櫻井よしこは光格天皇を「皇室の権威を蘇らせ、高めた」として、高く評価する。
 問題は、そのことが「神道」の権威をいかほどに高めたのか、だろう。
 櫻井は「日本の宗教」=「神道」で、かつ「天皇家の宗教」=「神道」と単純かつ幼稚に考えているので、「皇室の権威」が高まることは「神道」の力が大きくなることと全く同義で、そのゆえにこそ、光格天皇を高く評価しているのかもしれない。
 しかし、江戸時代はまだ<神仏習合>の時代で、儒教ないし儒学・朱子学の影響も大きくなっていた。
 櫻井よしこのように「幸福に」は叙述できないことは、光格天皇と京都市に現在もある廬山寺という仏教寺院との関係について、すでに述べた。
 光格天皇と廬山寺の関係については、まだ重要なことが残っている。
 光格天皇の近親者たちのの墓陵が、廬山寺の境内にある。正確にいえば、同寺経営・管理とみられる一般の墓地の区画と同寺の建物部分の間の、宮内庁管理地の区画内にある。入口辺りにある宮内庁設置の掲示施設によると、以下の皇族等の「墓」がある。2名は、あと回しにする。
 ①東山天皇後宮新崇賢門院藤原実子、②同皇子直仁親王、③同皇子直仁親王妃脩子、④同曽孫美仁親王、⑤同曽孫美仁親王妃因子、⑥同玄孫孝仁親王、⑦同玄孫孝仁親王妃吉子、⑧同五世皇孫致宮、⑨同五世皇孫愛仁親王。
 ⑩光格天皇皇子俊宮、⑪同皇子埼宮、⑫同皇女多址宮、⑬同皇女治宮。
 ⑭仁孝天皇皇子胤宮。
 上の東山天皇(113代)は、光格天皇(119代)の曾祖父、仁孝天皇(120代)は光格天皇の子。また、東山天皇皇子直仁親王とは東山天皇から分岐した閑院宮家の第一代(光格は第三代で東山天皇の三世の孫=曽孫)。
 東山天皇自身の陵墓は京都・泉涌寺直近の「月輪陵」内に、光格天皇と仁孝天皇(=孝明天皇の父)の陵墓はやはり泉涌寺直近の「後月輪陵」内にある。
 また、東山天皇皇后幸子女王、光格天皇皇后欣子内親王、仁孝天皇女御贈皇后繁子、仁孝天皇女御尊称皇太后禮子、の4名についても「月輪陵」・「後月輪陵」にある。各天皇の皇后またはそれに準じた女性たちだ。
したがって、<廬山寺陵>には、光格天皇に血縁が近い者で天皇または皇后ではかった人たちの多数の「墓」があることになるだろう。
 しかし、あと2名が残っている。掲示によれば、冒頭に記載されている2名だ。陵名自体が<慶光天皇廬山寺陵>と称される。
 ①慶光天皇、②慶光天皇妃成子内親王。
 この「慶光天皇」は、江戸時代には、その名前自体が存在しなかった。
 該当する人物は存在していて、1870年(明治3年)にこのように追号され、名前だけは「天皇」ということになった。しかし、天智の子の弘文天皇=大友皇子のように、「皇統譜」に正規に天皇として記載・登録されたわけではない(他にも追号または諡号が明治期に決まった過去の歴代天皇がある-別に書く)。
 「慶光天皇」とは、光格天皇の実父、閑院宮典仁のことだ。上に出てきた東山天皇の孫、直仁親王の子で、閑院宮二代目にあたる。
 この人が明治維新後に「慶光天皇」と呼ばれ、その陵墓が廬山寺にある。
 そして、その墓陵の様式は仏教式だ。現在は厳密には廬山寺ではなく宮内庁の管理地だろうが、かつて廬山寺が<菩提寺>として管理し、法要等をしていたことは、先に書いた位置関係からしても明確だと思われる。
 そして、やはり「九重仏塔」と称してよいと考えられるものが墓碑にある。しかし、興味深いのは、どうも泉涌寺直近の(孝明天皇陵の丘の麓にある)「月輪陵」・「後月輪陵」の写真にある「九重仏塔」・「九重石塔」は各墓碑そのものの脇に立てられているように見える、少なくとも四方形の九重石塔もあるのに対して、「廬山寺陵」のそれらは、四方形の石積みの塔はなく、各墓碑のまさに上が「九重石塔」になっている、ということだ。石塔と一体となってその下部に中心的な墓碑部分がある。
 以下の写真のとおり。ともかくも、仏教様式ではあるとは見られる。
 では、なぜ代数もない「慶光天皇」=閑院宮典仁は「天皇」と(明治になってから)称されたのか。「天皇」称号にかかわる他の点も含めて、次回とする。代数表記は明治以降の皇統譜、宮内庁HPにしたがったもの。
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 この項の前回に光格天皇について「火葬」としたのは陵墓の孝明天皇陵と比べての小ささからする勝手な推測で、実際には「土葬」だった。改める。
 「月輪陵」に陵墓のある天皇のうち、後陽成天皇(107代、1617年没)までは「火葬」、後光明天皇(110代、1654年没)以降は「土葬」に変わった、とされる。なお、死亡年の順序と即位の代数の順序は一致しない。後水尾天皇(108代)は1680年没、明正天皇(109代・女性)は、1696年没。
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 下の二つは廬山寺陵の二つの陵墓。前者が中央奥にある。
 その下の二つは、廬山寺陵の宮内庁掲示板と、廬山寺のすぐ北にある寺院・清浄華院で見かけた円形の石による<九重石塔>(これは墓碑の上にあるのではなく、少なくとも今は独立の石塔だ)。いずれも、2019年。

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