スティーヴン・ピンカー/椋田直子訳・心の仕組み-上(ちくま学芸文庫、2013)。
 =Steven Pinker, How the Mind Works(1997, 2009).
 
1997年に初版刊行、2003年に邦訳書=椋田直子訳、NHKブックス。2009年に新版刊行、2013年に上掲の邦訳書刊行。
 適宜、邦訳書から引用的に抜粋する。秋月の関心や理解にもっぱらもとづくので、適切であるとは限らない。
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 「2009年版への序」。邦訳書、p.14-p.26。
 ・フィリップ・リーフは「私は何者か?」に、古代ギリシア「政治的人間」、キリスト教中世「宗教的人間」、啓蒙時代「経済的人間」に続く、20世紀「心理的人間」だと答えた。「心の仕組みと自然界における起源、および文化・文明の具体的ありようとの相互作用」という視点から自らを理解する傾向が強まっているとの見方には「先見の明」があった。
 ・「政治的イデオロギー、宗教的感情、経済的行動」は全て「人間の本質」の表現として「心理学的研究」の対象になっており、「倫理、美意識、推論、言語、社会関係、等々」の領域へも微細な研究が及んでいる。
 ・本書の「総合理論」によれば、「心は神経的情報処理の複雑な系」で、この系を通じて「物理的・社会的モデル」を構築し、最終的には「前近代的環境での生存と複製につながる多様な目的」を達成する。
 ・この理論の契機は、①「心的表象と心的プロセスに関する認知科学の洞察」、②「社会的生命体相互の遺伝子的理解の対立と合流に関する進化生物学の洞察」だ。ここを土台に、「これら領域、遺伝学、神経科学、社会心理学、個性心理学の理論とデータ」を紡ぎ合わせて「人間心理の一貫した記述」を試みた。
 ・この「包括的な総合理論」に対する「アカデミックレフト」からの攻撃には驚かなかったが、「宗教的、文化的右派」からの批判には、無視されると思っていたので、驚いた。①「心は脳の産物」、②「脳は進化の産物」という現在の「心理学者や神経科学者」には当然の前提が、「彼らにとって急進的かつ衝撃的だった」。
 ・本書は「認知科学理論と進化心理学の双方」を等分に基礎にする。前者の中核の「心の演算理論」は人間の脳は「デジタルコンピュータと同じ仕組み」だと誤解されたが、「情報を処理して目的達成をめざす」共通性がある、というだけだ。後者の「自己複製子」を中心とする理論は人間は「自らの遺伝子を伝搬しようとする主張」だと誤解されたが、「過去の進化の時代に我々の祖先の遺伝子伝搬に対応していた状況・環境に、自らも到達しようとする」と主張しているだけだ。
 ・上の後者・進化心理学への反論は激しい。だが、この分野の「基本概念」は、「宗教、政治、家族、性、感情、道徳、経済、美学」の心理学的分析に不可欠で、一般紙でも学術論文でも、「進化」の問題に触れざるを得ない。その理由は、進化心理学による①「近代的科学研究手法」の導入、②「how(どのようにして)」ではなく「why(なぜ)」への解答提示だ。
 ・「意識」について生じさせた「誤解」の一因は、チャーマーズ〔David John Chalmers〕のいう全く別の問題、hard - とeasy problem の二つ、私のいう「直覚」と「アクセス」をきちんと区別していないことだ。「ハード」を解明したとする研究は例外なく「イージー」についてだった。また、多くの読者は「直覚」の「謎」の教訓に気づいていない。「謎」の感覚自体が「心理学的現象」だ。
 「心は複雑な現象を、より単純な要素間の規則に則った相互作用を通じて把握するがゆえに、直覚をはじめとする哲学積年の謎のように全体論の匂いのする問題に直面すると、挫折する」。「謎」の存在は、これを示唆する。
 ・本書の出版以降に「認知科学、生物学、社会科学の分野」で多様なことが発生し、「新たな発見のなかった分野はない」。
 ・「認知科学」で最も進歩したのは手法で、「fMRI(機能的MRI)やMEG(脳磁図)」を用いる神経画像研究だ。「遺伝学と進化生物学」でも、「ヒトゲノム計画」第一段階が2001年に終わり、成果の一つに「ある特定遺伝子上にダーウィン流自然淘汰(自然選択)の統計的指紋を探す」技術がある。
 ヒトゲノムの大部分は「淘汰(選択)」による形成のようで、「発語・言語障害」関連遺伝子のような「心的機能」に影響を与えるものを含む。とすると、本書の核-「心は自然淘汰された複数の演算器官からなる系-も実験的検証が可能かもしれない。
 ・「心の系が大脳皮質のうちの明確に線引きされた特定部位を占める」とか、「心の系は単一遺伝子によって設置される」とか、全く考えていない。しかし、こう予言できる。-「心への影響につき他と異なるプロフィールをもつ遺伝子」=「賢さ」・「感情や認知プロセス」に「他より強く影響する遺伝子」が数多く発見される。
 ・本書の「信条」=「ヒトの心は農耕が発明される一万年ほど前の狩猟採集生活にのみ生物学的意味で適応した」との「前提」を修正させる展開が進行中だ。「ヒトゲノムに対する淘汰の影響」に関する最新研究によると、ヒト遺伝子は「過去数千年間に強烈な淘汰を経た」らしく、これが「心に影響する遺伝子」を巻き込んでいるとすると、「心は近年と古代の双方の環境に適応していた」ことになる。「はるか昔の狩猟採集生活」と「もっと近年の環境」の双方に「生物学的適応をした痕跡」があるかもしれない。
 ・頻繁に登場するわけではない「ヒトの心」の研究書の中にも、今では参照したい発想を示すものがある。例えば、J・ミラー〔Geoffrey F. Miller, 1965-〕らの研究グループによると、「 認知・感情・パーソナリティに見られる個人差」は、二つの異なる「進化プロセス」から生じた可能性がある。①「知性と重度の心的障害」-「突然変異と淘汰のバランス」、②「後天的資質」(personality)と「先天的資質」(character)の差異-「頻度依存の淘汰」。他にも、「進化発生生物学、Epigenetics、神経可塑性」等々の新展開に触れてみたいものだ。
 ・本書執筆中に「心の仕組みだと!?、おまえは何様のつもりだ」と何度も呟いたが、読者からの特定種類の反応は「深い満足感」を与えてくれた。「この本のせいで世界を見る目が全く新しくなった」という人が多かった。「ドグマやいわゆる常識を頭から信じなくなった」との意見も多かった。「理念の世界への覗き窓」を提供し、「心の仕組み」について深く考える契機となれば嬉しい。-2009年1月。
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