アントニオ・R・ダマシオ/田中三彦訳・デカルトの誤り-情動・理性・人間の脳(ちくま学芸文庫、新訳2010・原版2000/原新版2005・原著1994)。
 =Antonio R. Damasio, Descartes' Error: Emotion, Reason and the Human Brain.
 抜粋・一部引用等。引用は原則として邦訳書による。p.153-p.167。
 第二部/第5章・説明を組み立てる〔Assembling an Explanation〕③。
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 第6節・有機体と環境の相互作用-外なる世界を取り込む。
 有機体と環境は強く相互作用する(有機体の中の身体と脳も)。有機体・環境間をとりなすのは前者の「運動と感覚」装置だ。
 環境は有機体に影響を与える。①目→視覚、耳→聴覚、皮膚→体性感覚、味蕾→味覚、鼻粘膜→嗅覚。前者は後者の「初期感覚皮質」に「信号」を送る。②各「初期感覚領域」は相互に「さかんに信号を行き交」わせる。
 有機体は環境に働きかける。「全身体、四肢、発声器官」によって。これらは「皮質下運動核」が助け、かつ「M1,M2, M3皮質」が制御する。
 「純身体」や感覚器官からの信号を受ける「インプット」部位は互いに分離して通信しない。「運動信号や化学信号」を発生させる「アウトプット」部位は、「脳幹、視床下部の神経核と運動皮質」だ。
 「インプット」・「アウトプット」各部位間の「脳構造」は多数で、各構造間の「連結パターンの複雑さはとてつもない」。「中間」構造の活動が「頭の中に刻々とイメージを構築し、ひそかにそれを操作している」。そのイメージを基礎にして、「初期感覚皮質」に入った信号を「解釈」し、系統化・分類し、そして我々は「推論や意思決定の戦略」を獲得する。
 脳内の主要「感覚インプット」部位5つと主要「アウトプット」部位3つの間には、「連合皮質、大脳基底核、視床、辺縁皮質と辺縁核、脳幹、小脳」がある。これらシステムの大集合体は、①身体や外界、②これらと相互作用する脳自体、に関する「生得的」および「後天的」知識を保持し、この「知識」は、「運動」と「心的」各アウトプットの展開・操作に使用される。「生体調節、以前の状態の記憶、将来の行動の計画は、初期感覚皮質と運動皮質での協力的な活動の産物」だけではなく、「中間的ないくつもの部位の協力的活動の産物」だ。
 第7節・部分化された活動から生まれる統合された心。
 心の中の感覚-景色・音・味・匂い・肌触り・形-は「全てたった一つの脳構造の中で『起きる』」というのは、「誤った直観」だ。「一個の統合的な脳部位」はない。この主張の中心は、「全ての感覚様相からの表象を同時に処理するような領域は、人間の脳にはない」ということ。個々に構築されるイメージの「全てが正確に投射される単一の流域」はない。
 確かに「初期感覚領域」からの多様な信号を「収束」させる領域はあるが、そこでの統合は「心の基盤」を形成しない。我々の「心の強い統合感はいくつかの大規模なシステムの調和のとれた活動」から、つまり分離した多数の「脳領域での神経活動のタイミングを同期させること」で発生している。この「タイミング」とは「おおよそ同じ時間枠」の事象であっても「全てが一つの場所で起きているかのような印象」を与えるものだ。
 タイミング・メカニズムの不調は、「頭部損傷による錯乱状態」や「統合失調症」で起きているのかもしれない。「時間結合には、強力で効果的な注意とワークングメモリのメカニズム」が必要。各感覚システムには「それ専用」の注意とワークングメモリが生まれるが、全体のそれらには「前頭葉皮質といくつかの辺縁系構造(前帯状皮質)」が重要だと示唆されている。
 第8節・現在のイメージ、過去のイメージ、将来のイメージ。
 「推論と意思決定」に必要な「事実に関する知識」は、「イメージ」として生じる。
 風景を視る、音楽を聴く、読書等によって<知覚的イメージ>が生じる。それらの行動をやめて「思い出す」、「思考する」等によって<想起されたイメージ>が生じる。
 <想起されたイメージ>の中の今後の予定の記述のごとき「ある特別の過去のイメージ」は「まだ起きていない」かつ「将来も起きないかもしれない」イメージだが、「すでに起きた」ことのイメージと「本質的」違いはない。「過去にあったことの記憶ではなく、あり得る将来の記憶を構成」している。
 <知覚的イメージ>の他に「本物の過去から想起されるイメージ」、「将来の計画から想起されるイメージ」、これらは全て「あなた」という「有機体の脳の構築物」だ。「あなたの自己にとって現実」であり、他人もまた「類似のイメージ」を形成する。こうした「イメージにもとづく世界の概念」を他人と、ときには「ある種の動物」とも「共有」する。「環境の本質的様相」に関する多様な人間の「構築物」に「驚くべき整合性」がある。人間という「有機体」が違ってデザインされていれば、作り上げる「構築物」も違っていた。
 「知覚、記憶、推論の複雑な神経的機構」が「構築物」を作り出す。それはときには<知覚イメージ>のように、「脳の外の世界」=「身体内部や周辺の世界」から「過去の記憶のわずかな助け」で生じる。あるいは「脳の内部」での「思考のプロセス」で誘導されてくる。
 こうしたイメージ形成に最も密接に関係する「神経活動」は「他の部位」ではなく「初期感覚皮質」で起き、そこでの活動は「数多くの大脳皮質部位と大脳基底核や脳幹などにある数多くの皮質下核で、いわば裏方的に作用している複雑なプロセスの産物」だ。
 「要するに、イメージはそのような神経的表象を、それも唯一、地形図的に構成され、なおかつ初期感覚皮質に生じる神経的表象を、直接の基盤としている」。但し、①「脳の外部」の感覚レセプター(例、網膜)、②「脳の内部」=皮質部位と皮質下核が含む「傾性的表象(傾性)」による「制御」下、のいずれかによる。
 <知覚イメージ>の形成について注記しよう。①関係身体部位(例、目の網膜・肘関節部の神経終端)の信号を(→軸索→電気化学的シナプスで)「ニューロン」が運ぶ。②脳内の「初期感覚皮質」に入る(例、後頭葉の「初期視覚皮質」・頭頂葉と島領域の「初期体性感覚皮質」へ)。これは「一つの中枢」ではなく、「領野の<集合体>」だ。それぞれに複雑だが、それらの「相互連結の網の目」はいっそう複雑だ。
 特定「感覚」様相への「初期感覚皮質」の全てまたは大半が破壊されると、その様相に関する「イメージ形成能力」を失う。「初期視覚皮質」を失えば「ほとんど物を見ることができない」。「初期視覚皮質」のサブシステムの損傷により「色覚」を失い得る。
 「イメージ」形成に「初期皮質」とそれによる「地形図的に構成される表象」が必要だが十分でなく、「我々自身の」イメージとしての意識、<主観性>のためには、他の条件充足が必要だ。ここで少し述べれば、「自己は、脳が形成するイメージを認識したり、それに関して考えたりする脳内の小さな人間、…あのホムンクルスなどではな」く、「果断なく再創造される神経生物学的状態」だ。
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 第9節以降へ。