「研究」というのは、おこがましい。感想、コメント程度を書く。
 今はやりの「日本会議」研究本?は、<民主主義対ファシズム>程度の感覚の単一層・単一面の素朴で単純な意識によるものが多いと見られ、どの程度に総合的で客観的な叙述になっているかは、相当に疑問だ(しかし、日本共産党中央からの「指令」にもとづいているものも間違いなくあると見られる)。
 「日本会議」自体を扱うつもりはないし、椛島有三「個人」を「研究」するのでもない。
 櫻井よしこの悲惨・悲痛の原因をつきとめてみたい、という気持ちが強い。
 きっと、「日本会議」事務総長の方の著書ならば、ヒントがあるだろう。
 少し迂回する。
 月刊正論(産経)の三年前の三冊の背表紙には、こう、目立つように書かれていた。この当時の「編集人」は、小島新一
 2014年4月号/激化する歴史戦争に立ち向かえ。
 2014年5月号/慰安婦・歴史戦争、我らの反撃。
 2014年6月号/歴史戦争、勝利への橋頭堡。
 名もなき多くの日本の<保守的>読者が、熱心に読んで頷き、心強く感じていたかもしれない。
 あれれ? しかし、この「歴史戦争」はいま、いったいどうなったのか?
 続いているのか、どのように続いているのか。それとも、勝ったのか、負けたのか?
 月刊正論編集部は「編集代表」・編集部が交替したなどと言わずに教えてほしいものだ(いや、この当時の編集部にちゃんと「菅原慎太郎」の名もある)。
 あるいはたかが月刊雑誌編集部では適切にな判断ができないなら、よく知らないが、産経新聞内の月刊正論等の雑誌統括部局の長、あるいは産経新聞社の社長でもよい、きちんと答えていただきたいものだ。
 それとも、上に書いたのは眼が悪くなった私の幻影なのか?
 そんなことはない。ちゃんと、書かれている。
 真面目に上のように月刊正論の背表紙に書いたのだから、それなりの意思・気持ちがあったのだろう。
 その後は、いったいどうなったのか? その年の夏に朝日新聞社が大騒ぎして、月刊正論も勝ち誇っているように見えたが、あれはいったい何だったのだろうか?。あれも幻像だったのか、はて?
 かつての一読者あるいは国民として、このような疑問を持って、当然なのではないか。
 このような疑問を発する「権利」が、我々にはあるのではないか。
 奇妙なことは、月刊正論(産経)にもよく登場する、同編集部が別冊<一冊まるごと…>をすら発行したらしい、櫻井よしこについてもある。
 立ち入らない。櫻井よしこの、時期の異なるつぎの三つの文章をきちんと比べて読んで見れば、この人の最初の感覚とその後の<ひどい(悲痛な)詭弁>がよく分かる。安倍内閣戦後70年談話についてだ。
 ①櫻井よしこ・週刊新潮2015年8/27号=同ウェブサイトにあり。
 ②櫻井よしこ・日本の未来(新潮社、2016.05)p.192の「追記」。
 ③櫻井よしこ「安倍総理は…」月刊Hanada2017年7月号(飛鳥新社、発行人・編集長/花田紀凱)p.38~p.39。
 さて、椛島有三・米ソのアジア戦略と大東亜戦争(明成社、2007.04)。
 この2007年4月というのが、どういう時期だったかは別に触れるだろう。
 1997年5月30日が「日本会議」設立宣言日なので、事務総長としてほぼ10年経ったあとの書物になる。
 本人の「あとがき」を除くと第5章までと「補論」がある。タイトルは、つぎのとおり。
 第1章・昭和天皇のご見解-大東亜戦争の原因について。
 第2章・アメリカのアジア戦略について-アメリカのアジア戦略の原点は満州獲得だった。
 第3章・満州事変の背景-米ソによるアジアのヤルタ体制の第一歩は満州で始まった。
 第4章・アジアにおけるヤルタ体制の誕生-米ソがもたらした志那事変の勃発と泥沼化。
 第5章・大東亜戦争の真相に迫る-すでに戦争は始まっていた。
 補論・朝鮮戦争を通じ初めて日本の立場を理解した米国。
 全行にわたって熟読したわけではないが、対象・内容はおよそ満州事変以降の「大東亜戦争」で、この時期の日本国家の立場を擁護し、主としてアメリカを批判していることが明らかだ。つぎのような「節名」もある。
 「国際的に認められ、正当性をもった日本の中国大陸における権益」。p.46。
 「満州事変はなぜ起こったか-①日本人居留民の被害、②絶対絶命のなかで起きた満州事変」p.80。
 「日本は自衛戦争を戦った」p.117。
 「アメリカによる徹底した日本の封じ込め」p.172。
 「生存をかけた日本の戦い」p.181。
 重大な関心事は、このような内容の書物を「日本会議」事務総長名を明らかにして刊行していた椛島有三は、2015年夏の安倍内閣戦後70年談話における「満州事変」以降の日本に関する叙述を、どのように聞いたか、だ。
 安倍談話は必ずしも明瞭ではないところはあるが、根本趣旨を理解できないような日本語文ではない。また、1995年村山談話と同様に、内閣としての<政治文書・政治談話>であることは、あえて記すほどのことではない。これを「学究的、研究論文」ではないからよいなどと論評するのは(櫻井よしこ)、一部の厚顔無恥の、悲惨な「頭内」状態の人に限られるだろう。
 明らかに、椛島有三の歴史認識又は歴史叙述と安倍内閣の2015夏時点での歴史認識・歴史叙述は異なっている。かりに100%とはいわなくとも、きっと75%くらいは異なっている。
 椛島有三は、この談話に対して、どう反応したのだろうか。
 椛島有三は補論でジョージ・ケナン(George F. Kennan)等の言を持ち出して、朝鮮戦争を通じてアメリカは、かつての敵国までもが、かつての「日本の立場」を分かってくれた、と書いているが、その「日本の立場」を、安倍内閣戦後70年談話は、きちんと述べたのだろうか。
 そうでないとすれば、椛島有三は安倍談話を批判して当然だった。
 「日本会議」は、2017年夏の安倍内閣戦後70年談話について、どういう公式態度を表明したのだったのだろうか。よく知らない。少しは、調べてはみる。
 つづく。