<マクダーマット・アグニュー本>の「付属資料」を使っての江崎道朗・1917年8月著の説明・コメントには、第四に、明確な<間違い>もある。
 その原因になっているのは、要するに、この人の「無知」だろう。
 この著とは、つぎで、<マクダーマット・アグニュー本>とはその下。
  江崎・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
 ケヴィン・マクダーマット=ジェレミ・アグニュー/萩原直訳・コミンテルン史-レーニンからスターリンへ(大月書店、1998)。
 =Kevin McDermott & Jeremy Agnew, The Comintern - A History of International Communism from Lenin to Stalin - (McMillan Press, 1996)。
 (1)「民主集中制」と「プロレタリア独裁」の同一視!
 江崎道朗はp.78で加入条件テーゼ12条がコミンテルン構成の各共産党は「民主的中央集権制」という組織原理にもとづくべきことを定めているのを引用しつつ、「第12条は党中央が全権を握る、プロレタリア独裁の宣言である」と書く。
 ああ恥ずかしい。プロレタリア-ト(プロレタリア)独裁とは共産党の内部で「プロレタリア」が「独裁」することなのか?
 江崎には、共産主義・共産党に関する基礎的知識もない。この部分では、レーニンの共産党・組織原理とマルクスにもあった「プロレタリアートの独裁」の区別がついていない。
 なお、江崎はp.71で「第1条」の中に「プロレタリア-トの執権」という語をそのまま引用して紹介しているが、間違いなくこの人は「プロレタリア独裁」と「~執権」が元来は同じ言葉であることに気づいていないだろう。
 (2)「社会愛国主義」は「愛国心」持つことだとする!
 江崎道朗はp.75で同6条が「露骨な社会愛国主義」を厳しく批判しているのを引用紹介しつつ、この意味は「自分の国を守ろうという愛国心」を「絶対に認めない」ということだ、とする。
 ああ恥ずかしい。この人は、「社会愛国主義」(または社会排外主義)とはレーニンらボルシェヴィキ・ロシア共産党側が自国の第一次大戦への参戦を支持したとくにドイツの「社会民主主義」者を批判するために作った言葉であることを知らない(「社会主義的愛国主義」と訳されてもよく、「社会主義」者なるものが称する(ニセの)愛国主義」と理解されてもよいものだ)。
 「社会」が付いているにもかかわらず、「愛国主義」の一種だと文学的に?解釈して、堂々と?コメントしているのだ。
 (3)軍隊内への浸透は「武力による暴力革命」を大前提?
 江崎道朗はp.75で同6条が「軍隊内」での「ねばりづよい、系統的な宣伝」を要求しているのを引用紹介しつつ、共産党が?「何より『武力による暴力革命』を大前提とする政党であることが、この条文からも明らかである」と書く。
 これも恥ずかしいだろう。<共産党=暴力革命>という図式をこの人は宣伝したいようで、そのためには何でも利用する(?)。
 「軍隊」に着目しているのは「暴力」装置だからだろうか。しかしそのことと、『武力による暴力革命』を大前提とするということとは論理的関係はない。「軍隊」を使っての「暴力革命」を想定しているのだ、という趣旨か?
 いずれにせよ、この条文から「明らかである」とするのは間違い。
 なお、江崎道朗も含めて、日本の「保守」派が(否定的・消極的に)しばしば用いる「暴力革命」なるタームの正確・厳密な意味について、検討が必要だ。ここでは立ち入らない。
 (4)「各ソヴェト共和国」を「ソヴィエト連邦」と同一視!
 江崎道朗はp.79で同14条がコミンテルン加入希望党は「反革命勢力に対する各ソヴェト共和国の闘争」を支持する必要を定めているのを引用紹介しつつ、「ソ連への忠誠を求める規定である」と明記する。
 また、「ソヴィエト連邦に対する絶対の忠誠心を持たなければならない」とも重ねて説明し、かつまた、日本の共産主義者が「ソ連や中国共産党」を支持したのは「この方針から」だとする。
 ああ恥ずかしい。悲惨だ。
 ロシア革命によって「ソ連」が誕生したとこの著の冒頭で書いていた江崎道朗は、ひょっとすれば「ソヴェト」と「ソヴェト(ソヴィエト)連邦」=「ソ連」の区別がついていないのではないか、と危惧していたが、どうやら当たっていたようだ。
 このテーゼが発表・採択されたのは1920年夏で、まだ「ソヴィエト連邦」は結成されていない。また、「中国共産党」も生まれていない(日本共産党も)。
 まだ存在していないものに対する「忠誠心」や「支持」を江崎は語ることができると考えているらしい。相当の空想力だ。
 正確には確認しないが、ここでの「各ソヴェト共和国」とは、1917年「十月革命」てできた(またはそれを翌年に改称した)ロシア・ソヴェト社会主義連邦共和国を構成する、「各ソヴェト共和国」だと見られる。
 このロシア・ソヴェト社会主義連邦共和国がさらにいくつかのソヴェト社会主義連邦共和国(ベラルーシ、ウクライナ等)とさらに「連邦」して、1922年に、「ロシア」等の地域名を持たない、ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が設立された。
 こういう経緯があるからこそ、もともとのロシア(本域)からすれば、<シベリア行き>は「国外追放」処分であり「流刑」なのだ。ロシアからすれば、シベリア、ウラル、今の中央アジア地域は完全に「外国」だったのだ。
 江崎は「各ソヴェト共和国」という言葉を見て、「各」を無視して、「ソヴェト連邦」と類推したようだ。そのあとでたぶん「各」に気づいて、「中国共産党」も加えたのだろう。
 上で言及しなかったが、江崎は上の説明につづけてこう書く。p.79。
 「コミンテルンに所属するということは、ソ連や中国など外国に忠誠を誓うことなのだ」。
 ああ恥ずかしい。コミンテルンは1919年に設立され、上のテーゼが論じられた第二回大会は1920年。繰り返すが「ソ連」はまだない。それに、この時点で忠誠の対象だという「中国」とはいったい何のことなのだ? 新生・中華民国のことか?
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 第五に、<マクダーマット・アグニュー本>の「付属資料」を使っての江崎道朗・1917年8月著の説明・コメントには、あるいはその近辺には、矛盾した説明・論述等がいくつもある(明確な間違いに含めてもよいものもある)。以下は、その例。
 (1)p.72で「加入条件」テーゼは「コミンテルンに加入した場合、何をしなければならないのか、具体的に示した」ものだとする。一方、p.80は、「加入するための条件」だとする。両者は意味が異なり、後者が正しい。
 (2)p.67で「民族問題」テーゼ第四項を引用紹介しているが、p.91以下では別の本を直接引用して、この項の「解説」をさせている。
 離れていると読者は忘れると思っているのか、相互の参照を要求していない。
 別の本とはクルトワら・共産主義黒書/アジア篇だ。江崎道朗は、p.67の辺りでは<マクダーマット・アグニュー本>を「下敷き」にし、p.91辺りではこの<クルトワら本>を「下敷き」にしているのだと思われる。
 「下敷き」にしている本の違いによって、共産主義・共産党・コミンテルンに対する論調がやや変わるのも、江崎らしいところだ。
 (3)p.53で、「プロレタリア独裁によらないかぎり平和にならない」、「平和とは」「共産党による独裁政権を樹立」することを「意味する」、と一気に書く。
 この両者は、方法と結果がほとんど反対だ。なぜこんな日本語文章を平気で書けるのか、本当に信じ難い。
 (4)他にも類似表現はあるが、p.80で「これらがコミンテルンに各国の共産党が加入するための条件である」と書く。
 「加入するための条件」だとするのは上に記したように誤っていない。しかし、「各国の共産党」の存在を前提にしているようであって、この点は<間違い>。
 この点は、そもそもコミンテルンとは何か、どのような経緯でこれは設立されたのか、レーニンらが「加入条件」を定める必要がある具体的環境・状勢はどうだったか、が理解できていないと、したがって、江崎道朗には、理解が困難なのだろう。
 あらためて前回に第三として論及した「加入条件」について触れたいとは思っている。
 江崎道朗が完全にスルーしているのは、コミンテルン加入の条件のきわめて重要な一つは各国の「コミンテルンに所属することを希望する全ての党」は「共産党」と名乗ることが義務づけられる、ということだ(加入条件第17項)。1922年の設立という「日本共産党」の名称も、これによる(同時に「コミンテルン~支部」となることも定められている)。
 「社会民主党」・「社会主義党」・「労働党」という名称(のまま)ではコミンテルンの一員にはなれない。
 この点は、評価は分かれるのかもしれないが、ロシア以外の<社会主義党派>または<社会主義運動>に分裂を持ち込んだ(ロシアでのボルシェヴィキとメンシェヴィキの古い対立のように)とも言われる。あるいは、<純粋で正しい>党を抽出することになった、のかもしれない。
 いずれにせよ、江崎は分かっていない。
 すでにこの欄に書いたように、江崎道朗にとって、共産主義、共産党、コミンテルン等々は全部同じであって、区別する必要を感じていないのだ。
 これで江崎道朗には、現在にまで流れているという「共産主義」に対する「インテリジェンス」を語る資格があるのだろうか。
 今回の諸指摘を、きちんと理解してもらえるとよいのだが。/つづく。