L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.380-p.383。合冊版、p.1091-3。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第6節・エーリヒ・フロム(Erich Fromm)①。

 (1)エーリヒ・フロム(Erich Fromm)(1900年生れ)は、1932年以降はアメリカ合衆国で生活した。最初は正統派フロイト主義者だったが、Karen Horney やHarry Sullivan とともに、精神分析の「文化主義」学派の創立者としてまずは知られた。
 この学派はフロイト主義の伝統から大きく離れたので(同じ関心領域を共有したことを除く)、精神分析的人類学、文化の理論という最初の基礎をほとんど残さなかった。ノイローゼ(neurose)理論についてすら、これは言えた。
 フロムはフランクフルト学派の従兄弟だと見なすことができるかもしれない。社会研究所の一員で、<雑誌>に論文を発表したことだけがその理由ではなく、その著作の内容という観点からしてもだ。
 マルクスの物象化と疎外に関する分析はまだ有効で現代文明の根本的諸問題の解決にとって決定的に重要だという確信を、フランクフルトの仲間たちとともに抱いていた。
 他の仲間たちと同じく、プロレタリアートがもつ解放に対する役割についてはマルクスに同意しなかった。
 彼がとくに関心をもった疎外は、全ての社会階層に影響を与えている現象だった。
 しかしながら、アドルノの否定論や悲観主義にも共感しなかった。
 フロムは歴史的決定論への忠誠心を持たず、より良き社会秩序をもたらす歴史の発展法則に期待もしなかったけれども、人類には無限の潜在的能力があると強く信じていた。自然や人間相互からの疎外を克服し、友愛にもとづく社会秩序を確立することができる、そのような潜在的な力だ。
 アドルノとは異なり、人間の本性と調和した社会生活の概略を明確にすることは可能だと考えた。
 その書物が自負と傲慢さで溢れているアドルノとは再び異なり、フロムの著作は善意および友愛と協力に向かう人間の潜在性への信頼で充ちている。
おそらくはこの理由で、彼にはフロイト主義が受け容れ難かったのだろう。
 フロムは、我々の時代のフォイエルバハだと称し得るかもしれない。
 彼の書物は簡潔で、読みやすい。
 説教ぶった道徳的な意図は隠されていないけれども、その表現は平易で率直だ。
 直接の主題が何であれ-性格理論、禅・仏教、マルクスあるいはフロイト-、全てが批判的で建設的な思考が語られている。
 著書の表題を見ると、とりわけ、<自由からの逃亡>(1941年)、<自分自身のための人間>(1947年)、<健全な社会>(1955年)、<禅仏教と精神分析>(鈴木大拙、R. de Martinoと共著)、<マルクスの人間観念>(1961年)がある。//
 (2)フロムは、無意識に関するフロイト理論はきわめて豊かな研究分野を切り開いたと考えた。しかし、性的衝動(リビドー, libido)と文化のもつ純然たる抑圧機能にもとづく人類学理論を、ほとんど完全に拒否した。
 フロイトは、人間個人を不可避的に他者と対立する本能的衝動によって定義することができる、と考えた。個人はその本性上反社会的だが、社会は個人にその本能的欲求を制限し抑制する代わりに安全確保の手段を提供する。
 充たされない欲求は他の社会的に許容された領域に流れ込み、文化活動に昇華する。
 しかしながら、文化と社会生活は、破壊されることのない衝動を監視しつづけ、充たされない欲求の代用品として創出された文化作品は、諸衝動がさらに大きくなるのを抑制する。
 世界での人間の地位は、自分の自然の願望を充足させるのは文化の破滅であって人間種の破壊を意味するだろうので、希望なきものだ。
 本能と人間存在にとって必要な共同生活の間の矛盾は、決して解消することができない。神経症になることに絶えず追い込んでいる複合的な諸原因も、解消されない。
 創造的諸活動の形態による昇華はたんなる代用にすぎない。さらには、少数の者のみがそれを行うことができる。
 (3)こうした議論に対して、フロムは答える。
 フロイトの教理は、特定の限定された歴史的経験を不当に普遍化するものだ。さらには、人間の本性に関する誤った理論にもとづいている。
 自己のための充足とその結果としての他者への敵対にもっぱら向かう、その本能的な欲求の総量によって個々人を定義することができる、というのは通例のことではない。
 フロイトは、ある人間が他人に何かを与えれば自分がもち続けた可能性のある富の一片を失うがごとく、語る。
 しかし、愛と友情は、豊かにするものであって、犠牲ではない。
 フロイトの見方は、諸個人の利益を相互に対立し合わせた特定の歴史的条件を反映したものだ。
 だが、それは一つの歴史的局面であって、人間の本性の必然的な効果ではない。
 エゴイズムと自己中心主義(egocentricity)は、個々人の利益にとって防衛的なものではなく、破壊的なものだ。そして、これらは、自己愛からではなくてむしろ、自己憎悪(self-hatred)から発生する。//
 (4)フロムは、人間は確実に永続的な本能をもつこと、その意味で不変の人間の本性があること、を認める。
 彼はつぎのようにすら考える。人類学的に恒常的なものなどは存在しないとする逆の考え方は危険だ。なぜならば、人間は際限なく塑形可能で、いかなる条件にも適合することができると想定しているのであって、その結果として、適切に組織されるならば隷従制が永遠に続いてしまうことになる、と。
 人々が現存する条件に反抗するということは、人々は際限なく適応可能ではないことを示している。これは、楽観論の根拠だ。
 しかし、大切なことは、いずれの人間の特性が実際に恒常的であり、いずれが歴史の問題なのかを、確定することだ。
 ここでフロイトは、資本主義文明の影響をヒトという種の普遍の特性だと見誤ることによって、間違った。//
 (5)フロムは、つづける。一般的に言って、人間の欲求は個人的な充足に限定されはしない。
 人々は、自然との、そしてお互いの間の連環(link)を必要としている。-その連環は何であってもよいというのではなく、目的意識と共同体への帰属意識を与えてくれるような連環だ。
 人々には、愛と理解が必要だ。孤立して、接触を奪われれば苦しむ。
 人間はまた、自分の能力を十分に活用することのできる社会的条件を必要とする。すなわち、人間は、諸条件や危険性に何とか対処するためにではなく、創造的な仕事をするために生まれたのだ。//
 (6)この理由で、ヒトという種の発展あるいは人間の自己創造は、特定の諸傾向との闘いの歴史だった。
 人間が自然秩序から解放されて真の人間になって以降ですら、安全確保と創造性を求める欲求は、しばしば対立し合ってきた。
 我々は自由を欲するが、自由を恐れもする。なぜならば、自由とは、責任と安全不在を意味しているからだ。
 従って、人間は権威や閉ざされたシステムに従順になって、自由の重みから逃亡する。
 これは、生まれつきの性癖だ。破壊的なもので、孤立から自己諦念への、偽りの逃亡だけれども。
 逃亡のもう一つの形態は、憎悪だ。人間はそれで、盲目的破壊によって自分の孤立を克服しようとする。//
 (7)フロムは、このような諸観点に立って、フロイトとは異なって心理のタイプまたは志向性を区別する。社会的条件や家族関係の用語でもって説明し、たんにリビドーの寄与分によってではない点で、フロイトと異なる。さらには、フロムはフロイトと違って、明瞭に善か悪かを分類する。
 性格が形成されるのは、幼児の時期からで、その子どもの環境およびその子が出くわす制裁と褒賞のシステムによってだ。
 「受容(receptive)」型の特徴は、応諾、楽観および受動的な博愛心だ。
 この性格の人々は、適応力があるが、創造力に欠けている。
 「利用(exploitative)」型は、これと反対に、攻撃的で嫉妬深く、他者をたんに自分の利得のための源泉として扱う傾向がある。
 「蓄積(hoarding))型は、積極的攻撃心はより小さく、敵対的猜疑心はより大きい。
  この性格の人々は、吝嗇で、自己中心的で、不毛な潔癖さに傾きがちだ。
 もう一つの非生産的な型は「市場(marketing)」志向で、支配的な様式や習俗に適合することで満足を得る。
 他方で、創造的(creative)な性格は、攻撃的でも適合的でもなく、自発性のある親切心と順応主義ではない方法でもって、他者との接触を追求する。
 この性格は全ての最良部分を集めたものだ。その非順応性は攻撃性へと退廃化することはないし、その協力を願う気持ちや愛への包容力は受動的な適応性に落ち込むこともない。
 これらの異なる諸性格は、従前にフロイト主義者、とくにAbraham が作成した分類に対応している。しかし、それらの原因に関するフロムの説明は、幼児期の継続的な性的固着性(fixation)ではなく、家庭環境と社会で通用力をもつ諸価値が果たす役割を強調する。//
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 ②へとつづく。