折口信夫全集第20巻-神道宗教篇(中公文庫、1976)より。
 折口信夫「神道に見えた古代論理」(1934年)。p.416~の一部。
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 ・「神道の歴史において、一番に考えなければならない事は、神道の極めて自然に発生的に変化してきたという以外に、なお不自然に飛躍してきた部分のある事である。<中略>」
 ・「しかし、じつは我々の知識による判断であるから、自然的な或いは不自然的な発展過程だと明確に決め込むには、十分の警戒を要する事である訳だ。
 たとえば仏教が社会を規定していた時代には、仏教的な神道が生まれ、儒教が世間の指導精神となっていた時代には、儒教的な神道が現れたのである。
 がしかし、なおも陰陽道が盛んになる以前の古い時代においても、種族的な信仰としての陰陽道が神道にとり入れられ、神道の神学の一部を形成したこともあるに違いない。
 これは、じつは元来宗教的に何の立場もない神道として、如何ような説明でも出来たためである。
 だからその発達の途中にとり入れられたものでも、時代を経るに従うて自然的なものになって、後の神道観からは、こう言うものが神道の最初から存在し、発達してきたと見る事もあり、また観者の中には、神道の中にある陰陽道的要素或いは仏教的要素などをば、それだとするを潔しとしない者もあるのだ。
 従って我々には歴史の経過以外に、素朴なものの考えられ様はないのだから、神道要素として含まれている仏教・陰陽道・道教・儒教などをば取り除いて見れば、神道と考えられるものがなくなる訳である。
 と同時に、我々の神道に対する従来の先入主を取り去って考えなければ、結局神道についての正常な理解は得られないのみならず、事実、人間の思考においては最初の出発点について考えることは空想なのだから、不用意な推定には必ず誤りが混じてくるのである。」
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 折口信夫、1887年~1953年。