№2108/2019/12/24 で、本筋にはなくても差し支えない文だったが、「大和神社」にこう触れた。
 日本書記の崇神天皇の項には「倭大国魂神」という神の名も出て来る。「現在にも奈良盆地内ある大和神社(やまと-)は、北にある石上神宮や南にある大神神社ほどには全国的には知られていないが、この『倭大国魂神』を祀っている、とされている」。
 7-8世紀編纂の書の記載とはいえ日本書記の崇神天皇時代に遡るというのだから、大和神社の「歴史」・由緒は古い。
 大和神社の名は「おおやまと・じんじゃ」が正しいので、さっそくに改める。
 この神社で入手できる<由緒略史>には、日本書記の記載と同じまたはほとんど同じことも書かれている。
 三祭神の「中央」に座すのは、「日本大国魂大神」。最初は天照大御神とともに宮中で「同殿共床」で祀られていたが、崇神天皇が「神威」を怖れてこの地に「遷御」させた、その土地にある。この主祭神は「大地主大神」ともいう。
 東京・府中市に(武蔵)大國魂神社がある(拝殿・北向き)。主祭神は同じで、この大和神社の方がおそらく(由来は)古い(拝殿・東向き)。天照大神-大国主命、伊勢-出雲、卑弥呼-男弟、といったことも連想するが、触れない。
  先に戦艦大和の模型を中心に置く小建物があるとだけ記したが、大和神社の<由緒略史>によると、「末社」の一つに「祖霊社」があり、戦艦大和「戦没英霊」2736柱を祀り、1972年9月以降は戦闘巡洋艦矢矧外〔やはぎ〕駆逐艦8隻の戦没将士英霊も合祀して、計3721柱を祀っている。
 戦没者は、全国に(専用朱印帳の記載のみで)53ある護国神社や靖国神社だけに「英霊」として祀られているわけではない。供養塔・紀年碑に当たるようなものが仏教寺院の中に建てられていることがあるし、当該地域出身の兵士たちの墓地が、寺院境内に区画されて存在していることもある。墓なのか供養塔なのか、3基だけの、第二次大戦出征者・戦死者用の仏塔がある小さな寺院を見たこともある。
 上記の大和神社境内には、近傍地区出身者の多数の戦没者氏名を裏面に刻んだ、大きな石碑がある。
 早々に日本会議を連想するのも楽しくはないが、同団体は戦没者慰霊も重要な運動対象にしているはずだ。
 靖国神社公式参拝を、とかを唱える前に、戦没者を祭神として祀ったり、供養している全国の神社・寺院に関する情報を全て把握しているのだろうか。
 <いわゆる保守>=「右翼」系三雑誌、つまり月刊正論(産経)、月刊WiLL(ワック)、月刊Hanada(飛鳥新社)には靖国神社は出てくるが、「護国神社」に関する情報を(少なくともしばしば読んでいた頃は)見出すことはできなかった。ましてや、その他の、戦没者の墓地や慰霊施設(その他の神社や寺院)に関する情報はおそらく全く掲載されていない。
 いつかも書いたが、沖縄・摩文仁の戦没者祈念碑のすぐ近くに、多少は宗教(=仏教)的な要素も入っているかと感じたが、沖縄戦での戦没者の出身県ごとのかなり立派な慰霊施設についても、当地を訪れるまでは知らなかった。
 「英霊」=戦死者を、現在での<政治>運動のために利用してはいけない。
 「慰霊」、「霊魂」の(とくに生者にとっての)意味には、立ち入らない。
  北の石上神宮、南の大神神社(おおみわ-)と比べると、大和神社への参拝者・訪問者は少ないだろう。
 ひっそりとしていて、そのぶん古さも十分に感じさせて、なかなか魅力的な神社だ。
 観光寺院・神社化している京都・奈良のいくつかの神社仏閣よりは、はるかに、何度も訪れてみたい気分になる。最寄りのバス停・鉄道駅からの田園・住宅地も、上の二神社と同等にあるいはそれ以上に、<大和(やまと)>的だ。