Johh Gray, Grays's Anatomy: Selected Writings (2015, New Edition)。
 試訳する。46の章に分かれていて、それぞれ独立しているので、順序はとわず、関心をもった部分から始める。一文ごとに改行。一段落ごとに、原書にはない数字番号を付ける。
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 第6部/第37章・神は幸福か?: 宗教に関するコワコフスキ。
 (1)「全てに関する私の正しい見方」という、名の知られた歴史家のE. P. Thompsonが彼に宛てた100頁以上の公開書簡に対する反論文で、コワコフスキ〔Leszek Kolakowski〕は文章をこう結ぶ〔本欄№1540/2017.05.13試訳済みを参照-秋月〕。
 「長年にわたって君に説明してきた、と思う。
 何をって、私が何故、共産主義思想〔communist idea〕を修繕したり、刷新したり、浄化したり、是正したり〔mend, renovate, clean up, correct〕する試みに、いっさい何も期待しなくなったのか、だ。
 〔*この続き・秋月-「哀れむべき、気の毒な思想だ。私は知った、エドワード君よ。/この骸骨は、二度と微笑むことがないだろう。/君に友情を込めて。/レシェク・コワコフスキ」〕。
 1974年に公刊されたコワコフスキの返答は、1960代初めにソヴィエト国境をイランへと横切ろうとして逮捕され、収容所での6年の重労働を宣告されたロシアの労働者の体験についての記録を含んでいる。
 ドイツで出版された回想記でそのロシア人労働者は、逃亡しようとした三人のリトアニア人に対してなされた措置を描写している。〔本欄№1526/2017.05.02参照
 二人はすみやかに逮捕され、何度も脚を射撃され、護衛兵たちによって蹴られ、踏みつけられた。警察の犬によって噛まれて引き裂かれ、銃剣で刺し殺された。
 射撃されて死んだと考えられた三人めの囚人は生き残っていて、小部屋に投げ込まれた。その小部屋で、傷が膿み爛れて、腕が切断された。//
 (2)コワコフスキはこの話-1930代ではなく脱スターリニズム化した1960年代のことだと彼は注記する-を詳述しつつ、無名のロシア人労働者の個人的な説明は、労働者階級の運動に関する著名な年代史歴史学者には何の影響も与えないだろう、と知っていた。
 イギリス左翼にあるカトリック教的偏見の独演のごとく、トムソン〔Thompson〕の書簡は、現実に共産主義のもとで生きた者は希望を失うことはないという自己陶酔を主張する。
 トムソンの時代にあった淀んだ進歩的合意に完全に浸ったままで、彼は、ソヴィエト共産主義体制は素晴らしい実験で、スターリンが妨害した」ということを疑わない。
 彼は、「新しい社会システムを評価する時間としては、50年は短かすぎる」と見る。
 Eric Hobsbawm-20世紀の多くについてグロテスクにも非現実的な見方をもつ、もう一人の高く評価されすぎている歴史家-と同様に、トムソン(1993年逝去)は、レーニンが創立した新しい社会が突然に、それが基礎としたマルクス主義プロジェクトの痕跡を汚染された風景と犯罪化した経済や半分私物化したKGB以外には何ら残さないで、消え失せるに至った、ということの理由を疑問視しなかった。//
 (3)彼の娘のAgnieszka によって注意深く編纂されて提示された、この貴重な(indispensable)コワコフスキの小論集(注1)にある多数の重要な論考の一つ、「全てに関する私の正しい見方〕は、冷戦を主題とする例外的なものだ。
 情況によってやむなく政治的文筆家になったのだけれども、コワコフスキの最も深い関心は、もともとは決して政治的なものではなかった。
 (第二次大戦後に10歳代の青年が加入した)党から除名されたのち、彼は大学の講座職を逐われ、教育と出版を禁止された。彼は1968年にポーランドを離れ、1年後にBerkley に着いた。
 アメリカのリベラルな学術界の単純な精神が考えていたのは、自分たちは人間の顔をもつ社会主義の幻想(fantasy)を共有する者ならば誰にでも神聖な避難場所を提供する、ということだった。
 彼らが遭遇した忠誠と疑念の懐疑的な守り手は、一つの衝撃としてやって来たに違いない。
 しかし、彼の著作のまさに最初から、コワコフスキはなかんづく宗教に関心をもつことが明瞭だった。そして、かりに彼が共産主義の分析に多年を費やしたとすれば-その企図は彼の決定的(definitive)な<マルクス主義の主要潮流>(1978)で完結した-、世俗的な信仰としてのマルクス主義の役割を主としては検証するためだった。
 27の論考のうち三分の一だけが政治思想を扱っており、それらでは、マルクス主義と共産主義は宗教の歴史のうちの一つのエピソードとして理解されている。
 会話をすればコワコフスキは、疲れた微笑みを浮かべて、共産主義的全体主義は戦闘的無神論とは全く関係がない、という考え方に応答するだろう。
 彼はその際に、今日のevangelical〔福音主義〕の非信仰者たちが敬虔に繰り返す、ずっと流行しているよく考えられた(bien-pensant)この見解がなぜにここまで見当違いであるのかを、痛烈なほどに詳細に語り始める。//
 (4)これらの小論考は、ほとんど50年間に及ぶもので、広い諸分野にかかわっている。
 これらは弁神論(theodicy)の必然性と不可能性に関する論文であり、ある小論は神による幸福の思想について調子よく戯れており、別の小論は時間へのルーズさや上流気取り(snobbery)を称賛する。また、とりわけ、ポーランドでは共産主義が瓦解するまで出版されなかった、共産主義イデオロギーに対する初期の攻撃(1956年)や、ナツィ・イデオロギーとホロコーストに関する綿密で感動させうる小論もある。
 思想家(thinker)が繊細で鋭敏であれば、勝ち誇り主義(triumphalism)に屈することはない。この共産主義に対する非妥協的な批判者は、市場という祭壇に跪くのを拒んだ。1997年に、中国の強制収容所でほとんど無償で生産された商品はいかほどに世界市場で打ち負かすことのできないものであるかを記した。
 「こうして、自由市場は、専制体制と隷従を支援する」。
 これらの論考全てを貫いて輝いているのは、コワコフスキがもつ迷妄なき知性の、聡明な力だ。
 ここには、永遠なる事物について書き、同時に時代を支配する幻想をも暴露することのできる、真の知性がもつ、沪過された見識がある。-その種のものとして、おそらくは最後のものだ。//
 (5)彼の著作の全ては何らかのかたちで信仰(faith)に関係しているが、コワコフスキの信念(beliefs)を容易に明らかにすることはできない。
 「祝宴への神からの招待」は、彼の死の7年前に2002年に執筆され、この本で初めて翻訳されて公刊された。この小論は、パスカルとキリスト教ヒューマニスト、「たぶんイエス、たぶんエラスムスの支持者の一人」で、人間の正義の観念を超越する神というパスカルの心像に挑む者、の間の想像上の対論だ。
 コワコフスキの共感は護教派的(apologetic)戦略は「何ものにも至らない」パスカルの側にはない。しかし、人間の言葉で神を把握することができると考えるキリスト教者の側にもない。
 コワコフスキは、問題を残したまま(open)にする。
 彼が追求した矛盾-信仰と理性、科学と神話、現代性と自然的法則の継承の各々の間の-は、彼の著作で解消されなかった。
 しかし、解消し得ないディレンマについて解決を提示することをコワコフスキが拒むのは、弱さでは全くなく、きわめて稀少な性格の知性的統合を示すものだ。//
 (6)Agnieszka Kolakowska はその素晴らしい序言で、「コワコフスキの著作の最も顕著な特質」、彼を最もよく特徴づけるものは、真実と確実性に対する彼の態度だ、と述べている。
 これは、明敏な観察だ。
 人間の知識の限界に関するコワコフスキの見方は、Mill やPopper のようなリベラルたちが促進した見地とは大きく異なっていた。
 最も高潔な人間による探求は真実の追究だと見つつ、彼は、あらゆる種類の確信(certitude)を軽蔑した。-それはしかし、人間の誤謬性を認識することで徐々に真実に到達することができると考えたからではなかった。
 究極的な問題に関しては、真実を見出すのは困難であるばかりか、真実は本質的に不可思議(mysterious)なものなのだ。
 すなわち、「いかなる重要なものも、深く隠れているために我々が何も見出すことができないところにあるものを救い出すことはできない。全く、何もないところにあるものを」。
 こうした重要な事物のいずれかがコワコフスキに明らかになったのかどうかを、我々は知ることができない。しかし、1980年代および1990年代に〔Oxford大学の〕オール・ソウルズ(All Souls)で彼と語り合って、私の持った印象は、いかに躊躇したり臆病であったりしても、信仰者(believer〕のそれではなかった。
 そうではなく、信じようと切に欲してはいるが、そうすることができないと知っている人物だという印象だった。
 コワコフスキは書いた。-「おそらくは全ての偉大な哲学者の思考のどこかに、綻び(rent)がある。痛ましくて修復できない、織物の中の隠された裂け目がある」。
 彼はこれをパスカルに関するコメントとして述べたのだったが、コワコフスキ自身についても当てはまる、という感情を抑えるのは困難だ。//
 2014年
 (注1) Leszek Kolakowski, Is Good Happy ?, Selected Essays (2012, London). 
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 この章は終わり。ついで、別の章を扱う。