平川祐弘「天皇の『祈り』とは何か」新潮45・2017年8月号。 
 副題に「御厨座長代理の悪意ある記事に応える」とある。
 もっとも、編集者の意図は、いわゆる天皇退位特例法が成立したのちに、退位反対・摂政設置を主張していた一人だった平川祐弘の同法成立後の感想・意見を求めるものだったように思われる。その機会に、平川は主として、その方向で議論した有識者会議「御厨座長代理」に物申したかったのだろう。なお、周知のとおり、この約1年後に、新潮45(新潮社)は廃刊となった。
 渡部昇一・櫻井よしこらとともに平川祐弘は譲位反対・摂政設置を現憲法や現皇室典範の諸条項をまるで読むこともしないで主張していたので、この欄で併せて「アホの四人組」と敢えて称したことがあった。憲法を少しは知ってはいたが<いわゆる国事行為委任法>で解決できるとか論じていた八木秀次を含めていた。のちに、加地伸行も含めて「アホ」は5人だと書きもした。
 勇気が必要だった「アホ」呼称だったのだが、2017年になっても、平川祐弘は変わらなかったようだ。以下、その旨を指摘する。
 決定的な「アホ」らしさは別に(②で)記述することにする。
 平川は上の記事でまずこんなことを書いている。上掲誌p.46-p.47。
 ・「連綿として続く天皇家は、卑近な国政の外にあって、…『天壌無窮』に続くことによって、その万世一系という命の永続の象徴性によって、日本人の永生を願う心のひそかな依りどころとなっている」。
 ・「天皇は敗戦後の憲法では国民統合の象徴だが、歴史に形づくられた伝統では民族の永続の象徴である。
 …永生を願う気持はおのずと宗教的な性格を帯びる。」
 ・「日本では古代から天皇家はまつりごとを司どってきた」。これは「政治」であるとともに「祀事と書くと祭祀、すなわち民族宗教の儀礼となる」。
 「天皇家にはご先祖様以来の伝統をきちんと守って、まず神道の大祭司としてのおつとめを全うしていただきたい。
 その方が卑近な皇室外交などの政治的なお勤めよりもはるかに大切なのではあるまいか。」
 ここで区切る。<いわゆる保守派>かつ<日本会議派>諸氏の見解・主張なので、とくに大きく驚くには当たらないだろう。
 そして、櫻井よしこらとともに、現1947年憲法(日本国憲法)上の「政教分離」=「政祭分離」の原則にまるで無頓着であることも明らかだ。この思考方法は当然のこととして、<戦後憲法の定めよりも歴史的伝統が優先する>を前提としているのだろう。
 「政教分離」原則に何一つ言及することができないのもすでに「あほ」なのだが、これは等閑視する。また、「古代」以来の天皇家と宗教との関係に関する平川の無知らしきことにもここでは言及しない(先日に書き忘れたが、仏教寺院・東大寺と大仏(毘盧遮那仏)の建立も、聖武天皇らによる。奈良「仏教」と天皇・皇室の関係の深さは常識だろう)。
 いわゆる特例法に至るまでの議論では平川祐弘も明記していなかったと記憶することを、ここでは明確に述べているのが、やや驚き、やや気を惹く。
 すなわち、天皇は日本の「民族宗教」である「神道の大祭司としてのおつとめ」をその他の「卑近な」仕事よりも優先してもらいたい、という明瞭な主張だ。
 ここに明らかに、上にすでに述べた現憲法の条項に関する「無知」がある。国事行為・「公的(象徴としての)行為」・「私的」行為の三分など、また国費・宮廷費・内廷費の三区分など、この人にとってはどうでもよいのだ。
 憲法・現皇室典範も皇室経済法も、ほとんど何も知らなくて、政府の諮問会議に出席・発言した、というのだから「どうかしている」。
 こう書けば、平川祐弘はこう反論?するのかもしれない。p.48 にこうある。
 ・「長い目で見ない人は経済学部出だけではなく、法学士に多い。
 視野が六法全書に限定されがちだからである。」
 思わず苦笑する、「経済学部出」や「法学士」に対する偏見だ。
 「法学士」という古くさい?呼び方は別としても、「視野が六法全書に限定されがち」だとするのは、友人・知人に立派で良識のある「法学士」さまが存在しないためかもしれない。
 「六法」とは6つの法律だけを意味しない(法律ではない憲法もふつうは含めていう)。また、容易に購入できる市販の「六法全書」には「皇室用財産」に論及する国有財産法や皇室経済法も掲載されているだろう。また、むろん法学部卒業生によって理解の程度は異なるだろうが、「法」には、平川祐弘がおよそ知らないような「法哲学」・「法思想」あるいは「法の歴史」が反映されている。戦後日本の法制とこれらとの関係にここでは立ち入らないけれども。
 また、平川祐弘が知らないような「卑近な」現実生活上の諸問題の指針や解決基準となるためにも、「法律」あるいは「法政策」は必要なのだ。むろん、現在・現行の法制・法政策が素晴らしいとは、ひとことも言わないけれども。
 平川が人間として、日本人として生活しているからには、諸税法は当然のこととして、水道法・下水道法・電気事業法・道路法・道路運送法・建築基準法・河川法・都市計画法等々、そして地方自治法や学校教育法等々と平川自身も関係しており、相当の程度に「恩恵」もまた受けているはずなのだ。
 イタリア語を読み、源氏物語を囓ったことのある「知識人さま」には分からない世界がある。
 さて、上掲誌で平川は、渡部昇一の見解・主張に同感するとして渡部昇一を「称え」たのち、こう書く。p.49。
 ・「これからはご在位のまま、まず祭事のおつとめをお果たしください、というのが私どもの意見である」。
 正確には「意見だった」と記すべきだろう。
 そして、上の記事で特徴的なのは、「御厨座長代理」やマスコミ(とくに毎日新聞)に対する鬱憤めいた批判・非難を長々と書き記しながら、自分や渡部昇一らの上の主張がなぜ諮問会議(検討会)や国会、国民世論の多数派を形成することができなかったのか、という問題について、反省も洞察も全く見られないことだ。
 ここで取り上げているのは1917年夏の文章だが、平川はおそらく、現在でもこれを「理解」することができていないのだろう。
 日本の歴史について、「祈り」-宗教-「神道」-天皇、という<あほ>としか表現できない、単純で幼稚な理解しかもっていないからだ、と思われる。
 もっとも、いちおうつぎのようには書いている。p.52。とくに最後の一文。
 「噂される上皇職の人数からだけでも天皇の権威がいまや二分されようとしている。
 やはり穏当なのは京都にお住まいになって…ゆったりと晩年をお過ごしになる事ではないのか。
 国民多数が退位に賛成したのは、天皇様ご苦労様でしたという気持ちからだった。」
 最後の一文はともあれ、八木秀次らが懸念していた?上皇と天皇の「権威の分裂」は、現実には生じなかっただろう。平川が上に書く「天皇の権威」の分裂は、すでにかつて記したように、「天皇」とは別に「摂政」が設置されても、もともと「天皇」と「摂政」の間に生じる可能性があったものだ。
 「座長代理」・一部マスコミ批判・非難には立ち入らない。
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 さて、平川祐弘が本当に「アホ」であるらしいことは、上の雑誌論考の冒頭の第一文によって、すでに明らかだ。
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 ②につづく。