Varlam Shalamov, Kolyma Stories, translated by Donald Rayfield(The New York Review of Books, 2018)の、(ロシア語から英語への)翻訳者・Donald Rayfieldよる序文の試訳のつづき。
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 第2節②。
 (4)シャラモフは、荷積み一輪車の運転方法以外には何も、コルィマから学ばなかった、と言った。
 しかし、彼の著作物の断片の一つは、我々にもっと多くのことを語ってくれる。/
 「<収容所で見て理解したこと
 01. 人間の文化や文明の極端な脆弱さ。重労働、寒さ、飢え、殴打があれば、人間は三週間で野獣になる。
 02. 精神を奪う主要な方法は、寒さだ。思うに中央アジアの収容所ではより長く生きる。より暖かいからだ。
 03. 友情や同志愛は、本当に過酷な、生命を脅かす条件のもとでは決して生まれない、と悟った。
 04. 人間が最も長く維持する感情は怒りだ、と悟った。怒りに燃える人間には、肉片で十分だ。他の全てに、その人間は無関心だ。
 05. スターリンの「勝利」は、無実の者を殺したことによる、と悟った。—十倍の規模の組織があれば、二日以内に彼を一掃できただろう。
 06. 人間は他のどの動物よりも強くて生により執着するがゆえに人間だ、と悟った。どの馬も、極北で働いて生き延びることはできない。
 07. 飢餓と酷使の条件の中で最小限度の人間性を維持することのできる唯一の人間集団は、宗教信仰者、宗徒(この者たちのほとんど)、たいていの聖職者だ、と知った。
 08. 党従事者と軍人は、最初に崩れ始め、かつ最も容易に崩れる。
 09. 知識人に対する最も手厳しい論述は、その顔を最もふつうに平手打ちすることだ、と知った。
 10. ふつうの人々は、監督者たちがどの程度強く自分たちを叩くか、どの程度熱心に殴打するかによって、自分の監督者を識別する。
 11. 殴打は、一つの議論と同じくほとんど全面的に有効だ(方法・第三)。
 12. 見せ物裁判(show trial)がどのように不可思議に設定されているかを、専門家から教えられた。
 13. 受刑者はなぜ、外部世界が聴くよりも前に政治報道を聴くのかを、理解した。
 14. 刑務所(と収容所)の「風聞(grapevine)」は決して「風聞」にすぎないのではない、と気づいた。
 15. 人は怒りを糧として生きることができる、と悟った。
 16. 人は無関心を糧として生きることができる、と悟った。
 17. なぜ人々は希望によって生きないかを、理解した。—希望は全くない。また、なぜ自由(free)な意思によっては生き残ることができないかも。—どんな自由な意思があるのか?
 人々は本能により、自己保存の感情により、木や石や獣と同じ基盤の上で、生きる。
 18. 1937年に最初に正しく、私の自由(freedom)により他人の死に導くことができるなら、私の自由が私自身のような受刑者である他の人々を抑圧することで監督者に奉仕しなければならないなら、決して職場長にならないと決めたことを、私は誇りに思っている。
 19. 私の肉体的強さと精神的強さはいずれも、この大実験で想定していた以上に強いことが判明した。
 誰をも売らなかった、誰をも死刑またはその他の判決へと追いやらなかった、そしてだれをも告発しなかった、ということを誇りに思う。
 20. 1955年まで公式の請願書を書かなかったことを、誇りに思う。
 21. 私は、いわゆるベリア恩赦が行われたところを見た。見るに値する光景だった。
 22. 女性の方が男性よりも慎み深く自己犠牲的だ、と知った。コルィマでは、妻に従う夫の事例はなかった。しかし、妻たちの多くは、やって来た(Krivoshei の妻のFaina Rabinovich)。
 23.「夫と妻を合法化する」手紙を携行する等の、北方の素晴らしい家族(自由契約労働者と従前の受刑者)を見た。
 24. 「最初のロックフェラー」、地下世界の百億長者たちを見た。私は彼らの告白を聞いた。
 25. 制裁労働をする人々を見た。「割当量」D、B等、「Berlag」の多数の人はもちろん。
 26. 大量のことを達成できる—移籍した病院の時間で—ことを悟った。だが、生命を危うくし、殴打をされ、氷の中の独居牢を耐え忍ぶことによってだ。
 27. 氷の中の、岩に刻まれた独房を見た。そこで私自身が一晩を過ごした。
 28. 権力への、意のままに人を殺すことができることへの熱情は、強い。—監督者の長から階層内にある監視員まで(Seroshapka と似たような男たち)。
 29. ロシア人の、非難し不満を告げることに駆りたたれる、統御できない気持ち。
 30. 世界は善良な人々と悪徳な人々に分けられるのではなく、群衆とそれ以外に分けられることに気づいた。
 群衆の95パーセントは、不愉快きわまること、死に直結することを、最も穏やかな脅迫があれば、行うことができる。
 31. 収容所は—その全てが—否定的な学校だと確信している。あなたは、堕落することなくして、その一つで一時間なりとも過ごすことはできない。
 収容所は誰にも何の積極的なものをも与えなかったし、与えることができない。
 収容所は全員を、受刑者と自由契約労働者のいずれをも同様に、堕落させることで運営される。
 32. どの地方にも、その地方の収容所があり、どの建設場所にもある。数百万人の、いや数千万人の受刑者がいる。
 33. 抑圧は社会の上位層にだけ向けられているのではなく、あらゆる階層に及んでいる。—どの村にも、どの工場にも、どの家族にも。全ての家族に、抑圧されている親戚か友人かがいる。
 34. 私の人生の最良の時期は、Butyrki 刑務所の小部屋で過ごした数ヶ月だったと思う。そこで私は何とかして弱い者の精神を鍛えた。また、そこでは誰もが自由に話した。
 35. 一日先の生活を「計画」することを学んだ。それ以上先ではない。
 36. 泥棒は人間ではない、と悟った。
 37. 収容所には犯罪者はいない、隣にいる人々は(また明日に隣人になるだろう人々は)法の範囲内にいて、法に抵触していない、と悟った。
 38. 何とも恐ろしきことは少年または若者の自己肯定心だ、と悟った。彼らにとって、頼むよりも盗む方がよい。
 そうした自己肯定と傲慢さは、少年たちを底辺に沈ませている。
 39. 私の人生で、女性は大きな意味を持たなかった。収容所がその理由だ。
 40. 教養ある人々は、役に立たない。なぜなら、どのようなならず者に対しても自分の態度を変更するのは、私にはできないからだ。
 41. 誰もが—監視兵であれ、仲間の受刑者であれ—嫌悪する人々は、ぐずぐずし、病気で弱い、気温がゼロ度以下のときは走ることのできない、党階階層の新入たちだ。
 42. 権力とはどういうもので、銃砲をもつ男がどういうものか、私は理解した。
 43. 規準は変わってくる、その変わりようは収容所の最も典型的なものだ、と私は理解した。
 44. 受刑者の生活条件から自由人のそれへと移ることはきわめて困難だ、長い償還期間なくしてはほとんど不可能だ、と理解した。
 45. 作家は叙述している問題については外国人でなければならない、そして、素材を十分に知っているならば誰も自分を理解できないだろうようなやり方で作家は執筆するのだろう、と理解した。」//
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 第2節、終わり。