津田左右吉・日本の神道(1948)/同全集第9巻(1964)。
 第1章・神道の語の種々の意義。紹介のつづき。
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  付言すべきなのは、①「近ごろ」になって、「第一の意義での神道に国家的権威の表徴たる意義を付与しようとする主張」が生じたことだ。
 このような主張は「思想」として第三~第五の意義の「神道」に含まれ、由来もあることなので第三~第五と「離して」取り扱う必要はない。しかし、「現実の国家的施設または政策に関連させようとする」点に、「この主張の特異性」があることに注意しなければならない。
 この主張は「国家的権威を神道の基礎の上に置いて」、国家に「宗教的意義を持たせよう」とするものの如くだが、そのためには「神道に国家的意義を与える」ことがまず要求されたのだろう。
 この場合に「神道」という呼称を使うのは、かりに「公式のこと」ではないかも知れないとしても、この語を「第一の意義」として用いることが許容されるならば、「一つの主張」ではある。
 しかし、これは「民族的宗教としての神道に本から具わっていることではない」。
 ②「現実に行われている民族的風習としての神の崇拝」や「神社における神の崇拝」を「神道」と称しつつ、その神道から「宗教的性質を排除し、道徳的政治的意義においての典礼」と見ようとする主張もあるようだ。
 これまた歴史的には「第五の意義での神道」に淵源があるとともに、かりに「現実の風習としての神の崇拝と神社における神の祭祀とに宗教的性質がない」とするものならば、「明白なる現在の事実を無視」するものだ。
 ③なお、「日本の民族精神というような観念を神道の名によって表現しようとする傾向」もあるようだ。これはしかし、「神道という語の濫用とすべき」だろう
  さらに付言する。①「原始神道」という語で「上代の」第一の意義の神道を呼ぶ人がいるようだ。しかし、その語で想定されるはずの「発達した神道」が第三~第五の意義の「神道」を指すのならば、その名称は「その実」に即していない。
 ②本居「宣長などの国学者」が説いた「神の道」が、「復古神道」とも称されているようだ。
 しかし、その「古の状態」が上代の第一の意義の神道を指すとすれば、その名もまた「妥当ではない」。宣長らの説示が「神道」と言い得るのは第五の意義のものであり、「上代の民族的風習としての宗教的信仰とは全く違った」ものだからだ。 
 但し、第一の意義の神道も種々の変化が生じて、後世には第三~第五の意義から影響を受け、後者が前者と「ある関連」をもって説かれている場合もある。
 しかし、「民族的風習としての神道は、とくに民間信仰」は、「表面的」にはともあれ「内面的」・「本質的」には後世でも「なお昔のままに」継承されている点が多いのであって、「学者が説くような神道は、それとは関係がはなはだ少ない」。
 また、「学者」の「考説」は民間信仰をもとに「思想的に深めたり体系づけ理論づけたりするする」のではない。「その仕事は、主として古典、とくに神代の巻などの記載に何らかの解釈を加えること」だが、「その神代巻には、…、宗教的要素が甚だ少なく、その少ないものでも民間信仰がそそのままに現れているのではない」。
 のみならず、「その解釈」は「古典そのものに内在する思想を明らかにする」のではなく「古典の記載とは全く別」の、「それとは関係のない思想をそれに付会する」ことにあり、そこに「シナ思想(またはインド思想)の働く理由がある」。
 従って、第三~第五の意義の神道が「現実の民族的宗教としての神道と深い交渉のないものであることは、当然である」。
 この論考の目的の一半はこれらを明らかにすることで、以上を予め述べておくのは、「神道」にも多義のものことが知られていないために、「原始神道」や「復古神道」という呼称が生じるのだろうからだ。
  「上代の民族的宗教がほとんどそのままに後世まで存続しているのは、珍しい」。
 これには種々の理由があろうが、知性の発達と文化の進展時代となって「学者が種々の神道学説を構成した」のも、各時代の学者が「そうしなければ知性の満足ができなかったから」でもある。最近に「民族的風習としての神道」に「強いて種々の思想を付会し、又はむりに」本来の性質と異なる意義の如く「解釈」して「宣伝」されるのも、理由はこの点にあるだろう。
 「宣伝」にはそれなりの意図があるのだろうが、「民族的宗教としての神道が、そのままの姿においては、現代人の知性の欲求とあまりに隔たっていること」も考慮すべきだろう。
 本稿では「主として」第三~第五の意義の「神道」を扱う。第一の意義のものは、第三~第五の意義のそれが「学者の思惟によって形成せられた何らかの教説であるのとは全く性質が違い」、後者こそが「シナ思想の要素を含む」。
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 つづける。