遅れてようやく気づいた。西尾幹二の産経新聞6/1付「正論」欄を読んだ。
 一 産経新聞を購読していないからでもある。<歴史右/安保右>でなくなって読売新聞ととともに<歴史左/安保右>では、この基本点に関するかぎりは、産経新聞と読売新聞は変わりないだろう。となると当然に、より多くの国民・有権者が知ることとなる情報を掲載している新聞の方を読みたくなる。
 二 西尾幹二の主張内容は、当然に成り立つ。少なくともある時期は一項を含めての九条改正を主張していた田久保忠衛や産経新聞社案を除いて、自民党を含む大多数派改憲論者は、現二項を削除しての自衛隊の実質的「軍その他の戦力」化を構想していたからだ(第一次の自民党(桝添要一担当責任者)案では「防衛軍」、現案では「国防軍」)。
 三 上のある意味では当然にありうる主張内容とは別に、西尾が同インターネット日誌上で明らかにしていることの方が、はるかに興味をそそる。
 上の産経新聞用原稿で「文章の分量が完全にはみ出ていた」ので「勿論これは削除された」、「再録しておく」という部分だ。
 一つは憲法九条関連改正にかかる5月安倍晋三発言の経緯だ。
 本当に西尾幹二が書いているとおりだとすると、げんなりする。
 だが、かりにそうだとしても、伊藤哲夫の主張内容もどうも怪しいことは、以下で述べる。
 二つは、産経新聞も同様だろうが、安倍晋三案にどういう反応をすべきかについて<保守>の側に一定の混乱を生じさせているだろうことは間違いないないだろう。
 櫻井よしこらのように(「少々の」法的矛盾を意識しつつも!)さっそく安倍晋三に「迎合」する、<阿諛追従>一色の<保守>の人々ばかりでもないだろう。
 その意味でまさに、「櫻井よしこ氏や日本会議は保守の核心層ではない」。
 西尾幹二の言うように、安倍晋三に対して「保守の核心層もそろそろ愛想をつかし始めているのではないだろうか」、とも思われる。
 もっとも「保守の核心層」も一義的に明確な言葉ではなく、「核心」か否かは「真」か「偽り」か、「正統」か「修正」かという価値評価にかかわるし、もともと「保守」とは何かも問題になる。
 そうした意味で「核心」なのかは別として、しかし、櫻井よしこなる私から見れば多くの点で信用できない単純素朴な観念主義の「文筆業者」がえらく<保守産業>界で人気があるのはたしかなようで、産経新聞社・正論は<一冊まるごと・櫻井よしこさん>を別冊として恥ずかしげもなく発行し、月刊Hanadaと月刊WiLLの現編集長(花田紀凱ら)は二人とも櫻井よしこを理事長とする「国家基本問題研究所」の評議員で<理事長-評議員>という上・下の関係に(形式上は)なっている。したがって、あくまで印象またはたんなる<数合わせ>では櫻井よしこら「観念派」・「原理主義派」あるいは「特定保守」の方が-悲喜劇として-優勢であるような観はある。
 もっとも、左から右まで、共産党・「左翼」からレベルなき評論家や現憲法無効論者までが揃い踏みの奇怪・奇態きわまりない月刊日本(KKプレス)という月刊誌は櫻井よしこを批判しているようだが。
 そうした中でしかし、言葉の意味の問題はあろうとも、西尾幹二が「櫻井よしこや日本会議は保守の核心層ではない」と言ってくれているのは、勇気づけられる。
 「左翼」でもそうでなくとも、様子見、「どっちが得かようく考えてみよう」とする待機主義、身内迎合、要するに<日和見>主義者はいくらでもいる。
 西尾幹二のように<自由・独立>の人間がいてくれないと困る。*この論点は注釈がいるが今回は省略。
 四 西尾が参照している伊藤哲夫等々に関する資料を入手できない。
 しかし、伊藤哲夫所長の日本政策研究センターのウェブサイトに掲載されている伊藤自身の文章とされるもの(『明日への選択』平成29年6月号掲載らしい)は、どうも怪しい。
 「怪しい」というのは、つぎのような意味でだ。
 現一・二項を存置したままで新三項または新九条の二を挿入する場合に、当然にその条文・文章内容をどうするかが問題になる。
 伊藤は次のように記す。「改憲論議を一変させた『安倍発言』」2017年6月1日。
 「3項の内容をどうするのかということが議論の中心課題」になる。「首相の案は、ただ現在の自衛隊をそのまま認めるだけにも見えるが、果たしてそれしか道はないのか」。「それに留まらず、自衛隊を『自衛のための戦力』として認める道はないのか。問題は3項の内容にかかっており、公明党の立場を考えればことは簡単ではないが、何とか根本的解決により近い案になるよう、今後議員諸兄には大いに知恵を絞ってほしい」。
 この文章は、ほとんど<アホ>に近い部分を含んでいる。従来の<保守>派の構想にも配慮しているつもりなのかもしれない。
 「それに留まらず、自衛隊を『自衛のための戦力』として認める道はないのか」。
 伊藤哲夫をもともと何ら信頼していないのだが、この一文はひどいだろう。
 つまり、二項「軍その他の戦力は…保持しない」を残しつつ、「自衛隊を『自衛のための戦力』」と認める方策はないのか、と言っている。
 憲法でも法律でも離れたところにある同じ言葉・概念が異なる意味で解釈されるということはある。
 法律が違えば、同じ言葉・概念でも異なる範囲・意味をもつことが当然にありうる。
 しかし、現二項の直後の三項(九条の二でもよい)で、『自衛のための戦力』を認めることは、二項と三項が明らかに矛盾・抵触しあうことになる。「戦力」という語をともに使うからだ。
 これを回避するには現二項の<目的>規定に意味を持たせる(「自衛」目的の軍・戦力は二項は禁止していない)ように解釈すればよい。しかし、もしそうならば、新三項がなくとも、現在でも自衛隊は「軍その他の戦力」だと解釈できるのであり、新三項追加などは必要がない。
 現二項の<目的>規定(芦田修正)に意味はないものとしているのが政府・実務解釈だからこそ、安倍晋三提言も出てきているのだ・
 伊藤哲夫はいったい何を「つぶやいて」いるのか?
 伊藤は何やら「智恵者」らしくあるが、本当は憲法または法的議論の基礎的なところをまるで分かっていないのではなかろうか。
 これでは、安倍晋三も、安倍支持の議員・政治家たちも、条文作りに困るだろう。
 その条文を伊藤哲夫が用意していないことも、上から分かる。西修の<私的解釈>を今さら前提にするわけにはいかない。百地章に相談をしていないだろう。また、相談しても無意味だろうが、八木秀次が伊藤哲夫案の作成に協力したのでもなさそうだ。
 五 天皇譲位問題につづいて、「特定保守」派の無知・無責任さを曝け出すことになるのかどうか。
 しかし、どういう経緯であれ安倍晋三は自ら率先して語ってしまっているので、ウヤムヤにもできない。
 西尾幹二のような主張は当然にありうることは予期しているだろうから、内心は少しは困っているのではないか。
 この1年、天皇(生前)退位問題の登場や、二項存置・自衛隊容認規定新設案の登場など、想定していなかった憲法上の論点が出てきている。これからもさらにあるかもしれない。