L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻・最終第13章の試訳のつづき。最後の段落の前に一行の空白がある。「むすび」または「小括」のごとくだが、内容的にはこの節に限らず、<修正主義>一般に関するもののように見える。
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 第4節・フランスでの修正主義と正統派②。
 (7)パリの流行が実存主義から構築主義へと変化した1960年代の後半、関心は、マルクス主義の完全に異なる解釈に向けられた。それは、フランスのマルクス主義者、L・Althusser 〔ルイ・アルチュセール〕が提示したものだった。
 構造主義が人気を得た理由の一つは、言語学の方法として始められたからだ。言語学は多少とも正確に「法則」を進化させ得る唯一の人文系学問分野だと見なされた。
 「科学的」地位は別の人文学分野へと移るだろうとの望みは、今では抱かれている。しかし、それ以来、この点の展開は物足りないままだ。
 Lévi-Strauss 〔レヴィ-ストロース〕 は、人文学への構造主義的、非歴史的接近方法の、フランスの最初の主張者だった。そして、個人にはほとんど関心を向けず、原始社会の神話にある符号(signs)システムの分析に集中した。
 そのシステムの「構造」は、誰かによって意識的に考案されたのでも、使用者の心に現れるものでもないが、科学的観察者は発見することができる。
 Althusser は二つの連作著書で-<マルクスのために>(1965年)と<資本論を読む>(1966年、E. Balibar と共著)-、マルクス主義は、人間の主体性と歴史的継続性が意識的に排除される、構造主義的考察方法を提供することができることを、示そうとした。
 彼はその攻撃の矛先を「ヒューマニズム」、「歴史主義」および「経験主義」に向け、マルクスの知的な発展は1845年の<ドイツ・イデオロギー>で明確に中断した、と主張した。
 マルクスはそれ以前はヘーゲルとフォイエルバッハにまだ囚われていて、具体的な人間個人を想定して世界を(疎外のような)「ヒューマニズム」や「歴史主義」の範疇によって叙述した。しかしながら、のちにはこうしたイデオロギー的接近方法を放棄し、厳密に科学的な理論を進展させた。それだけが、純粋なマルクス主義だ(なぜ以前のマルクスよりものつのマルクスの方が純粋なのか、Althusser は説明しない)。
 <資本論>で最も十分に深められ、その方法が<綱要(Grundrisse)>への序文で設定されているこのマルクス主義は、歴史過程は人間主体の行動という観点から叙述することができるという考えを拒否する。
 Althusser によれば、全ての科学的著作と同じく、<資本論>の主題は現実にある実体ではなく、その全要素が全体に依存する、理論上の構築物だ。
 歴史的唯物論で最重要なのは、他者に依存する歴史的現実の諸側面を確かめることではなく、諸側面のいずれもが全体に依存している、ということだ(これは、この論脈でAlthusser は言及していない、ルカチの考えだ)。 
 しかしながら、全ての領域にはそれに固有の変化のリズムがある。全てが均等に発展するのではなく、どの時点をとっても、進展の異なる段階にある。
 Althusser は「イデオロギー」や「科学」について、実証主義者たちが言っただろうような真実の「外部的」標識に科学は拘束されないとたんに述べるだけで、定義することがない。そうではなく、自分の「理論的実践」のうちに自分自身の「科学性」を創造する。
 このようにして科学は何で成り立つかという問題を片付けたうえで、マルクスの資本主義社会の分析は人間主体にではなく生産関係と関連している、と明確に述べる。その生産関係が、それに関与する人々の活動を決定するのだ。
 (看取し得るように、<資本論> は資本の運動が決定する作用をたんに具現化したものとして個人を扱っているというのは本当だが、このことは、資本が実際には個人を富または労働力の単位に変化させるという、マルクスの初期の観察を繰り返したものにすぎない。この変化が共産主義が廃棄を約束する、「非人間化」という効果だ。)
 我々はかくして、普遍的な方法的規準ではなく、交換価値という反人間的な性質に対する批判について、論述しなければならない。//
 (8)さて、考察の対象は、(この本でしばしば用いられるが、どこにも説明がない言葉である)「構造」(structure)であり、個人的な人間の諸要素ではない。
 Althusser は、「ヒューマニズム」という語で、つぎのものを意味させているようだ。歴史的過程を個人の行為に還元する理論、多数の例を通じて複合的になる同一の種たる本性を人間個人のうちに認める理論、あるいは、歴史的変化を絶対的「法則」ではなく個人の必要性の観点から説明する理論。
 「歴史主義」(これもAlthusser は説明しない語だが)はどうやら全ての態様の文化を論じることにあると考えられている。またとくに科学は、歴史的条件の変化と相関的なものとしてグラムシのように理解されているようだ。そして、科学の特別の権威と「客観性」を矮小化している。
 しかしながら、真のマルクス主義では、科学は「上部構造」の一部ではない。
 科学はそれ自体の規準をもち、進展する。科学は、客観的な観念的全体を構成するのであり、階級意識を「表現するもの」ではない。
 こうしてレーニンは正しく、外部から労働者階級の運動に注入されなければならず、階級闘争の要素または産物として発現することはあり得ない、と言った。
 なぜならば、社会生活の異なる諸側面は不均等に発展し(これはAlthusser が毛沢東に見出せると主張する点だ)、全てが同一の<時代精神〔Zeitgeist〕>を同じように表現するわけではない、というのがきわめて重要なことなのだ。
 どの諸側面も相対的には自立しており、革命にまで至る社会的「矛盾」はつねに、この「不均衡性」から生じる対立の産物だ。
 この最後の現象に、Althusser は「超(super-)決定」という名称を与える。そしておそらくはこの語によって、個々の現象は現存する条件の複合体(例、資本主義)からのみならず、当該の生活局面の、発展しているリズムによっても決定される、ということを意味させる。
 こうして例えば、科学の状態は社会状況全体はもとよりそれまでの科学の歴史に依存しており、同じことは絵画等々についても言える。
 上に紹介したようなことは、きわめて無邪気な結論だと思われる。「上部構造の相対的な自立性」に関するエンゲルスの言明を繰り返したものだ。
 Althusser はときおり、再びエンゲルスに従って、「超決定」にもかかわらず状況はつねに「究極的には」生産関係によって支配される、と述べる。しかし、エンゲルスの曖昧な言明をより明確にする何かを付け加えることがない。
 結論は要するにこうだ。個々の文化現象は一般に多様な状況に依存する。その中には、その一部となっている生活諸側面の歴史や社会関係の現在の状態が含まれる。
 このような明確な真実の、いったいどこが「科学的」なのか、何ゆえにマルクス主義の革命的発見なのか、あるいは、将来の予言は勿論のこと、どのようにして個々の特定の事実を説明する助けになるのか、について、何も語ってくれない。
 Althusser はまた、発展段階が同一か否かを示すために、例えば彫刻と政治理論といった二つの異なる分野でどのように比較することができるのかを、説明もしない。
 彫刻の分野のいかなる条件が「生産関係」のある所与の状態に対応しているかを歴史的法則から帰結させることができる、という想定のもとでのみ、これを行うことができる。
 しかし、このような推論をする方法について、Althusser は何ら提示しない。
 (党指導者はこれを行うことができるという想念は、現在の社会的意識が生産関係よりも「遅れている」がゆえにイデオロギー的迫害が正当化されると考えられている共産主義諸国では、決まってきわめて好都合だ。
 これが意味するのは、支配者は、どのような意識が「土台」と合致するためには必要なのかを知っている、ということだ。)
 (9)のちにAlthusser は、こう考えるに至った。ヒューマニズム、歴史主義およびヘーゲル主義の遺憾な痕跡が<資本論>の中にもなお見出し得るので、1845年頃のマルクスの見方の認識論的転回点は、考えていたほどには明瞭に画することができない、と。
 <ゴータ綱領批判>として知られる二つだけのマルクスの文章と政治経済学に関するAdolph Wagner の本の縁にあった若干の記述には、イデオロギー的な歪みが全くなかった。
 我々は、この点で、マルクス主義はマルクスの時代からきちんと存在したのか、あるいはAlthusser が考案する余地がなおあったのか、と不思議に思うことから出発することができる。
 (10)とくに1960年代後半でのAlthusser の見方が著名であるのは、彼の本は何らかの政治的結論に至ってはいないので、政治の問題ではない。
 もっと重要な点は、彼はマルクス主義者たちの間にある、実存主義、現象学論、あるいはキリスト教よりも進もうとする傾向に反対した、ということだ。そうして彼らは、自分たち自身の哲学を薄弱にし、独自性をなくしている、と。
 Althusser は、イデオロギー的「統合主義」を支持し、マルクス主義は自己充足的な教理であって100パーセント科学的で、外部からの助けを何ら必要としない、と保障する立場に立った。
 (科学という「神話」は、マルクス主義者のプロパガンダですさまじい役割をつねに果たしてきた。Althusser は、自分がいかに科学的であるかを、そして他の多数のマルクス主義者も同様であると、と繰り返して宣言する。これは本当の科学者の習癖ではないし、人文学者のそれでもない。)
 いくつかの新語法は別とすれば、Althusser は、理論に対する新しい貢献を何ら行わなかった。
 彼の著作は、たんにイデオロギー的厳格性と教理上の排他性へ立ち戻る試みにすぎなかった。マルクス主義を他の思考方法による汚染から守ることができる、という信念への回帰だ。
 この観点から言えば、古い様式のマルクス主義の偏屈さへの回帰だ。だが同時に、スターリン後の「雪解け」の結果として始まった、全く反対の過程を証言するものでもある。
 第一次大戦前にはちょうど同じように、当時の知的な流行にマルクス主義が「感染」してしまって、ネオ・カント的マルクス主義、アナクロ・マルクス主義、マルクス主義的ダーウィニズム、経験批判的マルクス主義等々、のような現象が生まれた。
 同じように、この20年間のマルクス主義者たちは、絶望的にも長い間の孤立を埋め合わせようとして、既成の、または人気ある哲学に頼った。そして今、ヘーゲル主義を加減したマルクス主義、実存主義、キリスト教、あるいはAlthusser の場合に見られるように、構造主義、がある。
 構造主義が人気のある別の原因は、1950年代遅くの人文科学でそれ自体が感じたことだろうが、離れた学問対象だったことにある。ここではこの点に立ち入ることはしない。
 <一行あけ>
 (0)これまで論述してきた修正主義は、スターリン後にマルクス主義が解体していくいくつかの兆候の一つにすぎない。
 これがもった重要性は、その批判的態度でもって、共産主義諸国でのイデオロギー的忠誠が減退することに、また、公式の共産主義の道徳的貧困さはもとより知的な貧困さをも暴露することに、大きく寄与した、ということにある。
 修正主義は同時に、マルクス主義の伝統にある軽視されてきた側面に注意を惹いた。そして、歴史研究に一定の衝撃を与えた。
 通用力をそれが与えた価値や主張は決して消滅しておらず、共産主義諸国の民主主義的反対派で依然として顕著だ。だが、とくに修正主義の論脈でつねに語られているわけではない。
 言ってみれば、共産主義僭政体制に対する批判は、ますます稀にしか行われず、ますます効果が少なくなっている。その際に用いられる言葉は、「共産主義を悪用から浄化する」、「マルクス主義を改革する」、「根源へと立ち戻る」だ。
 僭政体制と闘うことは、つまるところは、それはマルクスまたはレーニンの思想と反対だと証明することでは必ずしもない(そしてレーニンの場合は、彼との矛盾をすっかり証明するのはとくに困難だ)。
 このような議論は、1950年代の特定の状況のもとでは適切だった。しかし、今ではそう論じる意味が相当になくなった。
 哲学についても同様に、「歴史的法則」または「反射の理論」に対抗しての人間の主体性の擁護は、マルクス主義の権威にもとづく必要はないし、それなくして十分に行うことができる。
 このような意味で、修正主義は、現実的な論争点ではかなりなくなってきた。
 しかし、このことによって、その思想や批判的分析のいくつかがもつ永続的な価値が、何らかの影響を受けるわけでは全くない。//
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 第4節、終わり。つづく第5節の表題は、<マルクス主義と「新左翼」>。