○ 世界中で、日本に限ってとしてすら、多数の人が生まれ、そして死んでいっている。
 それぞれの死は悲しいものに違いないが、世界中の、日本に限っても、全ての各人の死を嘆き悲しむことなどできるわけがない。
 一粒の涙ずつ流したとしても、一日で足りるのだろうか。
 所縁のない人々の死をいちいち考えていては、人は生きていけない。
 遺族にとっては突然の死(事故であれ自然災害であれ)もあれば、「大往生」と呼ばれる死もあるだろう。不条理な死も、きっとあるだろう。しかし、ほとんど圧倒的な場合について、<遺族>または関係者以外の人々は、いちいち考える余裕もなく、それぞれに生きている。
 こんなことを書きたくなったのも、一枚の写真を書籍の中でたまたま見た(たぶん初めて気づいた)のがきっかけだ。
 外国の、かつまた自分には私的な関係はこれっぽっちもない人々のことながら、その死を思って、涙が出た。
 Richard Pipes, VIXI - Memoirs of a Non - Belonger (2003)。
 このp.133に、つぎの4名が立って、十字のように向かい合って何か語っている写真がある。1974年、イギリス・オクスフォードでのようだ。右から。中の二人の表情が最もよく撮れている。
 アイザイアー・バーリン(Isaiah Berlin)、リチャード・パイプス(Richard Pipes)、レシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)、イタリアの歴史学者のフランコ・ヴェンチュリ(Franco Venturi)。
 最後の人だけ名前も知らなかったが、R・パイプスの初期の研究対象と同じく19世紀のロシア、および1789年以前のヨーロッパについて主として研究したようだ。以下、() は写真のときの年齢。
 Isaiah Berlin、1909.06~1997.11、満88歳で死去 (65歳)。
 Leszek Kolakowski、1927.10~2009.07、満81歳で死去 (47歳)。あの、L・コワコフスキだ。
 Franco Venturi、1914.05~1994.12、満80歳で死去 (60歳)。
 そして、Richard Pipes、1923.07~ (51歳)。
 前回に2015年2月付のR・パイプス著の「序言」に言及したが、そのときすでに、満91歳なのだった。
 そして、自分には私的な関係は一切ない人物だが、この人もいずれは亡くなるのだと思うと(自分も勿論そうだが)、涙が出た。
 誰もがみんな、いずれ死んでいく。
 ○ リチャード・パイプスについて書かれている日本語文献は、多くない。
 二冊の詳しく長い方の、ロシア革命とその後のスターリン直前までの書物には邦訳書がない。
 『共産主義の歴史』と素直に邦訳されてよいこの人のコンパクトな書物は、<共産主義者が見た夢>という、誰か特定の共産党員の個人的思い出話とも誤解されそうな邦題が付けられた邦訳書になっている。
 下村満子・アメリカ人のソ連観(朝日文庫、1988)は1983年初頭のR・パイプスインタビュー記事を載せていて、珍しく、かつ興味深い。
 もう一つ、上の Richard Pipes, VIXI - Memoirs of a Non - Belonger (2003)の、詳しいわけではないが、貴重な書評記事が、以下にある。
 草野徹「気になるアメリカン・ブックス/28回」諸君!2007年11月号(文藝春秋)p.243-5。
 
草野徹はR・パイプスの書名を『私は生き延びた-自主的な思想家の回想録』と訳している。
 < a Non-Belonger >の意味がむつかしいところで、最初はどの党派にも属さない、つまりは社会主義や共産主義政党から独立した(自由な)者との意味かと思ったが、のちにはだいぶ離れて、ポーランド出自のこの人は20歳のときにアメリカに帰化してもなおも<帰属意識>をもてない、祖国ではない国に生きた、という意識からする言葉かとも思った(40歳頃に社会主義ポーランドを離れたL・コワコフスキについてもある程度はそういう問題の所在を指摘しうるのではなかろうか-多くの日本人には分かりにくい)。
草野は、同僚学者たちからも際立つほどの、つまり仲間がいないか極めて乏しい=帰属先のない学者、独立した<反共産主義・反ソ連>意識の持ち主だったことを、< a Non-Belonger >性だと理解しているようだ。たぶんこれで正しいのだろう。私はほとんど読んでいないので、判断しかねる。
 ともあれ草野徹の紹介によると、R・パイプスというのは、つぎのような考えの持ち主だ。
 「共産主義一般や特にソ連に対して否定的見解」に立つ。
 「スターリニズムはレーニニズムにその兆しがある」。
 「ソ連の残虐な独裁は、スターリンの個性の結果というより、ボルシェヴィキ革命の必然的結果である」。
 60年代の大学騒擾を「嫌悪しながら見詰め、マルクス主義の方法論を用いてソ連に共感する『修正主義者』と対立」した。
 あとは、R・レーガン大統領のもとでの安全保障会議補佐官の時代のことだ。
 R・パイプスは<対ソ連強硬派>だった。この点はこの欄でも触れている。
 草野によると、R・パイプスが嫌ったのは<対ソ連融和派>(秋月)とも言うべき「西側ジャーナリズム」で、これは「①ソ連は安定していて、外部から破壊はもちろん、体制変更はできない。②そんなことを試みれば、ソ連は硬化し、核戦争につながる危険がある」との前提で共通していた、という。
 草野は最後にまとめる-R・パイプスという「圧力行使で『悪の帝国』を倒せると考えた数少ない一人、時代におもねらない自主的な思想家」が、「歴史の歯車に油を差したと言えるかもしれない」と(さらに、「日本の学者」は ? と続けるが)。
 リチャード・パイプスの書物の試訳を行ったり、また部分的にだが(まるでポーランドのふつうの哲学者か東欧の怪談お伽話の作家のごとく日本では扱われているかもしれない)L・コワコフスキの著作を邦訳したりすることの意味は十分にある、と秋月は考えている。
 またさらに、<軟弱・融和・表向き平和>論でないR・パイプスの<強硬論>は、決して過去に関することではなく、現今の北朝鮮や中国に対する外交等の政策についてもある程度は参照されてよいと思われる(日本政府に何ができるかという問題はあるが)。
 民主党政権、オバマ大統領は、ぃったいどうだったのか ? また触れてしまうが、櫻井よしこは、大局を無視して、<トランプへのケチつけ>ばかりするのはやめた方がよい。
 ○ 日本とは違う<反共産主義>の思想・雰囲気がアメリカには大勢ではないにせよ強くある、ということは、「左翼」・対ソ連<融和>派の朝日新聞・下村満子も書いていた。
 1992年のソ連解体以前の文章だが、同・上掲書、p.614は言う。
 「アメリカ人の反共精神、対ソ不信感には、非常に根強いものがあり、これはほとんどアメリカの体臭といっていいほどのものだと私は考えている」。
 こう書きつつ、レーガンの反共・対ソ強硬姿勢はきっとうまく行きそうにないとの雰囲気で朝日新聞記者らしくまとめているのだが。
 ○ しかしともかくも、日本人は、日本とアメリカ等の違いを、共産党・共産主義に対する見方についても、本当はもっと実感しなければならないのだろうと思う。
 1992年以降、イタリア共産党はなく、フランス共産党も1980年にミッテラン大統領を社会党とともに生んだ力はまるでない。
 なぜ日本には日本共産党があって600万票を獲得し、隣国には「中国共産党」があるのか。
 北朝鮮のグロテスクな現況は、マルクス-レーニン-スターリン-コミンテルンと関係がないのか ?
 レーニン・スターリン・コミンテルン-金日成・金正日・…、ではないのか ?
 この点を、なぜ日本のメディアは明確に指摘しないのか。
 スターリン以降とは区別された、<レーニン幻想・ロシア革命幻想>が日本には「左翼」にまだ強く残ることについては、また何度も述べる。