小堀桂一郎、1933~。日本会議副会長。
 櫻井よしこや江崎道朗等々は「日本」やその歴史を、聖徳太子も含めて、語る。
 その場合に、参考文献として明記していなくとも、日本会議の要職にずっとある小堀桂一郎の書物を読んでいないはずはない、と想定している。
 櫻井よしこは日本会議現会長の田久保忠衛について、「日本会議会長」とも「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の(櫻井と並ぶ)「共同代表」とも明記せず、平然と「外交評論家の田久保忠衛氏は…」とか「田久保忠衛氏(杏林大学名誉教授)は…」とかと書いて頻繁に(週刊新潮等で)言及している。
 このような「欺瞞」ぶりだから、日本会議の「設立宣言」や「設立趣意書」、あるいは日本会議の要職者・役員が執筆した文献を文字どおりに<座右に>置いて文章を「加工作成」しつつも、本当の参照文献としてそれらを明示することはない、ということは当然に容易に推測できることだ。
 このことは、例えば聖徳太子についての、元日本会議専任研究員の江崎道朗の文章についても言えるだろう。
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 池田信夫ブログマガジン2017年10月30日号「皇国史観の心情倫理」。
 小堀桂一郎・和辻哲郎と昭和の悲劇(PHP新書、2017)に、つぎのように論及している。
 ・「右翼にも心情倫理がある」。小堀桂一郎は「それを語り継ぐ数少ない戦中世代だが、その中核にあるのは皇国史観」だ。
 ・<皇室のご先祖である初代の神武天皇>から説き起こす歴史は「学問的には問題外」だ。だが、「心情としては理解できる」。
 ・小堀は和辻哲郎の考え方(の一端)を「敷衍」して、「『万世一系』の天皇家が続いていること自体が正統性の根拠だという考え方が、日本人の自然な歴史認識だという」。
 「このような美意識」は戦前の「立憲主義」で、「天皇中心の憲法を守るという意味」だが、これは「明らかに明治以降の制度であり、日本の伝統ではない」。
 ・小堀は和辻を「援用」して、「明治憲法は鎌倉時代までの天皇中心の『国体』に戻った」、鎌倉「幕府」以降の「700年近く、日本の伝統が失われてきた」とする。
 「これは歴史学的にも無理がある」。「万世一系というのも幻想にすぎない」。
 ・「明治の日本人を統合したのが天皇への敬意だったという心情倫理は、その通りだろう」。和辻のいう「集合的無意識」のようなものだったかもしれない。
 以上。
 上に出てくる「心情倫理」は丸山真男が「責任倫理」とともに使った語のようで、池田のいう「心情としては理解できる」という文章も、厳密には「心情倫理」概念にかかわってくるのだろう。
 上の点はともかく、ここでも感じさせられるのは、「歴史学」という「学問」または広く「人文社会科学」ないし「科学」と、上に出てきた言葉を借りれば「心情」・「美意識」の違いだ。あるいは、<歴史>や<伝統>に関する「学問」と「物語」・「叙情詩」・「思い込み」の違いだ。
 小堀桂一郎もむろんそうだろうが、長谷川三千子も櫻井よしこも、もちろん江崎道朗も、「学問」として日本の<歴史>や<伝統>を追求するのではなく、<物語・お話>として美しくかつ単純に「観念」上(自分なりに)構成できればそれでよい、と考えているように見える。
 人文社会科学の「学問」性・「科学」性あるいは歴史叙述に際しての「主観」的と「客観」的の区別などは、おそらくどうでもよいのだろう。
 日本の<歴史>や<伝統>に関して、賀茂真淵でも本居宣長でも和辻哲郎等の誰でもよいが「先人」・「先哲」の文献・文章を重要な<手がかり>として理解しようとしても、それは、その各人の観念の中にあった、やはり<観念世界>なのであって、<観念の歴史>の研究にはなるかもしれないが、<歴史>そのものの研究にはならない。
 <観念の歴史>の研究が無意味だとは、全く考えていない。
 「神」・「神道」意識も「天皇」意識も、あるいは日本での又は日本人の「怨霊」・「魔界」意識等々にも、おそらくは強い関心をもっている。
 「意識」・「観念」が現実を変えてきた側面があったことも、認めよう。
 だが、「日本の神々」・「天皇」等々が独り歩きして現実の日本を作ってきたような歴史観をもつのは、あるいは<本来の、正しい>歴史がある時期に喪失したとか回復したとか論じるのは、観念・意識と「現実」の区別を(無意識にせよ)曖昧にしがちな、ひどく「文学」的、あるいは「文学部」的な発想だ。
 なお、池田信夫ブログマガジンの上の2017年の号には、①「スターリン批判を批判した丸山真男」、L・コワコフスキの大著に紹介・論及する②「マルクス主義はなぜ成功したのか」もあって、なかなか密度が濃い。