橋下徹が、藤井聡を批判しているようだ。
 詳しい経緯、内容は知らない。最近の橋下徹の言動について、ずっとフォローしているわけでもない。
 しかし、かつては<橋下徹信者>と書かれたことがあるくらい、橋下徹批判に対しては、この人を擁護してきた。また、藤井聡は知的傲慢さの目立つ信用のおけない人物で<アホ>と形容したこともあるし、これまた週刊誌上で「今週のバカ」を毎週くり返していた本当の<バカ>らしい適菜収を全く信頼できない人物だと判断してきた。
 そしてまた、月刊正論(産経、編集代表・桑原聡の時代)がかつて、この適菜収を橋下徹徹批判の主要論考執筆者に使い、桑原自身が編集代表執筆者欄で橋下徹を「危険な政治家」だと明記したのだった。
 こうしたかつての経緯を思い出すので、少しは興味をもつ。
 もともとはどうも、つぎの、今年2/8配信のBestTimes(KKベストセラーズ)提供の記事(ヤフー・ニュース欄)だったようだ。以下、8割程度を引用。
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 適菜収「保守主義の本質はなにかを考えたときに、私は『愛』だと思うんですよ。日々の生活や守ってきたものに対する愛着です。/政治で言えば制度ですね。安倍に一番欠けているのは、制度に対する愛です。だから軽々しく『社会をリセットする』と言ったり、制度の破壊を進める。つまり、安倍は保守主義からはもっとも遠い位置にいる政治家と言えると思います」。
 藤井聡「京都学派の哲学者、西田幾多郎の哲学『絶対矛盾の自己同一』も適菜さんがおっしゃったことと同じです。 日本的に言うと『和をもって尊としとなす』ですし、西欧でも『矛盾との融和』の力を『愛』と呼んでいる。ただし、こうした『愛』は、…左翼のグローバリストの感覚、『国籍や国境にこだわる時代が過ぎ去った』という感覚とは全く違う。これは、『皆一緒』という発想で、おぞましい『全体主義』につながる。その意味で『地球市民』というのは危険な発想で、人間や文化の違い、豊穣性を認めないニヒリズムです。でも、西田の『絶対矛盾の自己同一』は、『違う部分を引き受けて統一することを目指す』というもので、グローバリストやニヒリストたちの全体主義と根本的に違う。」
 適菜収「ヤスパースも言っていますが、哲学は答えを出すことが目的ではなく、矛盾を矛盾のまま抱えることだと。知に対する愛なんです。ヘーゲル的な「哲学史」、学問としての哲学を批判したわけですね。わが国では、アメリカのシンクタンクから「地球市民賞」をもらったグローバリストが、保守を名乗ったりしていますが、国全体が発狂しているとしか思えません。保守は、善悪二元論とか、白黒はっきりつけるという話ではない。/複雑な問題を複雑なまま引き受けるということです。考え続けることに対する愛ですね。知に対する愛です。住民投票で民意を問うとかそういう話でもない。そもそも、白黒はっきりつけがたいものについて、議論を行い、利害調整をするのが政治の役割です。民意を背景に、数の論理で政策を押し通すのは、議会主義の否定です。」
 藤井聡「住民投票は必ず憎しみを産む。都構想では大阪市民が割れたし、イギリスでも国民が割れた。多数決の先にあるのは内乱です。極論すれば、多数決で負けたほうが悔しかったら内乱を起こすしかなくなります。橋下氏の一番の問題はそこだった。議会の破壊です。
 藤井聡「橋下氏が典型ですが、それ以外の多くの政治家もその罠にはまっています。日本中の政治家が今、どんどん橋下化している。」
 適菜収「その典型が安倍晋三です。…つまり、議会主義の根本がわかっていない。」
 藤井聡「橋下化した世界、全体主義化した世界では、ほとんどが大人になるにつれて劣化して、良し悪しのわからない分別のない人間になっていく。でもその中に、空気を読まない、(精神医学の世界では)「高機能広汎性発達障害」や「ASD」などと呼ばれる人たちがいる。彼らは、定義を広くとるとだいたい10人に一人くらいはいる。彼らの特徴は空気が読めない、あるいは気にしないこと。だから彼らは世界がどれだけ全体主義化、橋下化していても、『正しいこと』を言い続けてしまう。
 藤井聡「皆が嘘にまみれた空気に付き従うようになった世界は、もうASDくらいでしか救えないのではないかと思う。おおよそ今の官僚組織で出世するやつは、空気を読むのが上手い。僕は今、学者としてそういう組織に協力しているだけなので、出世は関係ありませんし、まったく空気を読む必要はない。」
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 こんな対談にはついていけない。私の頭が悪いからではなくて、言葉・概念で何らかの意味を伝えようとする誠実で、きちんとした態度、姿勢がこの二人にはまるでないからだ。
 いちいち挙げないが、こんなことを簡単に言うな、断定するな、と感じる部分ばかりだ。
 また、二人は一時期に大阪市長時代の橋下徹を<コキおろす>文章を月刊ボイス等に載せたりしてきたのだが、今年の2017年になってもその<怨念>は消えてないようで、その執念にも、どこか<異常さ>を感じる。まだこれだけ話題にされるのだから、私人・橋下徹の威力あるいは(反語であれ)魅力は、すごいものだなと却って感心してしまう。
 それに、橋下徹も指摘したようだが、安倍内閣「参与」らしい藤井は、適菜のこれまた執念深い<安倍晋三憎し>発言に、反論してもいないし、たしなめてもいない。
 あるいはまた、<住民投票>制度について、間接民主主義(議会中心主義)か直接民主主義の議論に持ち込んで、イギリスについてまで言及しているのは、論理・思考方法そのものが間違っている。大阪市での住民投票を要求したのは国の法律なのであり、国全体の議会中心主義に反したものではない。藤井は、こんな言い方をしていると、法律または条例にもとづく<住民投票>制度一般を批判しなければならなくなる。藤井はやはり、「政治感覚」優先で、法制度的思考がまるでできていない。
 こんな対談がどこかで活字になったらしいのだから、日本の表現の自由、出版の自由の保障の程度は、天下一品だ。
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 正確に理解するつもりはないが、橋下徹は「ツイート」でこんなことを書いたらしい。
 橋下徹「内閣官房参与藤井氏。/虚言癖。こんなのが内閣官房参与なら日本も終わりだ。」
 橋下徹「内閣官房参与の藤井氏。/虚栄心の塊の虚言癖。」
 橋下徹「内閣官房参与藤井氏。彼はこんなことばっかりやっている。とにかく人格攻撃。いい大人がするようなことではない。それで自分が批判されると人格攻撃は許さんと吠える。誰か藤井氏に社会人のマナーを教えてやって欲しい。内閣官房参与に不適格」。
 橋下徹7/09「内閣官房参与藤井氏のこの発言、こういう文脈で発達障害を持ち出したら政治家なら完全にアウト。メディアからも猛批判を受ける。稲田さんの発言よりも問題。安倍政権は許すのか。しかも安倍さんを侮辱する対談相手に一言も言わない内閣参与。」
 橋下徹7/11「内閣官房参与・京大教授藤井氏。彼は大阪都構想について猛反対し、橋下はデマ、嘘、詐欺、詭弁の限りを尽くしていると公言。そして大阪府と大阪市が話し合いをすれば課題は解決できると断言。ところがこの権力の犬メールには、府と市の大阪会議はショボいと明言。藤井氏は学者としてもアウトだな。」
 たしかに、藤井聡の<精神医学の世界での「高機能広汎性発達障害」や「ASD」などと呼ばれる症状の人たちはの特徴は、空気が読めない、あるいは気にしないこと。だから彼らは世界がどれだけ全体主義化、橋下化していても、『正しいこと』を言い続けてしまう。>という発言は問題があるだろう。
 相も変わらず、藤井聡は問題発言をし、下らないことを書いたり、喋ったりしているようだ。
 この人の専門分野は何か。きちんと研究し、研究論文を書いているのか。
 知的傲慢とか既に書いたが、消極的な意味で藤井聡に感心したのは、つぎの本を刊行した<勇気・自身・身の程知らず>だ。
 この人は京都大学大学院工学研究科教授のはずなのだが、いったい何をしているのか。
 ハンナ・アレントを読んで、日本社会と「全体主義」について論じるというのだから、ほとんど、あるいは100%、信じ難い。
 藤井聡・<凡庸>という悪魔-21世紀の全体主義(晶文社、2015)。
 オビには何と、「ハンナ・アレントの全体主義論で読み解く現代日本の病理構造」、とある。
 「ハンナ・アレントの全体主義論」は三分冊になる大著で、工学研究科教授が簡単に読んで理解できるとはとても考えられない。
 しかもまた、藤井聡は、「全体主義」といえばハンナ・アレントだと、すぐに幼稚に思い込んだのかもしれないが、そんな単純なものではない。
 この欄の執筆者・秋月瑛二ですら、「全体主義」にかかわる種々の文献を(一部であれ)読んでいる。
 この傲慢さは、<オレは京都大学出身の教授だぞ>という、戦後教育が生み出した入学試験・学歴主義と「肩書き」主義、<権威>主義によるのだろうか。
 じつは、橋下徹に対する何がしかの「怨念」とともに、<精神病理学>の対象になるのではないかとすら感じる。
 上の著の目次を見ると、内容の<薄さ>とこれまた<橋本徹批判>へと流し込んでいることがよく分かる。//

 目次/序章 全体主義を導く「凡庸」な人々
 第1部 全体主義とは何か?──ハンナ・アーレントの考察から
  第1章 全体主義は、いたって特殊な「主義」である
  第2章 ナチス・ドイツの全体主義
  第3章 〝凡庸〟という大罪
 第2部 21世紀の全体主義──日本社会の病理構造
  第4章 いじめ全体主義
  第5章 「改革」全体主義
  第6章 「新自由主義」全体主義
  第7章 グローバリズム全体主義
 おわりに 「大阪都構想」と「全体主義」//
 この人は「全体主義」を理解しているのか? レーニン、スターリンはどう理解しているのか。
 こんな程度で書物を刊行できるのだから、日本の表現の自由、出版の自由の保障の程度は、天下一品だ。