on Endless Trial(Chicago Uni. Press,1990)。
 試訳をつづけて、第2章へと進む。邦訳書はないと見られる。
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 第一部/Modernity、野蛮さと知識人について。
 第二章・野蛮人を求めて—文化的普遍性という幻想①。
 〔脚注⏤1980年3月にフランスの大学で行われた講演、"Ou sont les barbares ? Les illusions de l'univesalisme cultured" を、Agnieszka Kolakowska がフランス語から翻訳〔英訳〕したもの。〕
 (1)私は歴史的叙述をするつもりはない。
 また、予言にも関心はない。
 私は先ず、認識論的(epistemological)性格の前提条件を考察しようと思う。次いで、提示したい価値判断に進むつもりだ。
 価値判断は、この数十年間に容赦なく攻撃されてきたためほとんど完全に用いられなくなっている、そういう考え方の防衛に関係する。—ヨーロッパ中心主義(Eurocentrism)という考え(idea)だ。
 この言葉自体は疑いなく、広い範疇の雑多な物屑入れの中にある。我々がそれらの定義を無視して軽く用い、論駁する意味がないほどに露骨に馬鹿げたことを種々混合した、そういう言葉の一つだ。真偽は別として、事実の言明。擁護できるか否かは別として、価値判断。
 このような言葉に関して最も重要な点は、それらを用いる際にそれらに漠然と結びついている論理矛盾(absurdity)に注意を向けることだ。そして、我々の目的は、擁護する価値がきわめて大きいとされている考えを攻撃することにある。
 実際に、このような考えを擁護することは文明の運命にとっては致命的であることが、判明するかもしれない。//
 (2)さて、これらの言葉は、きわめてイデオロギー的なものだ。一定の規範的要素をもつからではなく、表向きは率直な叙述である言明の範囲内で規範的内容を隠蔽することによって、論理的には区別される問題を分離して考察することを妨げるという機能を果たしているからだ。
 ジャーナリズム的専門術語ではこのような言葉の一覧表は長くつづき、<ヨーロッパ中心主義>を別とすれば、<平等主義>、<社会的公平さ>、<人間中心主義>、<解放(liberation)>等々の肯定的含意を伴う言葉のとともに、<エリート主義>、<リベラリズム>、<男性優位主義>のような言葉がある。
 <ヨーロッパ中心主義>という言葉に関して行う仕事は、この言葉に連結している多数の論理矛盾をそれらを強調することで目立たせ、この考えを全体として疑問視することだ。
 つぎのような前提条件は、この類の論理矛盾の例だ。すなわち、ヨーロッパ人には世界の残余部分に関心をもつ理由がない。ヨーロッパ文化は、他の文化から一切何も借用してこなかった。ヨーロッパはその成功をヨーロッパ人という人種的純粋さに依っている。世界を永遠に支配するのはヨーロッパの宿命であり、その歴史は理性、美徳、栄冠と廉潔の物語だ。
 この言葉は、18世紀の(当然に、白人の)奴隷取引者や19世紀の単純素朴な進化論の同志たちのイデオロギーに対する憤りを伴うべきだ。
 しかし、それが現実にもつ機能は異なっている。これらのような簡単な標的を選択して漠然として明快さなき集積物へと一括りにしている。全ての独特さ(specifity)をもつ、まさにヨーロッパ文化という考えだ。
 この文明は結果として、たんに外部の脅威のみならず、おそらくはより危険ですらあることだが、自滅的な心性(mentality)に侵されやすいものになっている。この自滅的な心性の特徴は、自分たち自身の明確な伝統への無関心、疑問、実際に自動的に破壊的となる錯乱状態を特徴とする。これらはは全て、一般的普遍主義のかたちでの言語表現で示されている。//
 (3)ヨーロッパ文化を一定の価値判断に頼ることなく定義するのは不可能であるのは、完璧に正しい。—地理的に、年代史的に、あるいはその内容をに関して、いずれにせよ。
 ヨーロッパの精神的領域を、恣意的でない方法でどのように画定できるのか?
 学者が言うには、その名前自体が起源はアッシリアにある。
 ヨーロッパを創出する文章、優れた書物は、ほとんどの部分が、インド=ヨーロッパ語ではない言語で書かれた。
 哲学、芸術、宗教に示された莫大な豊かさは、小アジア、中央アジア、東方(the Orient)およびアラブ世界の知識を利用し、吸収したものだった。
 <いつ>この文明は生まれたかと問うならば、我々は多数のあり得る回答を見出すに違いない。すなわち、ソクラテスとともに、聖パウロとともに、ローマ法とともに、カール大帝とともに、12世紀の精神変革とともに、新世界の発見とともに。
 この問題について正確に判断するのが我々に困難であるのは歴史知識の欠如によるのではなく、これらの回答のいずれも尤もらしいからだ。あれこれの要素は混合物にとって本質的に重要であり、決定は価値の領域にある、ということから出発するのに同意するならば。
 地理的な限界について語ろうとするときにも、類似の問題が生じる。ビザンティウム(Byzantium)を含むべきなのか? ロシアは? ラテン・アメリカの一部は?
 歴史—どちらの回答も支持し得るだろう—に訴えるのではなく、我々が住んでいる文化空間の構成にとって本質的だと我々が考える要素に考察を集中させて、問題の根源へと突き進まないかぎりは、議論は際限なく引き摺りつづける。
 そうしても、科学的研究の問題だというよりも票決(vote)のそれだろう。この文化の廃絶が、これに帰属したいとはもう願わないと、またはそんな文化は存在しないと宣告する多数派による票決で決定されることはあり得ないのだとしても。
 この文化の存在は、それがあると信じることに固執する少数派によって保障されている。//
 (4)我々が知るように、ヨーロッパ人はいったいどの点で独自の文化的一体に帰属していると意識するにいたるか、というのが論議の対象だ。
 この独自性は、少なくとも、西側キリスト教の単一性に帰一させることはできないものだろう。
 イベリア半島のサラセン人(the Saracens)、シレジアのタタール人、ダニューブ低地のオスマン帝国軍に対抗した人々は同一の一体性(identity)の意識を共有していなかった、と想定する理由はない。
 だがなお、ヨーロッパ文化が信仰心の統一性(unity)から発生したこと、その統一性が異端の島々のみならずヨーロッパじゅうで砕け散っているときにこそそれが確立し始めたこと、は疑いない。
 その時代は、芸術と科学での急速できわめて創造的なうねりの時代でもあった。そして、芸術と科学は絶えず増大する勢いで発展し、今日の世界の全ての偉大さと悲惨さに行き着いた。
 そして今日、恐怖と惨めさが自然に我々の感覚を支配するに至って以降、ヨーロッパ文化という考えそのものが、疑問視されてきている。
 論争の要点はおそらく、この文化の現実的存在というよりもむしろ、その独特の価値、なかんづくそれには優越性(superiority)がある、少なくとも一定の分野では優越的な重要性をもつ、という主張にある。
 意味が明確にされ、かつ肯定されなければならないのは、この優越性だ。//
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 ②へとつづく。