折口信夫全集第02巻-古代研究(民俗篇1)(中公文庫、1975)より。
 折口信夫「神道の史的価値」(1922年1月)。p.161~の一部。
 一文ごとに改行する。旧字体を原則として改める。1922年=大正11年。
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 「…。所謂『官の人』である為には、自分の奉仕する神社の経済状態を知らない様では、実際曠職と言わねばならぬ。」
 「併しながら此の方面の才能ばかりを、神職の人物判定の標準に限りたくはない。
 又其筋すじの人たちにしても、其辺の考えは十二分に持ってかかっているはずである。
 だが、此の調子では、やがて神職の事務員化の甚だしさを、嘆かなければならぬ時が来る。
 きっと来る。
 収斂の臣を忌んだのは、一面教化を度外視する事務員簇出の弊に堪えないからと言われよう。
 政治の理想とする所が、今と昔とで変わって来て居るのであるから、思想方面にはなまじいの参与は、ない方がよいかもしれぬ。
 唯、一郷の精神生活を預かって居る神職に、引き宛てて考えて見ると、単なる事務員では困るのである。
 社有財産を殖し、明細な報告書を作る事の外に、氏子信者の数えきれぬ程の魂を托せられて居るという自覚が、持ち続けられなければならぬ。<中略>
 …其氏子・信者の心持ちの方が、既に変わって了うて居る。
 田園路を案内しながら、信仰の今昔を説かれた、ある村のある社官の、寂し笑みには、心の底からの同感を示さないでは居られなかった。」
 「世間通になる前に、まず学者になって頂きたい。
 父、祖父が、一郷の知識であった時代を再現するのである。」
 「こうした転変のにがりを啜らされて来た神職の方々にとっては、『宮守りから官員へ』のお据え膳は、実際百日ひでりに虹の橋であった。
 われひと共に有頂天になり相な気がする。
 併し、じっと目を据えて見回すと、一向世間は変わって居ない。
 氏子の気ぐみだって、旧態を更めたとは見えぬ。
 いや其どころか、ある点では却って、悪くなってきた。
 世の末々まで見とおして、国家百年の計を立てる人々には、其が案ぜられてならなくなった。
 閑却せられていた神人の力を、借りなければならぬ世になった、ということに気のついたのは、せめてもの事である。
 だが、そこに人為のまだこなれきらぬ痕がある。
 自然にせり上がって来たものでないだけ、どうしても無理が目立つ。」
 「我々は、こうした世間から据えられた不自然な膳部にのんきらしく向かう事が出来ようか。
 何時、だしぬけに気まぐれなお膳を撒かれても、うろたえぬだけの用意がいる。
 其用意をもって、此潮流に乗って、年頃の枉屈を伸べるのが、当を得たものではあるまいか。
 当を得た策に、更に当を得た結果を収めようには、懐手を出して、書物の頁を繰らねばならぬ。」
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