Johh Gray, Grays's Anatomy: Selected Writings (2015, New Edition)。
 試訳のつづき。
 この書には、第一版も新版も、邦訳書はない見られる。
 一文ごとに改行。一段落ごとに、原書にはない数字番号を付ける。
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 第7部/第41章・歴史の中の悪魔②。
 (05) 20世紀の歴史に関する野心的で挑戦的な書物である<歴史の中の悪魔>は、二つの全体主義の実験の間に最初から存在した類似性を明らかにしている点で、もっとも啓発的だ。 
 Tismaneanu は、「重要な知識人たちにいまだにある共産主義ユートピアへの驚くべき心酔」を述べることで当惑している、と告白する。
 彼は、こう書く。
 「相対的には穏和なレーニンを維持して防衛するのは、もはや不可能だ。
 レーニン思想は、精神病質者のスターリンによって不埒にも歪曲された。
 スターリンとは違ってレーニンは、精神病の兆候を示さなかった。」
 ボルシェヴィキの教理の総体的な特質は、パラノイア〔偏執症〕の発現ではなく、方法上の暴力と学者ぶったテロルだった。
 彼ら自身の説明では、レーニンとその支持者たちは、一定の人間集団を人間界の潜在的可能性を実現するために破滅しなければならない、という信念にもとづいて行動した。
 自分たちをリベラルと見なす多数の者は、このことを無視しつづけている。そして、それは何故か、と問うに値する。
 (06) Tismaneanu は、こう示唆する。全体主義という概念が理論的範疇として適切か否かの学界での議論の基礎になっているのは、政治における悪魔についての問題だ。
 彼は正しく、二つの全体主義の実験のうちどちらがより悪魔的かを問うていない。—この問いは、結論が出ない、かつ同時に道徳的に不快な数字に関する論争へと容易に退化する接近方法だ。
 彼は<歴史の中の悪魔>で、いくつかの点で重大な違いがあることを承認する。
 すなわち、社会からの排除の結果としての死亡、テロル運動の一部としての殺人、—ユダヤ人がナツィスおよび多くのヨーロッパ諸国やドイツが占領したソヴィエト・ロシアにいた協力者たちによって受けたように−無条件の廃絶運動において死につながる印をつけられること。
 数字の比較は、この重大な道徳的違いを見落とす。
 過去の人間だという汚名が家族じゅうへと拡張される一方で、社会に再び受け入れられることは可能だった。「再教育」を甘受することで、情報提供者になることで、そして一般に体制側に協力することで。
 スターリンは人為的な飢饉を作り出して数百万人を餓死へと追いやり、タタールやKalmyks のような人々を追放し死に向かわせた。そのときスターリンは、彼らの完全な消滅を意図してはいなかった。
 成人男性のおよそ5人に1人が、収容所に入れられたと概算されている。刑事責任能力のある年齢が20歳の者も含むように下げられた(死刑の可能性を含んだ)あとには数を計算できない多数の子どもたちもいた。また、1945年以降には、大量の「女泥棒」(戦争未亡人)が加わった。
 しかし、収容所にいた人々のたいていは、生き延びてふつうの生活に戻ることができた。
 ほとんど生きて戻れなかった収容所の部門があつたけれども—Varlam Shalamov が<コルィマ物語>(Kolyma Tales)〔*試訳者注1—下掲*〕で叙述するような収容所—、ソヴィエトにはTreblinka〔*試訳者注2—下掲*〕はなかった。//
 (07) 諸事情によって—民族的後進性、外国による包囲といったもの—失敗はしたが本質的には人間中心主義(humanistic)の構想だったと信じたい人々は、Tismaneanu の論述に抵抗するだろう。
 しかし、彼が明確に指摘しているように、ソヴィエト国家は、ある範囲の人間は完全には人間ではないとする意味をもつ政策にもとづいて構築された。
 レーニンは一つの型の人間中心主義(humanism)を保持していたかもしれないが、それは現実に生存している人類の多くを排除するものだった。
 聖職者、商人、過去の特権階層、旧秩序に奉仕した役人たちが公民権を剥奪された理由は、たんに新しい体制に対して敵対する可能性がある、というのではなかった。
 彼らは、かつて存在した人間性(humanity)の一類型を代表していた。
 ボルシェヴィキは過去の人々の運命は革命の悲劇的な代償だと考えた、ということを示唆するものは何も存在しない。
 こんな余計な人間たちは、歴史のごみ屑にすぎなかったのだ。
 かりに過激な悪魔とは人類の一部には道徳性の保護を与えるのを拒否することにあるのだとすれば、レーニンが創出した体制は、疑いなくその性質をもっている。
 (08) 多数のリベラルたちがこのような事実を無視するのは何故か、という問題が残されている。
 これを説明する一つは、明らかに、共産主義構想のユートピア的性格だ。
 政治学では、過激な悪魔の別の顔は、過激な善良さの非人間的な範型だ。
 レーニンは、権力諸関係が存在するのを止める、国家や市場のない世界を想像した。
 ヒトラーは、不変の人種的階層制を権力が反映する世界を想像した。
 おぞましいナツィの見方を受け容れているまともな人間がいるとは、想定し難い。—その見方は、継ぎ目なく続く<有機体的>文化の<民族の>(völkisch)というキメラ、詐欺的な<人種科学>、革命的反資本主義を混合したもの(mix)だ。
 しかし、ドイツ人の大部分に対して、対立のない均質の社会という幻想が魅力をもったことを、否定することはできない。
 レーニンのきわめて異なる見方は、ある意味では、同様に忌まわしいものだった。
 その最も本質的な特質をもつ真正のマルクス主義者は、人間の生活の意味を創出するために考案した活動に、多様な形態がある余地を残さなかった。
 宗教、科学の実践、芸術は、人間自身のために、置き去りにされることになるだろう。
 人間の相続物で残存する僅かのものには、集団的福利と共同的労働によって、軛がかけられるだろう。
 これはおそろしく不毛な見方だったが、幸いにも、現実化される見込みはない。//
 (09) リベラルたちは、共産主義とファシズムは元々対立し合うものだった—一方は啓蒙主義的普遍主義から、他方は人種の純粋性という反啓蒙主義から現れた—と、反論するだろう。
 違いはある。しかし、共通性も同様にある。
 ナツィズムが人間の平等と普遍的な解放を否認したとしても、人種の階層制というナツィの構想は、啓蒙主義的思考の影響力ある要素を継承している。
 ナツィの「科学的人種主義」に先行したのは、<実証主義哲学者>の生理学にもとづく社会という科学の構想だった。そして、レーニンの平等主義的構想もまた、Francis Galton や(より明確な言葉を用いた)Ernst Haeckel のような19世紀の啓蒙主義思想家によって促進された、人間の不平等と優生学の理論に、科学の—歴史的唯物論という代用科学の—基盤を求めたのだ。
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 (試訳者注1) Varlam Shalamov(1907-1982), Kolyma Tales(Penguin Books, 2015, John Glad 訳)を参照。シベリア北東部、むしろアラスカに近い極北・極東の地域に、Kolyma 強制労働収容所があった。
 なお、ここでは立ち入らないが、Olando Figes, Just Send Me Word (<レフとスヴェトラーナ>)に登場する、レフと親しいペチョラ収容所の実験室長のストレールコフ(Strelkov)は、このコリィマ収容所の受刑者たちを援助・救済しようとしたことが「犯罪」とされて、受刑者=収監者としてペチョラ収容所に入ったようだ。のちにOlando Figes 著の試訳の際に、再度言及される。
 (試訳者注2) ワルシャワ東北近傍のTreblinka 収容所では、アウシュヴィッツ強制収容所に次ぐ数のユダヤ人が大量殺害に遭った、とされる。
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 ③へとつづく。