小林和幸編・明治史研究の最前線(筑摩書房、2020)。
 上のうち、久住真也「第一章/維新史研究-幕末を中心に-」。
 興味深いことがいくつか書かれている。
 1989年に大学に入学した執筆者(1970~)によると、マルクス主義に関する知見がないとかつての研究は「簡単に理解できない」。その点で、彼よりも「20年ほど年配の研究者」との間には「理解の程度に大きな差がある」と実感する、という。
 久住によると、マルクス主義的明治維新観の代表は遠山茂樹・明治維新(1951)で、幕政改革派→尊皇攘夷派→倒幕派→維新官僚という政治勢力の系譜をたどるのを特徴とする。だが、「維新の政治主体」に着目した研究傾向はやがて下火になり、1989年以降の「マルクス主義の権威低下」とともに「唯物史観」による研究も低調になり、1980年代後半には「明治維新=絶対主義の成立」という見方は「効力を失」った。p.17ー18。
 日本史学=マルクス主義という<偏見>はなおあるが、安心してよいかもしれない。だがむろん、マルクス主義・「唯物史観」でなければよい、というわけでもない。
 驚くべきであるのは、幕末・維新の政治過程に関するかつての通説?が、今やそうではない、または必ずしもそうでない、といういくつかの指摘だ。例えば、以下。
 ①王政復古クーデタ(1967年12月)は、「徳川慶喜=幕府の打倒を目指したものではない」
 ②「王政復古で成立した政府」は、鳥羽・伏見戦争(1968年1月勃発)以後の政府と違って、「天皇よりも『公儀』(諸藩代表者の意見)原理が優位に立つ政府」で、「天皇親政は成立していない」。以上、p.26。
 ③坂本龍馬斡旋という薩長盟約(1966年3月)は「倒幕の軍事同盟」ではなく、同盟の打倒対象は<一会桑>だった。p.28ー29。
 その他いろいろと興味深い論点は多いが、<薩摩>は一貫して倒幕派ではなかった旨の指摘(p.25)は秋月もその通りだと感じる。第一次長州戦争で長州を敵としていたのは、薩摩だ。
 「明治の元勲」に一部はなっていった志士個人ではなく、政治主体としては「藩」(=「国家」)に着目する必要がある、とするのも、素人ながら同感する。
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 今さらながら、現に生起したことから「過去」を説明または解釈する、ということの誤謬を考える。また、戦後の「左」も「右」も、それらの単純な明治維新イメージには、共通するところがある。
 さらに、現実に起きた具体的「明治維新」は、いかほどに後期水戸学・藤田幽谷の<思想>と「つながる」のかどうか。