L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.392-p.395。合冊版、p.1100-p.1103. 第8節・結語、へも進む。
 ごく一部の下線は、試訳者による。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第7節・批判理論(つづき)-ユルゲン・ハーバマス(Jürgen Habermas)②。
 (8)<知識と利益>でのマルクス批判は、おそらくはさらに進んでいる。
 ハーバマスは、マルクスは人間の自己創造を最終的には生産労働に還元し、そうすることで彼自身の批判活動を理解しなかった、とする。
 考察(reflection)それ自体が、彼の理論では自然科学が関係するのと同じ意味での科学的作業の一要素であるように思える。言ってみれば、物質的生産の様式をモデルにしているのだ。
 かくして、実践としての、自己省察にもとづく主体的活動としての批判は、マルクスの著作では社会的活動の分離した形態を十分にはとらなかつた。
 ハーバマスは、同じ書物で、科学主義、Mach、PeirceおよびDilthey を批判し、自然科学または歴史科学の方法論的自己知識の形態も、それらの認識上の立場やそれらの背後にある利益に関する理解を反映している、と論じる。
 しかしながら、彼は、その見解では理性の活動と利益や解放が合致する観点を獲得させる、そのような「解放」への潜在的能力を精神分析はもつことを指摘する。かりにそうでなくとも、認識上の利益と実践上の利益が同一になるようにさせる。
 マルクスの図式は、そのような統合の基礎を提供することができない。マルクスはヒトの種の独特の特徴を(純粋に順応的なそれとは区別される)道具的行動をする能力に還元したのだから。そのことは彼が、イデオロギーと歪んだ意思交流という趣旨での権威の間の関係を解釈することができないことを意味した。そうできないで、人間の労働や自然との闘いに由来する関係へとそれを還元したのだ。
 (ハーバマスの考えはこの点で全く明確なのではなく、精神分析では聴診も治療法だと明らかに思っていた。-患者が自分の状況を理解することは同時に、治療になる。)
 しかしながら、理解する行為が治療全体を指すのだとすると、これは正しくない。
 フロイトによれば、治療過程の本質は移転(transference)にあり、これは実存的行為であって、知的な行為ではないのだから。
 マルクスの理論では、合致は生じない。すなわち、理性の利益と解放が結びついて単一の実践知の能力となることはない。
 かりにこれがハーバマスの論拠だとすれば、彼のマルクス解釈は、(私は適切だと考えている)ルカチの判断、すなわちマルクス主義の最重要の特質は世界を理解する行為とそれを変革する行為はプロレタリアートの特権的状況において一体化を達成するという教理にあるという判断とは、一致していない。//
 (9)ハーバマスは、その鍵となる「解放」(emancipation)という概念を明瞭には定義していない。
 明確なのは、ドイツ観念論の全伝統の精神からして、実践的理性と理論的理性、認識と意思、世界に関する知識と世界を変革する運動、これらの全てが一つ(identical)になる焦点を、彼は探求している、ということだ。
 しかし、そのような点を彼が実際に見出したとは、あるいは、そこに到達する方途を我々に示しているとは、思えない。
 認識論上の評価の規準は、技術的進歩の過程と意思交流の形態とがともに自立した変数として現れる、そのような人間の歴史の一要素でなければならない、と彼が言うのは正しい。
 我々が認識上何が有効であるかを決定する規則のいずれも、(フッサールの意味で)先験的に(transcendentally)基礎づけられてはいない。
 また、知識の有効性に関する実証主義的規準は、人間の技術的能力に関係する評価を基礎にしている。
 しかし、こうしたことから、知識と意思の区別が排除されたと認めることのできる、そのような優位点(vantage-point)がある、またはあり得る、ということが導き出されはしない。
 ある場合には、諸個人や社会による自己理解の行為はそれ自体は、この語が何を意味していようと「解放」へと導く実践的な行動の一部だ、ということが言えるかもしれない。
 しかし、疑問はつねに残ったままだろう。すなわち、どのような規準によれば、その自己理解の正確さを判断することができるのか? また、どのような原理にもとづいて、別のそれではなくてある特定の情況では「解放」が存在する、と決定するのか?
 この第二点について、世界に関して我々がもつ知識を超える決定を下すのを、我々は避けることができない。
 善と悪を区別する、そしてそれと同じ行為で真か偽かを決定する、そのような高次の霊的な何らかの能力を我々がもつようになると信じるとすれば、我々は、いかなる統合にも影響を与えないで、恣意的に設定された善の規準でもって真の規準を単直に置き代えている。換言すれば、我々は、個人的または集団的な実用主義(pragmatism)へと回帰している。
 分析的理性と実践的理性の間を統合するものという意味での「解放」は、上に述べたように、宗教的な解明(illumination)の場合にのみ可能だ。その場合にじつに、知識と「関与」する実存的行為が一つのものになる。
 しかし、理性の活動をそのような行為で基礎づけることができると想定することほど、文明にとって危険なものはない。
 分析的理性、あるいは科学が機能するための諸規準の全体、はそれ自体の根拠を提示することができない、というのは実際に本当のことだ。
 諸規準は、道具として有効であるがゆえに受容されている。そして、合理性についてかりに何らかの先験的規範があるとしても、それは我々にはまだ知られていない。
 科学は、そのような規範の存在とは無関係に機能することができる。科学は、科学的哲学と混同されてはならないらだ。
 善や悪および普遍的なものの意味に関する決定は、いかなる科学的な基礎ももち得ない。
 我々はそのような決定をするのを余儀なくされるが、その諸決定を知的に理解する行為に変えることはできない。
 生活上のこれら二側面を統合する高次の理性という観念は、神話の世界でのみ実現することができる。あるいは、ドイツ形而上学の敬虔な願望にとどまり続けるだろう。
   <一行あけ-秋月>
 (10)フランクフルト学派の若い世代のうちの別の人物は、Alfred Schmidt だ。自然に関するマルクスの観念についての彼の書物(1964年)は、この複雑な問題の研究に興味深くかつ貴重な貢献をなした。
 彼が論じるところでは、マルクスの観念には曖昧さがあり、そのことが原因となって、矛盾する方途で解釈されてきた(人間の継続物としての自然、統合への回帰等々。反対に、自然の創造物としての人間。ここで自然は外部諸力に対処する人間の試みによって明確になる)。
 Schmidt は、マルクスの教理は疑いの余地のない単一の「システム」だと最終的には理解することはできず、エンゲルスの唯物論がマルクスの思想と本質的部分で合致している、と強く主張する。//
 (11)Iring Fetscher は、疑いなく優れたマルクス主義に関する歴史研究者の一人だ。この人物をフランクフルト学派の一員だと見なすことができるのは、この学派の著者たちが関心をもったマルクス主義の諸観点に受容的であることを彼の著作が示している、というきわめて広い意味でだ。
 彼の大きな業績は、マルクスが遺したものの多様な範型やあり得る解釈を明瞭に解説したことだ。しかし、彼自身の哲学上の立場は、否定弁証法や解放的理性のような、フランクフルト学派の典型的な思考にもとづいていたとは思われない。
 歓迎されるべき明晰さを別とすれば、彼の著作は、歴史研究者としての抑制と寛容を特徴としている。
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 第8節・結語(Conclusion)。
 (1)マルクス主義の歴史でのフランクフルト学派の位置について考察すると分かるのは、この学派の長所は哲学上の反教条主義、理論的推論の自立の擁護にあった、ということだ。
 フランクフルト学派は、誤謬なきプロレタリアートという神話から自由で、マルクスの諸範疇は現代社会の状態と諸問題について適切だという信仰からも解放されていた。
 フランクフルト学派はまた、知識と実践の絶対的で始原的な根拠があると想定するマルクス主義の全ての要素または変種を拒絶しようと努めた。
 それは、マルクスが理解したような階級の諸範疇では解釈することのできない現象としての「大衆文化」の分析に寄与した。
 また、(かなり一般的で、方法論のない用語でだったけれども)科学者的プログラムに潜在している規範的な前提命題に注意を引くことによって、科学的哲学を批判することにも貢献した。//
 (2)他方で、フランクフルト学派の哲学者たちには、理想的「解放」についての一貫した見解表明に弱点があった。それは決して適切には説明されなかった。
 このことは、「物象化」、交換価値、商業化した文化および科学主義を非難しつつ、それらに代わる何かを提示している、という幻想を生み出した。
 ところが実際には、彼らが現実に提示しているのはほとんど、エリート(élite)がもつ前資本主義社会の文化へのノスタルジア(郷愁、nostalgia)だった。
 彼らは、今日の文明から一般的に逃亡するという曖昧な展望の音色を奏でることによって、知らず知らずのうちに、無知で破壊的な抗議行動を激励した。//
 (3)要約すれば、フランクフルト学派の強さは純粋な否定にあり、その危険な曖昧さは、それを明確に認めようとしないで、しばしば反対のことを示唆したことにあった。
 それは、いかなる方向であってもマルクス主義の継続物ではなく、マルクス主義の解体とその麻痺化の一例だった。//
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 第7節・第8節、そして、第10章が終わり。