一 日本共産党2004年綱領について現在の幹部会委員長・志位和夫が三巻本の<綱領教室>を出している。ソ連、とくにレーニンに関する部分は綱領第3章第8節の中にあり(但し節番号は最初からの通し)、その部分についての志位和夫・綱領教室第2巻(新日本出版社、2013)のp.167-188を、以下適宜引用しつつ読む。
 前回にも言及した<戦時共産主義からネップへの移行>について志位は「不破さんの研究に依拠しつつ、…」と明記しているので、当該箇所は不破哲三の<レーニンと資本論>の該当部分も同時に読むことになる。
 二 p.170まではたいした内容がない。「教室」=幹部 ?研修講義のための概述と年表だけ。
 つづく、つぎの文章は、さっそく驚かせる。いずれも、p.171。
 「十月社会主義革命が巨大な世界史的意義をもつ出来事であったことは、政治的・思想的立場の違う人であっても、今日でも揺るがない評価だと思います」。
 「人類最初に社会主義への道に踏み出したロシア革命は、一時のものではなく、それ自体が、世界史に今日も続く持続的な影響を、与え続けている」。//ソ連という国は崩壊したが、「にもかかわらず、十月社会主義革命が、世界史に与えた影響が、過去のものになってしまったわけでは」ない。
 まず気づくのは、「たとえば」として論拠として出す文献が、E・H・カーの本一冊(岩波現代選書)だけだ、ということだ。
 この本は1989-91年以前の本にしてはロシア革命史(ネップ期を含む、1917-1929)を要領よくまとめているとは思うが、日本語版・原書ともに何と1979年、ソ連崩壊前のものだ。とりわけソ連崩壊後の諸資料、諸研究文献を見ているはずがない。
 第二は、「十月社会主義革命」(かつて日本共産党は<社会主義大革命>と「大」を付けていたかもしれない)とか「人類最初に社会主義への道に踏み出したロシア革命」とかいう捉え方自体に問題があるし、疑問視されなければならず、かつ実際にも、疑問視されている。
 「政治的・思想的立場の違う人であっても」認めている、という言い方は不当であり、デマだ。
 例証をいちいち挙げない。「社会主義」革命性自体を、かつまたマルクスの言説またはマルクス主義の正当な(ロシアにおける)帰結だったか、もまた、疑問としなければならないと思われる。少なくとも問題になりうるということは、認めなければならない。
 しかし、日本共産党幹部・志位和夫はこれを認めることができない。なぜなら、日本共産党自体がロシア革命の成功を前提とする(レーニンが最高指導者時代の)第三インター(コミンテルン)の結成によってこそ誕生しているからだ。
 したがって、日本共産党は、1922年創立をその歴史の出発点とするかぎりは、そして、そうした政党として存在するかぎり、絶対にレーニンだけは(ロシア「社会主義」革命とともに)「救う」必要があるのだ。したがってまた、ロシア革命についての歴史観・歴史認識は、大きな<政治的>粉飾にまみれたものになってしまう。
 第三に、なるほど1917年10月にペテルブルクで起きたことは、「世界史に今日も続く持続的な影響を、与え続けている」と言える。また、その「世界史に与えた影響が、過去のものになってしまったわけでは」ない。しかし、これはもちろん、否定的・消極的意味においてであって、志位和夫の言い分とは真反対だ。
 フランスのF・フュレも、ロシア革命がなければドイツ・ファシズムはなく、第二次大戦はなかった、と言った。これらに比べれば低い蓋然性ではあるが(戦後の)<冷戦>もなかった、と言った。
 それだけの影響を与えた、と私も断言したい。
 マルクスが「社会主義」への必然性を言葉の上で唱えていただけならばよかった。レーニンら、ロシア共産党は、「社会主義革命」を現実に行ったと宣言し、<理論(・言葉)の現実化>に成功した、とされた。多くの世界中の人々がそれを「信じて」しまい、逆にマルクス主義の「正しさ」を立証した、ということになってしまった。
 これは、20世紀の初頭の、実に悲痛な現実だった、と思う。
 日本でも<マルクス主義(またはマルクス・レーニン主義)に染まらないとインテリではない>とか言われ、戦前の帝国大学学生を含む知的階層に巨大な影響を与えた。その影響は戦後および今日まで(日本には)残っている。
 北一輝は「純正社会主義」をタイトルにした本を書き、「私有財産」を厳しく制限する<日本改造法案>を著した。これらは、マルクスやレーニンの本を一部は読んでいたこと、後者はロシア革命の報に着目したことを示しているだろう。最近に北一輝の上の本も見たが、マルクスとかレーニンの名が出てくる。
 この北一輝の本が二・二六事件の農民出身兵士たちに「理論的」影響を与えた、というのだから、あくまで一例だが、レーニンとロシア革命は日本史の現実をも変えてしまった、と言える。むろん、不破哲三や志位和夫の人生も大きく変えてしまった(気の毒に)。
 三 上の部分のあとの志位の叙述は、「レーニンが指導した最初の段階」での「真剣に社会主義をめざす一連の積極的努力」の話になる。