Orlando Figes, A People's Tragedy -The Russian Revolution 1891-1924(The Bodley Head, London, 100th Anniversary Edition,2017/Jonathan Cape, London, 1996).
 =O·ファイジズ・人民の悲劇—ロシア革命・1891-1924。
 第15章の第2節に入る。一文ずつ改行し、段落の区切りに//と原書にはない数字番号を付す。
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 第15章第2節・人間の精神の技師①。
 (1)伝説によると、1919年の10月にレーニンは密かに偉大な物理学者のパプロフ(I. P. Pavlov)の実験室を訪れて、彼の仕事が脳の条件反射ならば、それはボルシェヴィキが人間の行動を統御するのを助けるかと尋ねた。
 レーニンはこう説明した。
 「私は、ロシアの大衆を共産主義的な思考と反応の様式に従わせたい。
 過去のロシアには個人主義が強すぎる。
 共産主義は、個人主義的傾向を甘受しない。
 個人主義的傾向は有害だ。我々の計画を阻害する。
 我々は、個人主義を廃絶しなければならない。」
 パプロフは、愕然とした。
 レーニンは、犬に対して彼が既にしたことを人間に対してさせたいと考えているように見えた。
 パプロフは尋ねた。「ロシアの民衆を均一化(standardize)させたい、と言いたいのか? 全員を同じように行動させる?」
 レーニンは答えた。「そのとおり。人を矯正することはできる。我々が人に対して望むようにその者をさせることができる」。(14)//
 (2)実際にこうだったかはともかく、この物語は、一般的な真実を例証している。すなわち、共産主義体制の究極的狙いは、人間の本性を変形させることだった。
 その狙いは、戦間期の別のいわゆる全体主義体制によっても共有されていた。
 結局のところ、これが象徴した時代とは、人間の生活(life)を変化させる科学の潜在的能力に対するユートピア的楽観主義の時代であり、かつ同時に逆説的に、第一次大戦による破壊の後での人間の生活の価値に対する深い疑念と不確実さの時代だつた。
 ナツィ・ドイツの優生学運動の先駆者の一人は、1920年に述べた。
 「まるで人間性(humanity)という観念の変化を目撃してきているようにほとんど思える。…
 戦争がひどく差し迫ってきているので、個人の生活には以前とは異なる価値があると考えざるを得ない。」(*15)
 しかし、共産主義者の人間改造計画と第三帝国による人間工学の間には、決定的な違いがあった。
 ボルシェヴィキの計画は—マルクスよりもカントに由来する—啓蒙(Enlightenment)の理想にもとづいていた。この啓蒙の理想は、このポスト・モダンの時代でも、西側のリベラルたちが共感したもので、あるいは少なくとも、かりに政治的な目標は同一ではなくとも、それを理解するよう迫られたものだった。
 これに対して、「人類を改良する」ナツィの試みは、優生学を通じてであれ大量殺戮によってであれ、啓蒙というものを唾棄し、我々に嫌悪感だけを抱かせるものだった。
 大衆の啓蒙を通じて新しい類型の人間を創り出そうという考えはずっと、19世紀ロシアの知識人たちの救世主的(messianic)使命を示していた。その中から、ボルシェヴィキは出現した。
 マルクス主義哲学も同様に、人間の本性は歴史的発展の産物であり、従って革命によって変造することができる、と教えた。
 レーニンの青年時代のロシア知識人たちの間で宗教たる地位を占めていた、ダーウィンとハクスリーの科学的唯物論は、人間は生きる世界によって決定される、という見方を教えていた。
 かくしてボルシェヴィキは、革命は科学の助けで新しい類型の人間を創り出す、という結論に至っていた。//
 (3)レーニンとパプロフの二人は、Ivan Sechenov (1829-1905)に敬意を払った。この人物は生理学者で、脳は外部の刺激に反応する電子工学的装置だと主張していた。
 彼の著の<脳の反射>(1863)は、Chernyshevsky に大きな影響を与え、そしてレーニンに対してもそうであり、かつ条件反射に関するパプロフ理論の出発点でもあった。
 ここで、科学と社会主義が遭遇した。
 パプロフは歯に衣を着せず革命を批判し、しばしば国外逃亡を迫られたが、ボルシェヴィキによる経済的保護を受けた。(*)
 (*原書注記—パブロフはBulgakov の風刺の対象だったと結論づけたくなる。彼の<犬の心臓>(1925年)では、世界に有名な実験科学者はボルシェヴィキを軽蔑したが、支援を受けており、犬の脳と性的器官を人間へと移植した。) 
 2年の経歴ののち、パプロフは手厚い配給を受け、モスクワに広いアパートを得た。
 慢性的な紙不足があったにもかかわらず、彼の講義録は1921年に出版された。
 レーニンはパプロフの著書について、革命にとって「きわめて有意義だ」と語った。
 ブハーリンは、「唯物論という鉄の兵器庫からの武器だ」と評した。
 トロツキーですら、彼は総じて文化政策を詮索しなかったものの精神医学には多大の関心があったのだが、人間の再建造の可能性を、つぎのように熱心に語った。
 「どんな人物か? 彼は決して、完成されたもしくは調和のとれた人ではない。
 いや、いまだに臆病な人だ。
 生物としては計画どおりにではなく自発的に進化していて、多数の矛盾を蓄積している。
 どのようにして人間の肉体的および精神的な構成を鍛錬して統御し、改善して完成させたかは、とてつもなく大きな問題であって、社会主義を基盤にしてのみ理解することができる。
 我々はサハラを横断することができ、エッフェル塔を建設することができ、ニューヨークと直接に会話することもできる。しかし、我々はきっと、人間を改良することはできない。
 いや、できる!
 人間の新しい『改良版』を作り出すこと。—これが、共産主義の将来の任務だ。
 そのために、我々は、人間について、その解剖学的構造、生理学、および心理学と呼ばれる人間生理学の一部について、全てを先ず、解明しなければならない。
 人は自分自身を生の素材(原料、raw material)だと、あるいはせいぜいのところ半ば製造された産物だと見つめ、かつそう理解しなければならない。
 そして、こう言うのだ。『ああついに、私の大切な<ホモ・サピエンス>よ、私はきみの上で働くだろう』」(*16)//
 (4)革命の時期頃に流行した未来小説やユートピア冊子で描かれた新しいソヴィエト人は、機械の時代のプロメテウスだった。
 新ソヴィエト人は理性的な、紀律のある集団的人間で、生きている有機体の一細胞のように、最大の善という利益のためにのみ生きる。
 個人的な「わたし」の語法ではなく、集団的な「我々」の語法で思考する。
 ボルシェヴィキ哲学者のAlexander Bogdanow は、彼の二冊の科学小説、<赤い星>(1908年)と<技師メンニ>(1913年)で、21世紀のいつかに火星(Mars)にあるユートピア社会について叙述した。
 個人のあらゆる痕跡は「マルクス主義火星社会」では除去される。全ての仕事は自動化され、コンピータで稼働する。全員が性差のない衣服を着て、同じそっくりの住居に住む。子どもたちは特別の区画で養育される。
 異なる民族はなく、誰もが一種のエスペラント語を話す。 
 <技師メンニ>のある箇所では、主要な主人公の火星物理学者は、個人たる人間を創出した地球のブルジョアジーの使命を、社会の「原子を集めて」、それらを「単一の、知的な人間有機体へと融合する」という火星上のプロレタリアートの任務に喩える。(*17)//
 (5)集団を通じての個人の解放という理想は、ロシアの革命的知識人層にとっては基礎的なことだった。
 Gorky は、1908年に書いた。
 「『わたし』ではなく『我々』。—これが、個人の解放の基盤だ。
 そして最後には、人は世界の全ての富の、世界の全ての美の、人類の全ての経験の化身だと、そして精神的に全ての兄弟たちと同等の者だと、感じるだろう。」
 Gorky にとって、集団的精神の覚醒は、本質的に人間中心主義者(humanist)の責務だった。彼はそれを、啓蒙の公民(civic)精神になぞらえた。
 「ロシアは、文化革命の機会を逃してしまった」。
 彼の見方では、数世紀もの隷従制と帝制支配は「卑屈で鈍感な民衆」を育てた。受動的で 、進歩の影響を受けたくなく、 突如として破壊的暴力を爆発させがちだが、国家による強制がなければ建設的な国民的作業を行うことができない、そういう民衆を。
 要するに、ロシア人は、<nekulturnyi>、つまり「公民となっていない(文明化していない, uncivilized)」。積極的な公民であろうとする文化に欠ける。
 政治的および社会的革命が依って立つ文化的革命の任務は、この公民たる意識を培養することだ。
 Gorky の言葉では、その任務は「ロシア人を西側に並ぶよう駆り立てること」であり、「アジア的野蛮と怠惰の長い歴史」から彼らを解放することだった。(*18)//
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 ②へとつづく。