トニー・ジャット・失われた二〇世紀/上(NTT出版、2011。河野真太郎ほか訳)、第8章・さらば古きものよ?-レシェク・コワコフスキとマルクス主義の遺産(訳分担・伊澤高志)の紹介のつづき。
 今回は原注の邦訳の紹介をすべて省略する。
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 マルクス主義の魅力の二つ目の源泉は、マルクスとその後継者のコミュニストたちが、歴史的逸脱、クレオ〔歴史を司る女神〕の生み出した過ち、だったわけではない、ということだ。
 マルクス主義のプロジェクトは、それがとって代わり、また吸収した古い社会主義と同じように、私たちの時代の偉大な進歩の物語の一つの要素だった。
 つまり、近代社会とその可能性に対し、楽観的で合理的な進歩の物語によって説明を加えるという点で、マルクス主義は、それと対照をなす歴史的双生児と言える古典的なリベラリズムと共通している。
 マルクス主義に特有のひねり、すなわち来るべき良き社会は、無階級で、経済の進展と社会の激変がもたらす資本主義後の産物だという主張は、1920年までにはすでに信頼することが難しくなっていた。
 しかし、マルクス分析が当初備えていた刺激に由来する様々な社会運動は、何十年にもわたって、社会変容のプロジェクトを信じているかのごとく語り、行動し続けた。//
 例を挙げてみよう。
 ドイツ社会民主党は、第一次大戦のずっと前に、事実上「革命」を放棄していた。
 しかし、1959年、バート・ゴーデスベルク議会でようやく、党はその言語と目標を設定してくれたマルクス主義理論という負債を、公式に返済しきった。
 その間の年月、そしてそののち暫くの間、ドイツ社会民主党員は、イギリス労働党員、イタリア社会党員、その他多くと同様に、階級闘争や資本主義との戦いなどについて発言したり書いたりし続けた。
 まるで、穏健で改革主義的な日常の実践とは裏腹に、いまだにマルクス主義のロマンティックな物語を生きているかのようだった。
 つい最近の1981年5月、フランソワ・ミッテランが大統領に選ばれたのちにさえも、非常に高名な社会党の政治家たちは、自分たちを「マルクス主義者」とは呼ばないだろうし、ましてや「コミュニスト」などとは呼ばないだろうにもかかわらず、興奮気味に、「偉大なる夕べ〔(原邦訳書のふりがな)グラン・ソワール〕〔革命成功のとき〕と、来たるべき社会主義の変化について語ったが、それはまるで、彼らが1936年、あるいはさらには1848年に立ち戻ったかのようだった。//
 つまり、マルクス主義は、進歩的な政治の多くの深層にある「構造」だったのだ。
 マルクス主義の言語、あるいはマルクス主義の概念にもたれかかっている言語は、社会民主主義からラディカル・フェミニズムまでの、現代の様々な政治的抵抗に、形式と内的一貫性を与えた。
 この意味で、メルロ=ポンティは正しかった。
 つまり、批判的に現在とかかわるための方法としてのマルクス主義の喪失によって、そこには空白が残されてしまったのだ。
 マルクス主義とともに失われたものは、機能不全のコミュニズムの体制やそれに惑わされた諸外国の擁護者だけでなく、過去150年にわたって創造されてきた、私たちが「左翼的」と考えてきた仮定、カテゴリー、説明の体系全体だった。
 過去20年間の北米およびヨーロッパの政治的左翼の混乱を観察し、みずからに「しかし、政治的左翼とはいったい何を表すのだろうか、何を求めているのだろうか」と問いかけたことのある者ならば、私の言いたいことは分かるだろう。//
 しかし、なぜマルクス主義が魅力を持っていたかについては第三の理由があり、近年になって急にマルクス主義の亡骸を攻めたて、「歴史の終わり」や、平和、民主主義、自由市場の最終的勝利を高らかに言う者たちは、この理由をよくよく考えてみるのが賢明というものだろう。
 いく世代もの知的で誠実な人々がコミュニズムのプロジェクトと運命を共にすることを望んだとしたら、それは決して、彼らが革命や救済という誘惑的な物語によってイデオロギー的な麻痺状態にされてしまったからではない。
 そうではなく、彼らがその根底にある倫理的メッセージに、抗いがたく惹きつけられたからだ。
 つまり、地に呪われたる者の利害を代弁し保護することにあくまで結びついた、観念や運動の力に、だ。
 徹頭徹尾、マルクス主義の最強の持ち札は、マルクスの伝記作家の一人が述べる、「私たちの世界全体の運命は、その最も貧しく最も苦しんでいる成員の状況と分かち難いという、マルクスの真剣な道徳的確信」だ(注17)。//
 マルクス主義に対して厳しい批判をする者の一人であるポーランドの歴史家アンジェイ・ヴァリツキが率直に認めるところでは、マルクス主義は「資本主義とリベラリズムへの伝統とに見られる数多くの欠陥に対する反応」として最も影響力のあるものだった。
 マルクス主義が20世紀最後の三分の一で支持を失ったとしたら、それは大部分、資本主義の最大の欠陥がついに克服されたように見えることによる。
 つまり、リベラリズムの伝統が、不況と戦争という困難に適応することと、西欧民主主義にニューディール政策と福祉国家という安定装置を与えることに予想外の成功を収めたおかげで、左翼と右翼の両者の反民主主義的な批判者たちに、はっきりと勝利したのだ。
 現在とは異なる時代の危機や不正を説明し尽くせるという位置を完全に占めていた教義が、今や、的はずれなものに見えるようになったのだ。//
 しかしながら今日では、事態は再び変わろうとしている。
 19世紀のマルクスの同時代人たちが「社会問題」と呼んだもの、つまりいかにして富める者と貧しい者たちの大きな格差や健康、教育、機会のひどい不平等に対処し、それを克服するのかという問題は、西洋では答えが出されたかもしれない(とはいえ、イギリスや特にアメリカでは、富者と貧者の間の溝は一度は狭まりかけたかに見えたが、近年再び開きだしている)。
 しかし、その「社会問題」は、今や深刻な国際的政治課題として再登場した。
 繁栄する受益者にとっては、世界的な経済成長や、投資や貿易のための国内市場および国際市場の開放に映るものが、ほかの多くの者にとっては、ひとりぎりの企業や資本所有者たちの利益にのための世界の富の再分配と認識され、不満を抱かれるようになってきている。//
 近年、尊敬すべき批評家たちが19世紀のラディカルな言語を再びもらい、されを21世紀の社会問題について、不穏なほどにうまく適用している。
 マルクスやほかの者たちが「労働予備軍」と呼んだものが、ヨーロッパの産業都市の貧民街ではなく、世界中で再び浮上しているということを認識するのには、マルクス主義者である必要はない。
 外部委託〔(原邦訳書のふりがな)アウトソーシング〕や工場移転。投資の引き上げの脅かしによって賃金を抑えることで(注18)、世界中の低賃金労働力は、収益を保ち成長を促すのに役立っているが、それは19世紀の産業化したヨーロッパの状況とのまったく同じだ。
 但し、組織化された労働組合と大衆化した労働党が力を持ち、賃金の改善、税制による再配分、20世紀での政治権力のバランスの決定的な変化をもたらし、自分たちの指導者の、革命の予言を台無しにしてしまう以前の話だが。//
 つまるところ、世界は新しいサイクルに入ったかのようで、それは私たちの19世紀の先祖たちには馴染みしあったものだが、現在の西洋の私たちは最近経験していないものだ。
 これらの年月に目に見える富の不均衡が増し、貿易の条件、雇用の場所、乏しい天然資源の管理についての闘争がより激しくなると、私たちが不平等、不正、不公平、搾取について耳にすることは、増えこそすれ減りはしないだろう。
 国内でもそうだが、とくに海外でも。
 そしてそれゆえ、私たちはすでにコミュニズムの風景は失っているので(東欧においてさえ、コミュニズム体制を成人として経験した記憶があるのは35歳以上の者だ)、刷新されたマルクス主義の魅力が高まる可能性がある。//
 もしもこれが馬鹿馬鹿しく聞こえるなら、以下のことを思い出してほしい。
 例えば、ラテンアメリカや中東の知識人やラディカルな政治家にとって、何らかのかたちでのマルクス主義の魅力は決して衰えていない、ということを。
 その地域ごとの経験についての妥当な説明原理として、それらの地域のマルクス主義は、その魅力を多く保っており、されは世界至る所の現在の反グローバリズム主義者たちにとって魅力を放っているのと同様だ。
 後者が今日の国際資本主義経済のもたらす緊張とその欠陥のなかに見てとる不公正や機会は、1890年代の初めての経済的「グローバル化」を目にした者たちが、マルクスの資本主義批判を「帝国主義」という新た理論に適用される動機となったものと同じだ。//
 そして、ほかの誰も現代の資本主義の不平等を是正するための説得力ある戦略を示せていないようなので、最も整然とした物語を語り、最も怒りに満ちた予言を示す者たちに、この分野は再び託された。
 19世紀の中葉、ヴィクトリア朝の成長と繁栄の全盛期に、ハイネがマルクスとその友人たちに予言的に述べたことを、思い出してみよう。
 「これらの革命の博士たちと、断固たる決意を抱くその弟子たちは、ドイツで唯一、生命をもつ者だ。
 そして私が恐れるののは、未来は彼らに属している、ということだ」(注19)。//
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 以上、原邦訳書のp.190 途中から、p.195の始めまで。