西尾幹二・皇太子さまへの御忠言〔ワック出版)が刊行されたのは、2008年(平成20年)9月だった。
 月刊WiLL2008年5·6·8·9月号(ワック)に四連載した(ほとんど)同名のものに、月刊正論2005年4月号、諸君!!2006年4月号既掲載のものを加えたもの。
 雑誌のものは首を傾げながら読んだ記憶がある。
 その当時から長く、うかつにも(幼稚にも)思ってきたのは、「皇太子さまへの御忠言」なのだから、直接に宛名とすることはなくとも、丁寧に包装して宮内庁でも通じて、当時の皇太子殿下にお届けしたのだろう、ということだった。
 本当に、真摯に「御忠言」したいならば、皇居にまで出向いて、直接に手渡すことを考えてすら、不思議ではないだろう。
 しかし、近年になって、上のようなことが行われた(出版社が送付したということを含めて)旨の記事はないこともあって、自分の無知、浅はかさは相当のものだと思った。
 西尾幹二は当時の皇太子殿下に届けていない。ということは、読みたいならば費用を出して購入せよ(して下さい)ということだったのだろう。
 そして、西尾は、皇太子・同妃その他皇室の方々に読んでもらうのが目的で雑誌論考を書いたり書物を出したりしたのではなく一般国民・一般読者に向けて、自分の意見を知ってもらいたくて書いたのだ。
 反応はかなりあったらしい。つまり、雑誌は売れたらしい。確認しないが、「手応え」・「反響」が大きかった旨を自分でのちに書いている。
 しかし、反応があり、「売れた」ということは、(書物も含めて)購入して読んだ読者の「支持を得た」のと同じでは、もちろんない。
 もっとも、支持であれ、疑問視であれ、反対であれ、西尾幹二にとっては、自分というものの存在を世に「広く」(どれほどか?)知らせることとなったのは悪い気分ではなかったかもしれない。
 また、出版社にとっては、—まだ雑誌の奇妙な分裂と移行前だったので、ワック・編集担当は花田紀凱だったが—好意的であろうとなかろうと、「売れさえすれば」それで良かったのだろう。西尾幹二もまた、原稿執筆を請負い、出版社から代金を受け取る自営業者なので、多少の「経済的利益」となっただろう。
  高森明勅のブログが「6日前」、たぶん3/28に①「『保守』知識人の皇室バッシング」と題して、「個人的には、以前に些かご縁があったので、…少し気が引けるが」としつつ、上の西尾幹二の「御忠言」を批判している。
 「『御忠言』という殊勝なポーズは、タイトルだけの話。中身は、確かな事実に基づかないで、不遜、不敬な言辞を連ねたものだった」、等々。
 ここには、私が知らなかったことも書かれている。月刊WiLLのこの当時の編集長・花田紀凱はかつて週刊文春の編集長だった(これは知っていた)。
 高森によるとこうだ。 
 「『週刊文春』が上皇后陛下(当時は皇后)へのバッシングを繰り返し、果てに上皇后が悲しみとお疲れの余りお倒れになり、半年もの間、失声症に苦しまれた時の編集長も同じ人物」、つまり花田紀凱。
 花田紀凱は現在は、月刊Hanada 編集長。
  高森はまたその翌日?にも②「皇后陛下を仮病扱いした『保守』知識人」と題して、やはり西尾幹二を批判している。
 2008年頃のことなのだろうか、この頃の<朝まで生テレビ>はもう観ていなかったので、知らなかった。 
 高森によると、同も出演していた<朝まで生テレビ>で、同じく出演していた西尾幹二が、雅子皇太子妃について、こう発言した、という。
 「雅子妃(皇后陛下)は来年の今頃には全快しています!」。
 なぜそう言い切れるのかと司会・田原総一朗が質問すると、西尾幹二はこう答えた、という。
  「だって仮病だから!!」。
 うーん。仮病?だったとすると、西尾が上掲書で2名以上の専門医を雅子妃に付けよとか書いているのは、医師によって<仮病であること>=<病気ではないこと>を見抜け、と主張したかったのだろうか。
 しかし、熟読していないが、上の書物でその旨(仮病)を示唆するところはなかったように思えるのだが。
 再び、高森から引用する。 
 「この予言(?)は勿論、外れたし、外れたことに対して、同氏が謝罪したとか、弁明したという話を(少なくとも私は)聞かない
 周知の通り、皇后陛下は今もご療養を続けておられる。この事実を、同氏はどう受け止めるのか。」
  西尾幹二はなぜ、あのあたりの時期に<反雅子妃>の立場を取り、皇太子に「忠言する」ことを考えたのだろうか(「売れる」という反応に喜んだのは別として)。
 この人の<性格>・<精神世界>にまで立ち入らないと分からないだろう。あるいは<人格>だ。
 人間が関係する全ての事象が各人間、全ての人間の<人格>と無関係ではない。
 複雑で、総合的かつ歴史的な因果関係があるから、簡単に論じることはできないし、論じれば、必ず誤り、短絡化につながる。
 したがって、簡単に西尾幹二の<人格>論に持っていくつもりはない。
 だが、西尾幹二が<雅子妃>問題に関して、特定の人物の<人格>をやたらと問題にしていたことは、間違いない。西尾自身がその<人格>を簡単にかつ単純に論評されることがあっても、甘受しなければならないのではないか。
 また、そもそも皇族外の特定の人物(雅子妃の父親)にやたら関心をもち、その人物を問題視するのはいったいなぜだったのだろうか。
 以下は例示。上掲書の文庫版(ワック文庫。但し、新書版に近い大きさ)の頁数による。いずれも、執筆は2012年。
 p.7(まえがきに代えて)—「雅子妃の妹さんたちが…、…会っている様は外交官小和田氏の人格と無関係だと言えるだろうか」。
 p.37(序章)—「雅子妃のご父君は娘にいったいどういう教育をしてきたのでしょうか。…畏れ多いのだという認識が小和田一族に欠けていることに根本の問題があるのではないか」。
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